マディと愛犬ユーリ、親友のクリスティ、それにハワイのこと

ハワイに住んでいたころ、マディという女の子が近所に住んでいて、犬のユーリを連れて遊びに来ていた。

" Traveling overseas " 「海外旅行」

2011-08-01 09:14:30 | 日記

 

 戦後、日本がまだ疲弊し貧しさに苛まれていたころは、一般の人たちが海外に出るということは考えられなかった。
 政府などの公的な人が海外に行ったり、実業家が、外国の企業と商取引をするために行ったり、アメリカの政府機関から招待を受けたり、大学や研究機関に応募して受け入れられた人たち、留学試験に受かった人たちなど、本当にごく僅かな人が海外に出る恩恵に浴したのである。

 ゴルファーの青木功さんのような人は、海外の競技でも活躍していて、力道山などは、アメリカで転戦して連戦連勝の活躍ぶりでだった。これの人たちは、ドル不足の日本からドルを持ち出すのでなく、海外で日本のためにドルを稼いでいたはずだから、何らかの恩恵があったのだろうか。
 
 トシが、初めてアメリカに行ったときは、日本人が、国から持ち出しを許可されたドルは、わずか30ドルだった。
 この金額では、一日で使い果たすほどのお金で、一日のホテル代も賄えないほどだったのである。
 自分で、海外に行きたいと望んでも、出国するのは不可能だった。
 海外にある機関か、渡航希望者を引き受ける保証人がいないと、実際には渡航できない状態だったのである。

 その日本も、ようやく経済的に潤う時がきた。
 日本人がようやく海外旅行に出れるようになった時、もちろんごく一部の経済的に恵まれた人たちが、パッケージで海外旅行を楽しむことができるようになった。
 当時は、日本のどの階級より農家の人たちの羽振りが良くて、ヨーロッパ旅行など、農協主催のパック旅行にこれらの人たちが応募したのである。
 英語の辞書に、「ゼンガクレン」「スキヤキ」などと並んで、「ノウキョウ」という英語が載ったことも有名である。「ノウキョウ」は、世界に通用する知名度を得たわけである。
 パリのエッフェル塔の見える公園のトイレで、農協の男性たちが一斉に用を足しながら、腹巻きの中の一万円札を数えていた話は有名になった。

 ようやく戦後の混乱期を脱して、日本の中にいわゆる富裕層が出現したのである。
 当初は、一人で海外旅行をするというのは、旅行手続きが難しかったり、言葉の問題があったりして無理だったようで、もっぱら「パック旅行」が主体だった。
 そのころは、香港旅行がブームだったのである。
 もし、当時ハワイに行くとすれば、交通費だけで35万円くらいかかっていた。
 香港には、交通費、ホテル代、観光の費用を含めて、7万円ぐらいで行けるパッケージツアーを、各旅行社が組んでいて、それがヒットした。
 今では、人気の、近場の韓国は、反日政策などから、行く人はいなかった。

  金持ちだけだったわけだが、初めて海外体験であった。
 家族、親せき、近所の人たちが集まって壮行会を開いてくれたり、とにかく大仰だったのである。
 その挙げ句、皆さんが餞別の入った封筒を差し出した。
 餞別をもらって、送り出された当事者が、異口同音に悔やんでいたのを聞いたことがある。
 選別をくれた人たちに、もれなく、金額に応じたお土産を買わなくてはならないのである。
 旅行中、自分たちが楽しむというより、ほとんどの時間をお土産を買う時間に費やした。
 あの人は、骨董趣味があるといえば、その人のために骨董屋巡りをする。あの女性にブレスレットを買いたいと思えば、ひたすら宝石店を回る、といった具合で、とても旅行を楽しむというわけにはいかなかったのである。

 ニューヨークで、旗を掲げた添乗員の後ろをアヒルの行列よろしく、一糸乱れず並んで追いて行く日本人の団体は、現地ですっかり有名になってしまった。
 両肩に交差して、ミノルタ、ニコンなどの高級カメラ、一方にJALの鳩マークが入ったショルダーを担いだ日本人は、金持ちだと見込んだのか、すりや置き引きの対象になった。
 ニューヨークの高島屋には、同じ格好をした日本人であふれていたのである。
 パーカーの万年筆、シャネル5番は、恰好なお土産なのか、飛ぶように売れていた。

 帰って来て、海外の生活様式に初めて接した人の体験や失敗談は面白かった。
 日本にはまだ西洋式のトイレがない時代で、トイレでどちらを向いて座っったらいいのかわからなかった、バス風呂ででシャワーを入れたら、熱湯が先に出てきて、あやうく火傷をするところだった、女の人が、正装用の和服を持っていったのだが、一度も着る機会がなかった、チップを出さなくてえらく怒られた、友人同士、自由時間を利用して、ささやかなバスの冒険旅行に出たのはいいが、行き先を告げても、運転手が理解できなくて途中で降ろされた、タクシーに乗ってぼられた, 美術館で写真を撮ろうとしたら、係が走って来て静止された、どこを探してもトイレが見つからず困った、など様々な体験談を聞くことができたのである。