マディと愛犬ユーリ、親友のクリスティ、それにハワイのこと

ハワイに住んでいたころ、マディという女の子が近所に住んでいて、犬のユーリを連れて遊びに来ていた。

彼らの住むところ

2010-08-01 14:40:00 | 日記

                                            (13)

 マイクとケリーは、ドイツにいたときの友達である。
 他にも友達はいたが、二人は、とりわけ仲が良かった。心を割って話し込んだり、休暇の日には、二人で街に繰り出した。
 ドイツの訓練期間が、アッという間に終わり、それぞれが、アメリカの別の基地に配属されたのである。
 当時は、携帯電話などなかったので、電話を掛けて消息を確かめ合うというようなことは出来なかった。
 その後、何度か、手紙のやり取りをしたが、気がつかないうちに、だんだんと疎遠になって行った。

 二人とも、何れは、ベトナムに配属されるだろう、ことは明らかだったのである。
 その後、半年、一年と経つ間に、
 「もしかして、生きてはいないかも知れない!」という恐怖感があったため、思い切って手紙を出し、お互いが無事であることを確認し合うことを逡巡し続けた。
 相手の行先は、ベトナムのどこかだろう。手紙を直接書けないにしても、故郷の両親に手紙の回送を依頼することもできたのである。

 ベトナム戦争が終わって、ずいぶん経ってから、ケリーから手紙をもらって、びっくりしてしまった。
 「彼は、生きていたのだ!」という実感が胸に伝わってきた。
 彼の手紙によると、彼は、ハワイのどこかで生活しているようだった。
 手紙には、その後のケリーの物語が書かれていたのである。

 やはり、彼は、ベトナムで戦っていた。
 マイクと違って、彼は、前線で銃を持って戦っていたのである。
 何週間か、前線に出て戦い、交代要員が来ると一時的に、後方に回り、あるいは、その期間、休暇を取りながら、また、前線に出て、戦闘に参加していた。
 周りの兵士たちが、次々に戦死したり、負傷したりしていた現場に彼もいたのである。
 将に、慈悲のかけらもない、残酷な地獄絵を見続けた。
 しかし、彼は生き延びた。
 死ぬことはなかったが、右足に銃弾を受けて、野戦病院に送られた。
 応急の処置を受けた後、赤十字の飛行機でハワイの陸軍病院に転送されたのである。
 もう、ここまでは、砲弾、銃弾が飛んでくることはなかった。
 ホッとした気持であった。

 傷の手術や治療で、2カ月ほど掛かり、それでも、かなり回復できて、通常に日常生活もできるようになった。
 何より、命を落とすことなくアメリカに帰れた、ということがうれしかった。さらに、数週間を、リハビリに過ごした後、除隊して故郷に帰って行った。

 アメリカに帰ってみて、ベトナム帰還兵に対する風当たりが強く、必ずしも好意的ではなかった。
 故国のために、遠くまで出かけて、命を賭して働いたのに、このさまは何だろうと思ったのである。
 当初、他の帰還兵と同じように、ケリー自身気付いていなかったが、何か、社会に、あるいは、他の人たちに適合できないものがあったのだろう。
 最初に就職した会社で、上司ともめて、彼の方から、謝らないものだから、規律違反か何かで、クビになってしまった。
 父親の紹介で、就職した次の会社でも、書類を書き間違えて、指摘きされると、反発して、またもやクビになった。

 彼の場合も、過去のフラッシュバックが蘇えり、それも、夜間だけでなく日中も襲ってくるようになっていた。
 突然、動悸がして、大波に押しつぶされそうな悪夢に支配された。
 覚醒亢進がひどくなり、当然のように夜眠れない。
 このようなことが、彼の日常生活を支配するようになったのである。

 ハワイの陸軍病院にいたとき、なんとなく、ヒロの密林にコミューンのようなものがあって、ベトナム帰還兵たちが、共同生活をしているということを聞いていた。
 ある日、唯ひとつ、自分を救ってくれるところが、ここかもしれないという気がして、家族に黙って家出して、この地に辿り着いたのである。

 法律もない、日常生活を規制するようなものも何もない、自由といえば、自由で、気ままに生きることができた。本当に、その日暮らしではあったが、「心」が救われる何かがあったのである。
 お互いを蔑む目で見ない、だれも非難がましい事を言わない、むしろ、共通の「被害者」としての連携さえあったのである。

 そのようなことを書き綴ったマイク宛の手紙だった。

 

 

 


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7 コメント

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はーっ!! (さくら)
2010-08-02 09:56:18
やっと、意味がわかりました。
そうなんですね。
ふつうの社会で生きていく事が、難しい・・・。
連帯感や、いたわりのある処、同じ苦しみを知る人達の社会でしか、
生きていけない。
辛いですね。
彼らはどんな生活なんでしょう。
ホームレスのような人ばかりなんでしょうか。
働いて、生活出来る環境が必要ですね。
国の責任です。なんとか出来ないんでしょうか。
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さくらさんへ (yamada)
2010-08-02 18:48:48
 彼らが、ハワイに行ったのは、正解だったかもしれませんね。

 周りを気にしないでいいし、お互いが同じ境遇なので、理解しあえるように思います。

 大抵の場合、薬物治療が成功してないのですから、しばらく、ここで過ごして、もしできるなら、社会復帰を果たしてもらいたいものです。
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密林の中で (guroriosa)
2010-08-02 20:55:56
同じ境遇の人達ととは言え
いつまで暮らしていけるというのでしょう。
社会復帰を果たしてもらいたいです。
そういう環境のレールを敷いてほしいです。
切に願います。

コミューンって何ですか??
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わかりました! (guroriosa)
2010-08-02 20:59:41
共同社会 のようなものですね。
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guroriosaさんへ (yamada)
2010-08-03 09:41:19
 この時期、アメリカでは、「ヒッピー」という言葉が、新聞などによく出てきました。
 若者が、仕事をするでなく、無目的に、気ままに彷徨う現象です。
 何がいいのか、悪いのか、過去の価値観がなくなり、国そのものが、どこに向いて行けばいいのかわからない時でもあったようです。
 しかし、このヒッピーの中から、自由な発想を持つ学者や芸術家が輩出されるようになります。
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安らぎの社会が (ほっとひと息)
2010-08-03 14:25:36
ヒロにあったのですね!

「ヒッピー族」「フーテン」等 ありましたね!
文明を拒否し、自然に回帰する者(モットーが「Back to nature」―自然に帰れ)
だったのでしょう。

「戦争」の二文字の重さを今更ながら感じます。
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ほっとひと息さんへ (yamada)
2010-08-03 21:04:07
 ベトナム戦争の反動で、ヒッピーに代表される反体制のムーブメントが、アメリカから世界に広まり、社会現象になりました。

 マリワナ、セックス、ヘッドバンド、髭、長髪、ギター、ロックなど、当時、目にした現象を思い出します。
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