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天気のいい日など、山の尾根を歩くのは気持ちがいい。
尾根の岩場に上ると、、360度の展望が開け、眼下には素晴らしい景色が展開している。
はるか下のほうに町が見えることもある。牧草地では牛が草を食んでいる。
山の裾に広がる広大な樹海、時に湖や川が流れているのが見える。何もかにもが壮大で、圧倒される風景である。じっと眺めていると、現実とは思えないほどで、心が洗われるというか、感動してしまうのである。
もうどれくらい歩いただろうか。
自分では、かなりの距離メインから遠ざかったように思う。だんだんと先に進むと、トレッキングをする人たちに出会うようになってきた。大学生のグループ、「ソロ」( solo )、つまり一人旅の人たちにも出会った。
犬を連れた女性の一人にも会った。みなさん、それぞれの思いや目的をもってきているようで、歩くスタイルもさまざまである。
スルーハイクを目指す人たちばかりではないようだ。
いわゆる「セクションハイク」( section hike )( 一区切りだけ歩く )ひとたちがほとんどのようだ。
途中の町まで車で来て、車を乗り捨て、そこからか歩き始めて、一週間ほど歩いて、また家に帰る人だっている。
スルーハイクは、時間もかかるし過酷で、はじめからそれを目指すのでなく、一区切り一区切りを重ねていけば、長い年月掛かっても、それがスルーハイクになる。
" a continuous hike is not as tough as it sounds. If you can manage a three-or four day section hike, you can manage a thru-hike. After all it's just a section hike repeated over and over again. "
( ハイクを続けるのは、それほどタフではない。三日か四日のハイクをなんとかできれば、スルーハイクをやり通すことができる。つまりスルーハイクは、一区切り一区切りのハイクの積み重ねなのである )
ジムも、ここに来てさまざまな人たちと出会った。話を聞いたりしながらいろんなことを学んだ。
何かにつけネガティブであった自分を反省した。人生まだまだ長いのである。みじめな自分であることで、周りの家族まで不幸にすることは許されない。
ようやく自己中心な自分を脱して、周りの人たちを思いやる気持ちがわいてきた。
激流にロープを渡し、リュックを吊り下げ、自分は裸になって対岸まで渡るなど過酷な試練はあったが、今では、それが苦しいというより、立ち向かいチャレンジしたい気持ちがわいてきた。
歩いていて、仔馬が追いてきた。あまり長く一緒に歩くと、お母さんと逸れるのではと思い、
" You had better go back to your mom at once ! " ( もうママのところに帰ったほうがいいよ! )と言ってしまった。
それでも帰ろうとしないので、腰を下ろし、リュックからリンゴを取り出し、ナイフで二つに割り、片方を自分用に、もう一つを仔馬に与え、分け合って食べた。
そのようなことが、なんとも自然で、当たり前の風景に見えたのである。