(5)
バイテル教授の家に遊びに行ったとき、奥さんに、
" I'm just walking around in the trees. " ( 森を歩いてきます )
" Are you walking alone? " ( ひとりで? )
" Yes! " ( はい )
" No, you don't ! " " Quite a few coming into the woods and never coming out ! " ( ダメよ!森に入ったきり帰ってこない人が多いのよ! )
訊いてみると、アパラチアンの樹海に入ったきり帰らない人がいるようで、素人がひとりで入って行くのは危険だと言うことだった。
私も一緒に行ってみたいから、希望者を募って後日みんなで樹海の中をピクニックしましょうよ、ということになった。 いったん樹海に入ると、方向感覚がなくなり、けもの道に迷い込んだりして、いよいよ帰ってこれなくなるようだ。
バイテル夫人と話していて、その時初めて「アパラチアン・トレイル」のことを知った。
ニューヨークからロスアンジェルスまで飛行機に乗って窓から下をみていると、アメリカ大陸を3つの山脈が南北に縦断しているのが分かる。
最初は、アパラチアン山脈、次がロッキー山脈、それから西海岸に沿ってシェラネバタ山脈である。
ロッキーは、3,000メートル以上の山が連なっていて、ごつごつ切り立った、いかにも男性的で尾根には白い雪を頂いている。
シェラネバタも、マッキンレーの4,400メートルに達する高い山がある。
これらに比べると、アパラチアンは、女性的で穏やかな山脈である。ミッチェル山の2,037メートルが一番高い山で、山脈というようには見えない。
「アパラチアン・トレイル」( Appalachian Trail )は、大自然歩道である。
14州に跨り、北はメイン州のバクスターから、南はジョージア州のスプリンガーまで全長3,500キロにも及ぶ。マイルにすると2,000マイルになるので、踏破した人のことを、「2000-miler」と呼ぶようだ。
一シーズンでこの自然歩道を踏破することを「スルーハイキング」(thru-hiking)と言っている。スルーハイキングに挑む人たちは、毎年2,000人ぐらいいるようだが、そのうち1割ぐらい、200人が成功している。
どちらかと言うと、「山に登る」と言うより「山を歩く」という感じで、登山の専門技術はなくてもいいが、ある意味過酷ではある。
山の尾根を歩くかと思えば、岩の上を歩く、谷を歩くかといえば、森林の中を歩くといった難コースが延々と続く。
やって来る人たちの目的は、さまざまである。
カメラを持って歩きながら草花、動物、景色などをもっぱら撮っている人、スポーツ感覚で歩くことを楽しむ人もいる。過酷なノルマを自らに課し、鍛錬に励む人もいる。
ここにやってくる人たちはそのような人たちばかりではない。
人生に挫折を味わった人、困難にぶち当たった人、心に迷いを持った人、対人関係がうまくいかない人、何らかの理由で心を閉ざし思い悩んでいるような人などが、山歩きをしながら自分を取り戻そうとしている。
犯罪を犯して刑務所を出てきたばかりで、新しい自らの人生に向き合う心構えを養う努力をしている人、交通事故で家族を亡くした人、失職した人などが、アパラチアンを歩きながら立ち直ろうとしている。
勿論スルーハイキングを志す人たちはごく一部で、最初から最後まで歩く必要はない。
途中から登ってきてまた途中で降りる人が大部分である。週末だけ、自宅に近い所からごく短い距離を歩く人たちも多いのである。
ちょっとハイキングというわけではなさそうですが、
スルーするのはどのくらいの日数が必要なんでしょうね・・・
臨む人たちの立場は別々でも、きっと 新しい方向性を模索しているということは同じですね。
前へ進む意志が養われそうですね。
北のメイン州を出発点にしても、南のジョージアを出発点にしてもいいのですが、春が先に訪れるジョージから歩き始める人がほとんどのようです。
何か月かかっても、やり通せば、「スルーハイキング」になります。
殆どの人が、何年かかけて、たどり着いたところを起点にまた次の機会に歩き始めるとのことでした。
そんな時にyamadaさんのブログで知ったアパラチアン・トレイル。
国は違っても同じ様なものがあるのですね。
日々の暮らしに追われているのですが、ちょっと振り返る時期かな?なんて考えています。
とてもいいNHKの番組でしたので・・・
ベトナム帰還兵が何かを? 訴えるために裸足で
歩いていました
多分 全行程踏破されたようです
装備もビニールなどをつなぎ合わせた粗末なものでした
もう一度見たい番組です
歩くことを目的にやってくる人たちもいると思うのですが、一つ一つ札所をめぐることで、何か心に達成感を得ているのではないでしょうか。
アパラチアン・トレイルがまさにそのようなところです。
ここを歩く人たちは、ほとんどが一人でやってくるようです。
自らをあえて過酷な状況において、立ち向かう自分を見つめているのだと思います。