小国アイスランドの目を見張るほどアクティブな書籍文化探訪の三回目です。今回のトピックは「自費出版」。アイスランドは「超」をつけてもいいほどの自費出版王国なんです。
国の統計局が出す資料によりますと毎年大体平均して住民1.000人につき6冊の本が出版されています。この数を累計していきますと、例えば20年間では住民1.000人につき120冊の本が出版されたことになります。
一方、アイスランドの人口は過去数十年で大体30万人弱から30万人強へと増加しています。実際に生きている人は代謝していきますが人口総数としては安定しています。20年間という期間を取ってみても人口数にはそう変化はありません。
20年間で1.000人につき120冊の本が出版されているのですから、それはつまり10人につき1冊強となります。ですから統計的には20年間の間に10人にひとりが1冊本を出版すると言うことができます。これはかなりの数ですよね。
実際に周囲に尋ねてみても自費出版の経験を持つ人は確かに10人にひとりくらいのペースでいるようです。ということはそんなに特別なことではない、ということです。
「本は読むだけのものではない。自分でも出すものだ」そういう気風がアイスランドの活発な書籍文化の底辺にあると思うのですが、実際にはそれはどのようにして現れるのでしょうか?典型的な例を挙げてみましょう。
アイスランドで安定した人気のある書籍の分野に「自叙伝」「伝記」というものがあります。日本の皆さんはこのジャンルでどのような人を想像されるでしょうか?おそらくは子供の頃なら野口英世やヘレン ・ケラー、最近の人ならオバマ大統領や故スティーブ・ジョブ氏、すこしくだけてもイチローとか人気アイドルなのではないかと思います。要するに「相当」な人たちでしょう。
アイスランドでは違います。市内の書店の方にお話しを伺ったのですが「アイスランド人は不思議なメンタリティを持ってるから。どっかの農夫でも自伝を出すことがあるし、実際私の感覚では自伝ジャンルの半数以上は普通の何でもない人のものだと思いますよ」
たまたま書店にあった本を手に取ってみると、それは西部のフィヨルドの町のお医者さんの自叙伝でした。お店の人に訊いてみましたが、全然有名人でも何でもない人でした。
それでもアイスランドの人たちはそのような自叙伝を笑ったりはしません。みんな中がというわけではなくとも読む人がいるのです。なぜでしょうか?そこには私たちがジョン・レノンやヒデキ・マツイの伝記、自叙伝を読むのとは異なった視点があるのです。
それは別にすごい人から何かを学ぶためではない。ただ他の人が自分とは違った、どんな人生を送ってきたのだろうか、という関心です。その人の生活が自分の生活とどこかで繋がっているかもしれないという興味です。もし何の接点もなかっとしても、今度その人と接点のある別の誰かに出会うかもしれない。
小さな社会ならではのことでしょうが、そのような視点もあるんだなあ、と感じます。ワタシなど読書から実利的な益を求め過ぎているかもしれない、と反省。知らぬ間にゆとりがなくなっているのかも。
読書のための静かなひと時のある一日は、確かにゆとりのある生活の第一歩かもしれませんね。
国の統計局が出す資料によりますと毎年大体平均して住民1.000人につき6冊の本が出版されています。この数を累計していきますと、例えば20年間では住民1.000人につき120冊の本が出版されたことになります。
一方、アイスランドの人口は過去数十年で大体30万人弱から30万人強へと増加しています。実際に生きている人は代謝していきますが人口総数としては安定しています。20年間という期間を取ってみても人口数にはそう変化はありません。
20年間で1.000人につき120冊の本が出版されているのですから、それはつまり10人につき1冊強となります。ですから統計的には20年間の間に10人にひとりが1冊本を出版すると言うことができます。これはかなりの数ですよね。
実際に周囲に尋ねてみても自費出版の経験を持つ人は確かに10人にひとりくらいのペースでいるようです。ということはそんなに特別なことではない、ということです。
「本は読むだけのものではない。自分でも出すものだ」そういう気風がアイスランドの活発な書籍文化の底辺にあると思うのですが、実際にはそれはどのようにして現れるのでしょうか?典型的な例を挙げてみましょう。
アイスランドで安定した人気のある書籍の分野に「自叙伝」「伝記」というものがあります。日本の皆さんはこのジャンルでどのような人を想像されるでしょうか?おそらくは子供の頃なら野口英世やヘレン ・ケラー、最近の人ならオバマ大統領や故スティーブ・ジョブ氏、すこしくだけてもイチローとか人気アイドルなのではないかと思います。要するに「相当」な人たちでしょう。
アイスランドでは違います。市内の書店の方にお話しを伺ったのですが「アイスランド人は不思議なメンタリティを持ってるから。どっかの農夫でも自伝を出すことがあるし、実際私の感覚では自伝ジャンルの半数以上は普通の何でもない人のものだと思いますよ」
たまたま書店にあった本を手に取ってみると、それは西部のフィヨルドの町のお医者さんの自叙伝でした。お店の人に訊いてみましたが、全然有名人でも何でもない人でした。
それでもアイスランドの人たちはそのような自叙伝を笑ったりはしません。みんな中がというわけではなくとも読む人がいるのです。なぜでしょうか?そこには私たちがジョン・レノンやヒデキ・マツイの伝記、自叙伝を読むのとは異なった視点があるのです。
それは別にすごい人から何かを学ぶためではない。ただ他の人が自分とは違った、どんな人生を送ってきたのだろうか、という関心です。その人の生活が自分の生活とどこかで繋がっているかもしれないという興味です。もし何の接点もなかっとしても、今度その人と接点のある別の誰かに出会うかもしれない。
小さな社会ならではのことでしょうが、そのような視点もあるんだなあ、と感じます。ワタシなど読書から実利的な益を求め過ぎているかもしれない、と反省。知らぬ間にゆとりがなくなっているのかも。
読書のための静かなひと時のある一日は、確かにゆとりのある生活の第一歩かもしれませんね。