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( 可愛いいピアニスト ー マディソンにて )
O先生は、旧街道を歩きながら沿道の興味ある場所、店、名所、旧跡などをイラストに描き取り地図を作った。
まるで時代劇の映画に出てきそうな江戸時代の名残を残す町並みをスケッチしたり、休日には、リュックを背負って山を歩き、未発見の古墳を探検していた。
先生は、気ままに歩き回っていたようだが、生徒の中には、そのような先生に興味を持って、休日など一緒に行動をする者が出てきた。
「今度の日曜日に古墳を探しに行くのだけど、一緒に来ないか」と友達誘われて、トシもその気になってしまった。
山には、あちこちに古墳と思える場所が点在していて、それらを訪ねて回るのは興味があった。
木々が茂って、歩くのも大変だが、何となくこんもり盛り上がり、お椀を反対に伏せたような場所を見つけると、古墳かもしれないと、土を掘っていくと、石組みが出てきたりしたのである。
入口を探し当て、ローソクに火をともし中に入っていった。
洞穴の中は、何となく幽玄で不気味でさえあった。そこに暫し佇んでいると、現実を忘れ数百年の時を遡ってしまうような気がしたのである。
はじめは、先生一人の冒険だったが、そのうち一人また一人と先生についていく生徒の数が増えていったのである。
まるで課外活動みたいだったが、決まった時間に何をしなくてはいけないとかの厳しい規則もなく、「次は、S山を探検する!」とかの告知がどこからともなく回ってきて、その日には生徒たちが集まってきたのである。 その中には、今まで参加したこともない何人かの生徒が来ていたりした。
先生の家に招かれたこともあった、と言っても先生の家ではなく、先生が下宿している家である。家主の奥さんが、手作りのヨモギもちを出してくれたこともある。
図書館で、女性の国語の先生から、「O先生は、石坂洋二郎のファンなのよ!本当は、石坂洋二郎が出た慶応大学に行きたかったそうよ」
「どうして行かなかったのですか?」
「それがね、家の人は、O先生が、大学に進学すること自体に反対だったそうよ!経済的に進学は無理だって、当時はだれもがそうだったのだけど」
親は、O先生が地元の国立大学に合格したら、行ってもいいということまでは譲ったようだ。
一発で合格しなければ、浪人して再挑戦するなどもってのほかで、すぐに社会に出て就職するということで親族の意見がまとまった。
慶応については、たとえ行けないとしても、試験だけでもという気持ちを持ち続けていて、そのことをひそかに母親には相談していた。
慶應を受けるために、蓄えた貯金をはたいて、いざ東京に行く段になって、母と姉が、餞別ということでかなりのお金を援助してくれた。
そのお金を持って上京して、ついに受験を果たしたのである。
そして後日合格の通知を受け取った。
はじめから合格してもいけないだろうとは思っていたが、それでも、そのことがO先生にとって、生涯の思い出になる出来事だったようだ。
結局、国立大学の一期に合格して、そこに行くようになった。
当時は、奨学金が月額2,800円だった。これだけでは、学業を続けるの不可能で、今のようにアルバイトをするのが当たり前という時代ではなかった。
そのような話を女性の先生から聞いて、初めてO先生の身の上話みたいなものを知ってしまったが、当のO先生自身からは、その後も、そのような身上話は聞くことがなかったのである。
そうそう、以前は国立一期二期だったのが
今はセンター試験、その後で前期、後期日程の試験と変わったのですが、
まだこれからも変化していくようです。
受験生は大変です。
慶應に合格していたのに断念せざるを得なかったO先生の気持ちを察すると・・・。
受験生にとって、戸惑うことも多いと思います。
お先生は、東京に行きたかったようですが、親が反対で実現できなったようです。
経済的な理由と一人息子だったので、地元にいてほしいという気持ちがあったのでしょう。
ご家族はどんなだったのでしょう
あっ 無理にお話しされなくてもいいですから~ ^^
昔は頭が良くても中学さえ 行けない子もいたのですよね
父は次男で高等小学校どまりと、親に言われていたのですが
小学校の先生が訪ねてきて、ぜひ行かせてほしい
自分が学費は出しますと言われたそうです
昔の先生は、気概のある方が多かったのでしょうか
それで父は進学できたそうです
長男が大学に行きたいといったときは、さすがに家族は反対しました。
父が復員してきたばかりで、子供を大学に入れるのは大変だったと思います。
結局、長男、次男、三男まで大学に行きました。
昔の先生で、自宅に引き取ってまで生徒を教育していた人がいました。
確かに気概のある先生がいました。
学校では教えてくれない課外授業ですね。
奨学金、以前は 返さなくても踏み倒せる(?) なんて話も聞いたことがありますが、
今はきびしく督促されるそうですね。
友達だけでなく先生とも遊んだ記憶があります。
読書などにも熱中していて、友達と競争して本を読んでいました。
吉川英治の「宮本武蔵」6巻を6日で読んだこともあります。