レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

「いやあ、人生は絶え間ないチャレンジですなあ...」の回

2023-06-10 01:26:44 | 日記
こんにちは/こんばんは。

前回、この春に経験した私の担当している教会からの礼拝のラジオ放送についての顛末をご紹介しました。書きたいことはまだまだあったのですが、そこまで仔細に描写していくとキリがなくなりそうだったので、かなり割愛しました。

ただ割愛組の中にも「これは別の脈絡の中で書いておかないと」と思えるものがあったので、今回はそのことをご紹介します。それはアイスランド語の学習に関することです。




清涼感アップ用ピック1
Myndin er eftir Shadman_sakib@unsplash_com


ラジオ礼拝の中でのお話し(教会では「説教」と呼びます。キリスト教の講話のようなもので、聖書の説明やキリストの教えについて語るものです)は、私が担当しました。

ラジオのリスナーのほとんどは高齢者のアイスランド人と推定されましたので、この部分を英語にすることは無理がありました。ちなみにRUVのラジオの放送の中で、例えば外国人のゲストが英語で話しをすることはもちろんあります。

そういう際には、まず英語の語りが始まり、その二、三秒後にその語りの音声が低くなり、アイスランド語のナレーションがそこに被さってきます。これは定番の「ラジオ版翻訳」のパターンなのですが、これでは「ナマ感」が損なわれてしまうので、ラジオ礼拝には不向き。

あとは英語で話した後でアイスランド語の訳を繰り返す、あるいはその逆、ということもメニュー上にはあります。ですが経験から分かっていることは、この仕方では十分(じゅっぷん)の話しが二十分に、十五分の話しが三十分になってしまうこと。これもラジオには不向きです。

と、いろいろ考えながら議論したのですが、最終的には「じゃあ、アイスランド語のみで」ということに落ち着きました。もともとアイスランドのラジオだし、別に大それたことをしているわけではなかろうと...

ただその結果として、話者となる私にはそれなりの負担がかかります。公共の電波に乗るわけですから、ある程度しっかりした内容のお話しを編まないといけませんし、しかもそれをアイスランド語でしなくては。

アイスランド語は知り合いの女性牧師の方に校正してもらい、さらにアニー牧師にお伺いをたてながら二度目のチェックしてもらいます。ここまでは前哨戦。本番は原稿が確定してからの「読み」です。




道端の綺麗な花 本文とは無関係
撮影byミー


あ、そうそう。こういう手順は別の今回が特別なことではなく、アイスランド語でお話しをする時には -教会の説教であっても他の種類のスピーチであっても- いつも繰り返しているものです。

読みの練習は、原稿に鉛筆で区切りをつけたり、強調点をマークしたり、難しい発音の単語がある場合にはそれを特に練習したりしながら進めます。

大体、いつもは二十回の音読をすることにしています。これって結構の労働になります。15分のお話しを十回読むと150分、二十回で300分かかる単純計算。5時間の作業ですね。それを、チェックしたり発音を繰り返したりしながら進めるので、丸一日以上は必ずかかります。

今回もそのようなマニュアルに乗っ取って作業を進めました。ただ、前回アイスランド語で説教をしたのは、コロナの時期を超えて五年くらい前になります。難民の人たちとの英語での集会を2015年に始めてからは、そちらに手一杯で、普通のアイスランド語礼拝に参加する機会が減っていたのでした。

とにかく準備が終わり、礼拝を録音することに。まあ、つつがなく終わり一安心。音楽とかを含めて、全体がとても良い雰囲気で進んだので、録音終了時にはかなり「ヤッター!」感がありました。

録音から四日目の4月30日の日曜日に、この礼拝が「生放送」のようなテイで流されました。

聞き終わりました。全体としては期待通り、生き生きとした雰囲気が伝わってきて良い礼拝だったと思います。ただし、ワタシはがっかりしました。ワタシのしょうもないアイスランド語に... (泣... ... )

理解できないわけではないのです。聴くに耐えない、ということもないのです。ただ、なんというか... あれは「アイスランド語ではない」ということ。

私がアイスランド語で担当したのは、聖書の中の福音書と呼ばれるテキストの朗読、次いで使徒信条と呼ばれるキリスト教の内容の凝縮版のようなものの唱和のリード、そして説教でした。

このうち、聖書朗読と信条のリードはまったく問題ないのです。良くなかったのは説教部分だけでした。




清涼感アップ用ピック2
Myndin er eftir Jonathan_ybema@unsplash–com


どういうことが原因でアイスランド語らしく聞こえなくしているのだろう?ということを考えながら何度もネットで聴きかえしました。(ネットでは一年間アクセスが可能です。ただし国外からはアクセスできません、残念ながら)

問題はですねえ、個々の単語の発音ではなく、まとまったスピーチとしてのリズムなんです。「リズムなんです」っていうか、「リズムがないんです」ということです。このリズムは各々の単語のどこにアクセントを置くか、つまり語の強弱やトーンにも関係しています。平均的日本人はどうしても、すべてを平坦にフラットに発音してしまう癖を持っています。強弱をつけた発音は練習、いや訓練しないと身につきません。

またリズムのなさは、いかに私が普段からアイスランド語のきちんとしたスピーチを聞いていないか、ということにも由来します。聞いていないから頭にモデルが入ってこない。頭の中に「モデル」がないからイメージがそもそもないんですよね。

このことについては、以前書いたことがあるのですが、どこかに埋もれてしまい発見できません。

これはですねえ、例えば英語だとすると、誰かしらあこがれる俳優とか映画のシーンがあるじゃないですか。それが、頭に焼き付いて気づかずうちに「モデル」になるんですよ。「ボンドみたいに喋ろう」「スティーブ・ジョブズみたいにスピーチしよう」とか。そういうモデルが、アイスランド語に関してはないのです、私の頭の中には。

まあ、それはそれとして、今回の説教。良い内容だったのに、このプレゼンではワタシは「F」を付けます。Fall - 落第。アニー牧師をはじめ、周囲の人たちは「そんなに自分に厳しくしなくても、ちゃんと理解できたし」とか言ってくれますが、ワタシ、最近ここに来たわけではないですからね。30年以上ですよ。




何事もチャレンジが必要 スマホのゲームも...


はっきりしたことは、自分の力ではこれ以上にはなれないということ。誰か専門科で、発音やイントネーションを矯正できる人に付いて、教えてもらわなければ先には進めません。

とうわけで、今年の夏用の課題ができました。アイスランド語スピーチの改善。内容ではなく、発音とプレゼン。このままでは終わりたくない。

ちょっとだけ付け加えておきますが、これ英語でも大切な問題だと思います。英語学習のYoutubeを時々見るのですが、英語でも英語のリズムというものがあり、それによって、単語同士の発音が同化したり、消えてなくなったりするから、このリズムを習得することはとても大切なんだそうで。


気になる方は「だいじろー Daijiro」さんのチャンネルへ。

これはホントだと思います。この点のアイスランド語版がワタシの課題なのです。チャレンジ!  まだ続くんかい... (^-^;


*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。

藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com

Church home page: Breidholtskirkja/ International Congregation
Facebook: Toma Toshiki
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« Making ラジオ礼拝 | トップ | 「裾野から山を描写しようと... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

日記」カテゴリの最新記事