レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

適応...変化...と「正体見たり!」 問題編

2012-11-16 05:00:00 | 日記
私、有吉ファンですが、彼はいつも「帰国子女」を毒舌の的にしていますよね。曰く「何で帰国子女はアメリカとかヨーロッパをそのまま持って帰ってくるのか!?何なんだよ、あれ。すぐに“アメリカではねー、こうするのが常識” “これだから日本はやだなー。ヨーロッパ恋しい”だったら帰れよ!!」

その感覚は分かりますよね。神学校のインターン生だった頃、ある教会で牧師さんに注意をされました。「藤間君、今度の日曜にXXさんという女性が来るけど、この人パリで音楽を勉強していて、とにかく自己主張が強いから。そのつもりで」

結局その方とはお会いしないですんだと記憶していますが、前振りだけで嫌になりましたね。その当時(30年近く前のことですが)、教会という場所にはそういう「帰国子女」の類型の人が結構いたんですよ。やっぱり自己主張の強い人が多かった気がします。何でも「ワタシ」が前に出て来て。こうはなりたくない、と思ったものです。

ところで、アイスランドもどちらかと言えば自己主張の強い土地です。前回書きましたが、自分から積極的に売り込んで行かないと何事も始まらない風土です。ここで一目置かれる存在になりたかったら、自己主張を身につけるか仏陀になるしかないでしょう。私には仏陀は無理でしたから、自己主張を身につけようと励みました。

自己主張の一部なのですが、「Yes」「No」ははっきりしています。お酒の勧め合いから男女の関係までYes、Noは文字通り受け取られるべきだと考えられています。ですから「いや今夜はお酒は結構」と告げた後の「まあ、もう一杯」はないですし、「いやよいやよも好きのうち」とかもありません。

これが続いてくると、日本では必要不可欠な「言葉の裏を読む」という感覚が麻痺してきます。って言うか、はっきりしたYes、Noに慣れてくると「裏を読む」作業がとっても面倒くさくなってくるのです。

先日もこちらの邦人の方の間でちょっと相談事があったのですが、本人が「大丈夫だから」と言うので私はそのままにしておきました。ところが他の邦人の方の中には「そうは言っても」と食い下がる方がいらっしゃるのを見て、「大丈夫だって言ってるのに」と不思議な感じ方をしている自分に気づきました。

正直言ってこれが初めてじゃないんですよねー、そういう感じ方。一時帰国した際に知りあいと飲む機会があったりしても、「ああ、もういいから」と言ってるのに「まあまあもう少し」とか勧められて「要らねえって言ってるだろ!」とキレそうになったり、Yes、Noの曖昧さに苛々してきたり、と予兆は随分ありました。

自分で自覚しているよりもアイスランド化が進んでいたようで。

つまり、

パリで音楽を勉強していたXXさんと同化していたのですよ....(*_*)

かくしてワタシは「帰国子女」となりました...有吉君、スミマセン。 m(_ _)m


コメント
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