(13)
マイクとケリーは、ドイツにいたときの友達である。
他にも友達はいたが、二人は、とりわけ仲が良かった。心を割って話し込んだり、休暇の日には、二人で街に繰り出した。
ドイツの訓練期間が、アッという間に終わり、それぞれが、アメリカの別の基地に配属されたのである。
当時は、携帯電話などなかったので、電話を掛けて消息を確かめ合うというようなことは出来なかった。
その後、何度か、手紙のやり取りをしたが、気がつかないうちに、だんだんと疎遠になって行った。
二人とも、何れは、ベトナムに配属されるだろう、ことは明らかだったのである。
その後、半年、一年と経つ間に、
「もしかして、生きてはいないかも知れない!」という恐怖感があったため、思い切って手紙を出し、お互いが無事であることを確認し合うことを逡巡し続けた。
相手の行先は、ベトナムのどこかだろう。手紙を直接書けないにしても、故郷の両親に手紙の回送を依頼することもできたのである。
ベトナム戦争が終わって、ずいぶん経ってから、ケリーから手紙をもらって、びっくりしてしまった。
「彼は、生きていたのだ!」という実感が胸に伝わってきた。
彼の手紙によると、彼は、ハワイのどこかで生活しているようだった。
手紙には、その後のケリーの物語が書かれていたのである。
やはり、彼は、ベトナムで戦っていた。
マイクと違って、彼は、前線で銃を持って戦っていたのである。
何週間か、前線に出て戦い、交代要員が来ると一時的に、後方に回り、あるいは、その期間、休暇を取りながら、また、前線に出て、戦闘に参加していた。
周りの兵士たちが、次々に戦死したり、負傷したりしていた現場に彼もいたのである。
将に、慈悲のかけらもない、残酷な地獄絵を見続けた。
しかし、彼は生き延びた。
死ぬことはなかったが、右足に銃弾を受けて、野戦病院に送られた。
応急の処置を受けた後、赤十字の飛行機でハワイの陸軍病院に転送されたのである。
もう、ここまでは、砲弾、銃弾が飛んでくることはなかった。
ホッとした気持であった。
傷の手術や治療で、2カ月ほど掛かり、それでも、かなり回復できて、通常に日常生活もできるようになった。
何より、命を落とすことなくアメリカに帰れた、ということがうれしかった。さらに、数週間を、リハビリに過ごした後、除隊して故郷に帰って行った。
アメリカに帰ってみて、ベトナム帰還兵に対する風当たりが強く、必ずしも好意的ではなかった。
故国のために、遠くまで出かけて、命を賭して働いたのに、このさまは何だろうと思ったのである。
当初、他の帰還兵と同じように、ケリー自身気付いていなかったが、何か、社会に、あるいは、他の人たちに適合できないものがあったのだろう。
最初に就職した会社で、上司ともめて、彼の方から、謝らないものだから、規律違反か何かで、クビになってしまった。
父親の紹介で、就職した次の会社でも、書類を書き間違えて、指摘きされると、反発して、またもやクビになった。
彼の場合も、過去のフラッシュバックが蘇えり、それも、夜間だけでなく日中も襲ってくるようになっていた。
突然、動悸がして、大波に押しつぶされそうな悪夢に支配された。
覚醒亢進がひどくなり、当然のように夜眠れない。
このようなことが、彼の日常生活を支配するようになったのである。
ハワイの陸軍病院にいたとき、なんとなく、ヒロの密林にコミューンのようなものがあって、ベトナム帰還兵たちが、共同生活をしているということを聞いていた。
ある日、唯ひとつ、自分を救ってくれるところが、ここかもしれないという気がして、家族に黙って家出して、この地に辿り着いたのである。
法律もない、日常生活を規制するようなものも何もない、自由といえば、自由で、気ままに生きることができた。本当に、その日暮らしではあったが、「心」が救われる何かがあったのである。
お互いを蔑む目で見ない、だれも非難がましい事を言わない、むしろ、共通の「被害者」としての連携さえあったのである。
そのようなことを書き綴ったマイク宛の手紙だった。
そうなんですね。
ふつうの社会で生きていく事が、難しい・・・。
連帯感や、いたわりのある処、同じ苦しみを知る人達の社会でしか、
生きていけない。
辛いですね。
彼らはどんな生活なんでしょう。
ホームレスのような人ばかりなんでしょうか。
働いて、生活出来る環境が必要ですね。
国の責任です。なんとか出来ないんでしょうか。
周りを気にしないでいいし、お互いが同じ境遇なので、理解しあえるように思います。
大抵の場合、薬物治療が成功してないのですから、しばらく、ここで過ごして、もしできるなら、社会復帰を果たしてもらいたいものです。
いつまで暮らしていけるというのでしょう。
社会復帰を果たしてもらいたいです。
そういう環境のレールを敷いてほしいです。
切に願います。
コミューンって何ですか??
若者が、仕事をするでなく、無目的に、気ままに彷徨う現象です。
何がいいのか、悪いのか、過去の価値観がなくなり、国そのものが、どこに向いて行けばいいのかわからない時でもあったようです。
しかし、このヒッピーの中から、自由な発想を持つ学者や芸術家が輩出されるようになります。
「ヒッピー族」「フーテン」等 ありましたね!
文明を拒否し、自然に回帰する者(モットーが「Back to nature」―自然に帰れ)
だったのでしょう。
「戦争」の二文字の重さを今更ながら感じます。
マリワナ、セックス、ヘッドバンド、髭、長髪、ギター、ロックなど、当時、目にした現象を思い出します。