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ベトナム戦争が終わってしばらくしてから、テレビ、「タイム」、「ニューズウイーク」や新聞などに、「Post Traumatic Stress Disorder」 という言葉が出てくるようになった。
「心的外傷後ストレス障害」ということのようだった。
人間は、通常の生活をしていても、絶えずストレスは感じている。 これは、悪い意味ばかりではなく、適度に刺激を受けることで、むしろ、能力が開発されて、啓発され向上する原動力にもなるのである。
適度のストレスであれば、「消去メカニズム」が働いて、後残りしないで、その都度、忘れ去られるようになっているようである。
しかし、能力を超えた過度のストレスを受けると、自浄能力が、もはや、働かなくなって、その人の精神では対応できなくて、一種のパニック状態になるということである。
阪神大地震のような自然災害に出会ったり、強盗に襲われたり、レイプされたり、戦争に巻き込まれたりすると、通常の神経ではまかないきれなくなる。
そのようなとき、神経に変調が起こり、それに対処するために、周りの人たちに強力な加護を求めたり、薬物に頼ったり、アルコールに依存したりの現象が起こってくるようだ。
ベトナム帰還兵の、30パーセントを超える人たちが、病院での継続的な治療が必要だったとされている。
現実に、ほとんどの帰還兵たちが、何らかの、障害に悩ませれているとの調査結果があるのである。
軽症の人たちも、何らかの方法で、たとえば、自分の家族や周りの人たちの理解や、支えで持ちこたえているとのことであった。
症状としては、夜眠れないというのが一番多く、悪夢に脅かされる、攻撃を恐れて絶えず身構える、神経が敏感である、集中して仕事ができない、周りの人たちと会話ができない、引き籠るようになる、などさまざまな症状がが確認されているようだ。
幻覚に脅かされて、思わず近くにいる人に先制攻撃をしてしまう、何でもない時に、パニックを起こして暴れる、というように、症状が外に出てきて、関係ない人たちを困らせたり、迷惑をかけてしまうようなことが起きているようである。
マイクも、朝の食卓に出てこなくなってからしばらくたった。
みんなで、食卓で、お祈りをしてから食事を始めるのが習慣だったはずだ。
食欲がないというのもある。しかし、夜、一睡もできないのでは、彼自身、どうしていいのかわからなくなっていた。
このころでは、家族と諍いを起こすなどということも起こっていた。。
今までの、マイクでは、考えられないことだったのである。
高校の時も、素直で、親思いで、休日には、家の仕事を手伝っていたのである。
彼が、PTSDの初期の症状であることは、誰でも確認できた。
この時期になると、さすがに、マイク自身も、自分に異常があることは認識できていた。
「在郷軍人会」に電話をして、状況を説明して、助けを求めたのも、マイク自身だった。
数日して、軍人会の紹介で、女性のカウンセラーがやってきた。
2時間も、話をした後で、彼女の結論は、
「病院での治療が必要かもしれない」ということだった。
帰り際に、ウイチタの総合病院の精神科宛ての「紹介状」を手渡してくれたのである。
数日おいて、今は、ラクロスという町に嫁いでいる、一つ年下の妹が、車でウイチタの総合病院まで連れて行った。
「いますぐ、入院するまでもないが、取り敢えずは、定期的に治療に来るように」と言われた。それに、薬を処方された。
それで、しばらく様子を見ようということになったのである。
戦場で、あの過酷な状況の中で、神経を保ち得たのは、おそらく、想像以上に強力な注射と薬物のお陰だったのだろう。
ウイチタの航空機会社で働きたいという希望も、もはや、消えかかっていたのである。
決まった時間に、寝て起きて、食事をするという日常の「ルーティン」が、もう守れないのである。
働ける状態でないというのは、自覚できた。
何かの幻影に脅かされ、常に鬱状態で、イライラしていた。
長男のマイクが、行く行くは、家の仕事を継ぐという心つもりでやってきた。
しかし、今では、自分だけが浮き上がって、役立たたづの人間であるように思えた。
「ばあちゃん」、両親、弟も、何か、恐々自分を遠まわしに、離れた所から見ているように感じていた。
そのような時、かつての親友から一通の手紙が来たのである。
分厚い封書だった。表書に、マイクの名前と差出人の「ケリー・ダグラス」の名前が書かれていた。
懐かしい名前だ。ドイツにいた時、一緒に語り、遊んだ戦友である。
しかし、この手紙の投かん先は、彼の故郷、オレゴン州ではなかったのである。
住所が書かれてなく、ハワイのヒロという町の郵便局から差し出されていたのである。
それで マイクも ハワイということになるのですか?
戦争は 現地で亡くなった人達だけではなく
元気に帰ってきた人までも不幸にしてしまうのですね。
なんとなく、マイクのことが分かってきましたね。
普通の人たちは、入って行く用事はないと思うのですが、そのどのあたりかに、彼らが住んでいる所があるようです。
話は、別ですが、guroriosaさんというのは、「ゆり」という意味なのですか?
なんだろう、と前から思っていたのですが。
治療には、当然、時間がかかりますし、長い時間をかけても、よくなるという保証もないようです。
その時の友達の態度に関心しました。
まづ、原因の削除方法を実行し、いつも話し相手になり、
不安を抱かせないように大変な努力でした。
私には真似出来ないと思い、遠巻きから彼女を応援するしか出来なかったもどかしさを思い出しました。
風景もきれいだし、楽しいところもいっぱいあるところですが、このように、「暗い」面もあるのですね。