レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

女性牧師礼賛

2012-11-02 05:00:00 | 日記
前回、アイスランドでのここ10年間余りでの女性の社会への躍進のことを書きました。その流れとして当然「ではその女性たちの実際の仕事上の能力はどうなんだ?」という問いかけが出てくるものと思います。

私自身、全ての分野での女性の仕事の出来不出来を判断する能力はないのですが、自身の領域である教会内の女性牧師の仕事ぶりについてはそれなりの評価できます。

私の見解では一般に女性牧師は能力が高いです。例えば(あくまで一般的な傾向ですが)、女性牧師の方が変革に対しての意欲が強いです。当然考え方がオープンであり新しいものの見方をすることを恐れません。アイスランド国民教会のもとにはエッセイや説教を掲載するサイトがあるのですが(よろしかったらご覧下さい。www.tru.is)、そういうところへ投稿されるものを見ても、女性牧師軍の質は高いと考えます。

これにはその反面教師?というか、背景としてとしてというか、五十代後半以上の男性牧師が長いこと教会を牛耳ってきた、という事実があります。六十歳の牧師が任に着いたのは多分30年以上前でしょう。当然その牧師さんの教育は当時の考え方に沿っているのでしょうが、アイスランドでも教会を取り囲む社会状況はどんどん変わってきています。

30年前ならアイスランド国民は皆キリスト教徒(コミュニストでさえ)と考えても実害なかったと思います。今は違います。イスラム教徒やアイスランド人の仏教徒もいますし、宗教ご免の人たちも多いです。牧師たる者、そういう変化を見届ける、というよりはむしろ見越して新しい道を示していかなければなりません。

これが高齢の男性牧師軍にはなかなか難しいのです。どうしても彼らは「復古」を考えてしまうようです。が、若い部類に入る女性牧師軍にはこの「見越し」ができるのです。こうして高齢男性牧師を中心とする保守、若手女性牧師を中心とするリベラル、という月並みな図式が描かれてくることになります。

牧師の話しをされても関係ない、と思われるでしょうが、実は全く同じような傾向が社会全体にありました(まだありますが)。私自身が五十台半ばの男性牧師であるわけですが、ここに来た時にはまだ四十前でしたし、日本から移ってきた牧師なのでアイスランドの伝統的キリスト教というしがらみがありませんでした。教会内では始めからどちらかというとリベラルだったでしょう。

そしてちょうど軌を同じくして移民とマルチカルチャーの流れがアイスランドにも流れ込んできたのです。私の仕事はその流れに乗ったものでした。マルチカルチャー関係の仕事というのは、あまり懐にお金を呼び込む分野ではありません。どちらかというと福祉、人権、理想というものを中心にしてなされる分野です。

そのためかどうか、この分野に関心を示すのは圧倒的に女性が多かったのです、これは教会外も含めて。様々な公的機関から派遣されて来る代表たちも女性ばかりで、随分長い間二十人くらいが出席する会合での男性は私一人、ということが続きました。

で、これが面白い発見だったのですが、私にとっては女性の方がずっと一緒に仕事しやすいんです。これは変な厭らしい?意味ではなくて、女性は私のような移民に対しても-ということは彼女らにとっての「普通」とは異なったものの見方や、批判的なトーンの意見に対しても-オープンでフェアで友好的に付き合ってくれました。変革を恐れない、ということの具体的な振る舞いへの現れです。

男性の方が難しいですね。彼らが一般的に私に示す最初の態度は:「俺の方がお前より上だぞ。ものもよく分かってるぞ」というようなものです。ある意味ではこの方が対等?に接しているということでしょうか?まあそれよりは男性の方が「移民」に対しての見下しが強いのだと私は思ってきましたが。実際、私が仕事で何か良い評価を得た時でも一緒に喜んでくれるのは女性軍に多く、男性軍は知らんぷりです。対等でかつ友好的であることは可能なんですけどね。

で、上に述べたようなことは基本的は今でも同じです。これからは「力を手にした」女性たちが増えてくることになりますので、女性一般の変革に対する、またはマルチカルチャーに対する(それから私に対する?)態度に変化が出るのかどうか? Wait and seeですね。へへ)


コメント
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