こんにちは/こんばんは。不定期更新のトーマです。(^-^;

清涼感アップ用ピック
Myndin er eftir Davide_Cantelli@unsplash_com
この夏、アイスランドでは五月は天候が良く、平均気温も例年を上回りました。前回触れましたが、ワタシはその間札幌に行っていましたので、ほとんど部外者でした。
帰ってくると、六月は悪夢の冷夏。アイスランドの多くの地域で六月の平均気温が五月以下というありさま。そしてレイキャビクの六月の平均気温はなんと8,8度で、これは1991年から2020年までの三十年間の月間平均気温以下だったとのこと。なんと、なんと。
せめてもの救いは、私は五月に夏休みの早取りをすることになったので、六月から七月はずっと仕事で、冷夏をそれほど気にする必要がなかったことです。いや、逆にほくそ笑んでいたかな?周りが好天でバカンスしてるのに自分だけお仕事、というのは悔しいですからね。
ところがそういう中にも、まれに「夏!」がきたりします。この一週間は気温が上がり15度を超えてきました。三日前の月曜日、予報では最高気温23度! 日本では「涼しいなあ」でしょうが、こちらでは「XXX」級の夏日なのです。
それでも「20度越え」の予報が出ていながら、実際には全然及ばなかった、という経験も何度もしてきましたので、月曜前の週末にもぬか喜びはしていませんでした。
幸いなことに?今回は本当に天気が良く気温も上がってくれ、月曜午後4時には確かに20度には達していました。一日中、ほとんど日が沈まないこの時期、こちらでは夕方からさらに気温が上がっていきます。だから22-3度になったのかもしれません。
この月曜日、ワタシは日曜の振替休日(ワタシらは日曜日はお仕事です)でもよかったのですが、せっせとお仕事に励み、バカンスとはなりませんでした。まあ、それでも太陽光が降り注ぐとそれだけでハッピーマインドになりますね。

夏日(アイスランド基準)週間予報
Myndin er ur Vedur.is

実際に20度確認!
Mic by Me
さて、今回は以前にブログでご紹介した出来事の「顛末」というか「進捗」について「追い」紹介したいと思います。
ひとつ目は昨年の十二月に書きました「『名の知れぬ船員』の軌跡」の続き。
「『名の知れぬ船員』の軌跡」
これは第二次対戦中、アイスランド北西部の海岸沖で戦死した若い船員の遺体がアイスランドの漁船によって回収され、「名も知れぬ船員」としてフラーテリの町の墓地に埋葬されていたものです。
毎年六月の第一週にある「船員(漁民)の日」には町の人により花が墓前に添えられてきました。
ご遺体の回収から八十年以上経った頃になり、ノルウェー政府がこの「名の知れぬ船員」さんが、ノルウェー海軍兵として従軍していたSigurds Arvids Nilsensシーグルズ・アルヴィズ・ニルセンさん(享年23歳)であると発表。「次の夏にはきちんと名を記した墓碑を建てる」としていました。
そして、その墓碑の建立が実際になされたようで、先日(7月4日)のモルグンブラウジィズ紙の一面に大きな写真が掲載されていました。
記事はなかったのですが、写真の説明書きによると、フラーテリの町で式典が催され、町長や地元の牧師の他、シーグルズさんの遺族、ノルウェー大使、ノルウェー海軍の代表、ノルウェーの「戦災墓碑サービス」の代表らが列席したそうです。
私自身は全然お墓とかに執着する人ではないのですが、このニュースを見てなにかホッとさせられました。「一件落着」という言葉は不適切でしょうが、なんというかあるべきところに物事が収まった、みたいな。シーグルズさんの魂が平安の中にありますよう。

墓碑の建立のセレモニーから
Myndin er ur Morgunbladid
「進捗」のあったもうひとつの出来事は、今年の5月3日に書いた「最近参加した抗議集会」に関するもの。
「最近参加した抗議集会」
これは、父親と共にコロンビアからギャングの手を逃れてきた少年カルロス君が、アイスランドでの滞在を拒否されたことに端を発したものでした。複雑ななりゆきですので、詳しいことはその時のブログを読んでいただければ幸いです。
カルロス君のアイスランドでの養父母となったシンドリさん、シグルンさんはカルロス君のためにアイスランドでの市民権を申請していました。
市民権という事柄については、これはこれで大きな問題なので、ここでは深く入れません。ただカルロス君のような立場の人でも市民権を申請することはできます。その申請がアイスランド国会で承認されれば市民権を得ることができるのです。
そのようにして市民権を得た第一例があのボビー・フィッシャーさんですよ。元チェスの世界チャンピオンで、その後日本で不法滞在の故に入管にの施設に収監され、その際にアイスランド国会が市民権の付与を可決し、こちらに移送されてきたのです。
なぜアイスランドがフィッシャーさんに市民権を付与したかというと、1972年にフィッシャーさんが当時の世界チャンピオンのボリス・スパスキーさんに挑戦し、勝利して新チャンピオンになったのですが、その対局がレイキャビクでなされたのです。
以来、アイスランド人はフィッシャーさんに好意を持ち「私たちの友人」みたいな扱いができていました。はっきり言って私にはよく理解できませんが。

晴れてアイスランド人となったカルロス君
Myndin er ur Ruv.is
とにかく、すごく長い待ち時間を経て、カルロス君はアイスランド国会の承認を得、晴れてアイスランド人となりました。今週の月曜日のことです。
市民権の付与のシステムについてはともかくとして、カルロス君の個人にとっては良い結末であり、そのために身を削ってきたシンドリ・シグルンさん夫妻とご家族にも幸いな顛末となりました。
その時の私のブログに:「思いやり、優しさ、ヒュマニティでは国は治められない」という意見が強まっていますが、「思いやり、優しさ、ヒューマニティ」がない国ってどんな国でしょうか?
世界の広範な領域において悲惨な現実が露見していることは誰でも承知しています。「思いやり、優しさ、ヒューマニティ」があるから「それにもかかわらず」私たちはなんとかやっていけているのです。:と書きましたが、幸いにもここではまだヒューマニティが残っていたようです。神と人に感謝。
今回はこれまでのブログの紹介記事のフォローアップだけになってしまいましたが、私の生活の中で「最近のアップデート」もありますので、近いうちにそちらの方もご紹介したいと思っています。
日本では「夏本番」でしょうが、くれぐれも熱中症とゲリラ豪雨に気をつけてお過ごしください。
*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Church home page: Breidholtskirkja/ International Congregation
Facebook: Toma Toshiki

清涼感アップ用ピック
Myndin er eftir Davide_Cantelli@unsplash_com
この夏、アイスランドでは五月は天候が良く、平均気温も例年を上回りました。前回触れましたが、ワタシはその間札幌に行っていましたので、ほとんど部外者でした。
帰ってくると、六月は悪夢の冷夏。アイスランドの多くの地域で六月の平均気温が五月以下というありさま。そしてレイキャビクの六月の平均気温はなんと8,8度で、これは1991年から2020年までの三十年間の月間平均気温以下だったとのこと。なんと、なんと。
せめてもの救いは、私は五月に夏休みの早取りをすることになったので、六月から七月はずっと仕事で、冷夏をそれほど気にする必要がなかったことです。いや、逆にほくそ笑んでいたかな?周りが好天でバカンスしてるのに自分だけお仕事、というのは悔しいですからね。
ところがそういう中にも、まれに「夏!」がきたりします。この一週間は気温が上がり15度を超えてきました。三日前の月曜日、予報では最高気温23度! 日本では「涼しいなあ」でしょうが、こちらでは「XXX」級の夏日なのです。
それでも「20度越え」の予報が出ていながら、実際には全然及ばなかった、という経験も何度もしてきましたので、月曜前の週末にもぬか喜びはしていませんでした。
幸いなことに?今回は本当に天気が良く気温も上がってくれ、月曜午後4時には確かに20度には達していました。一日中、ほとんど日が沈まないこの時期、こちらでは夕方からさらに気温が上がっていきます。だから22-3度になったのかもしれません。
この月曜日、ワタシは日曜の振替休日(ワタシらは日曜日はお仕事です)でもよかったのですが、せっせとお仕事に励み、バカンスとはなりませんでした。まあ、それでも太陽光が降り注ぐとそれだけでハッピーマインドになりますね。

夏日(アイスランド基準)週間予報
Myndin er ur Vedur.is

実際に20度確認!
Mic by Me
さて、今回は以前にブログでご紹介した出来事の「顛末」というか「進捗」について「追い」紹介したいと思います。
ひとつ目は昨年の十二月に書きました「『名の知れぬ船員』の軌跡」の続き。
「『名の知れぬ船員』の軌跡」
これは第二次対戦中、アイスランド北西部の海岸沖で戦死した若い船員の遺体がアイスランドの漁船によって回収され、「名も知れぬ船員」としてフラーテリの町の墓地に埋葬されていたものです。
毎年六月の第一週にある「船員(漁民)の日」には町の人により花が墓前に添えられてきました。
ご遺体の回収から八十年以上経った頃になり、ノルウェー政府がこの「名の知れぬ船員」さんが、ノルウェー海軍兵として従軍していたSigurds Arvids Nilsensシーグルズ・アルヴィズ・ニルセンさん(享年23歳)であると発表。「次の夏にはきちんと名を記した墓碑を建てる」としていました。
そして、その墓碑の建立が実際になされたようで、先日(7月4日)のモルグンブラウジィズ紙の一面に大きな写真が掲載されていました。
記事はなかったのですが、写真の説明書きによると、フラーテリの町で式典が催され、町長や地元の牧師の他、シーグルズさんの遺族、ノルウェー大使、ノルウェー海軍の代表、ノルウェーの「戦災墓碑サービス」の代表らが列席したそうです。
私自身は全然お墓とかに執着する人ではないのですが、このニュースを見てなにかホッとさせられました。「一件落着」という言葉は不適切でしょうが、なんというかあるべきところに物事が収まった、みたいな。シーグルズさんの魂が平安の中にありますよう。

墓碑の建立のセレモニーから
Myndin er ur Morgunbladid
「進捗」のあったもうひとつの出来事は、今年の5月3日に書いた「最近参加した抗議集会」に関するもの。
「最近参加した抗議集会」
これは、父親と共にコロンビアからギャングの手を逃れてきた少年カルロス君が、アイスランドでの滞在を拒否されたことに端を発したものでした。複雑ななりゆきですので、詳しいことはその時のブログを読んでいただければ幸いです。
カルロス君のアイスランドでの養父母となったシンドリさん、シグルンさんはカルロス君のためにアイスランドでの市民権を申請していました。
市民権という事柄については、これはこれで大きな問題なので、ここでは深く入れません。ただカルロス君のような立場の人でも市民権を申請することはできます。その申請がアイスランド国会で承認されれば市民権を得ることができるのです。
そのようにして市民権を得た第一例があのボビー・フィッシャーさんですよ。元チェスの世界チャンピオンで、その後日本で不法滞在の故に入管にの施設に収監され、その際にアイスランド国会が市民権の付与を可決し、こちらに移送されてきたのです。
なぜアイスランドがフィッシャーさんに市民権を付与したかというと、1972年にフィッシャーさんが当時の世界チャンピオンのボリス・スパスキーさんに挑戦し、勝利して新チャンピオンになったのですが、その対局がレイキャビクでなされたのです。
以来、アイスランド人はフィッシャーさんに好意を持ち「私たちの友人」みたいな扱いができていました。はっきり言って私にはよく理解できませんが。

晴れてアイスランド人となったカルロス君
Myndin er ur Ruv.is
とにかく、すごく長い待ち時間を経て、カルロス君はアイスランド国会の承認を得、晴れてアイスランド人となりました。今週の月曜日のことです。
市民権の付与のシステムについてはともかくとして、カルロス君の個人にとっては良い結末であり、そのために身を削ってきたシンドリ・シグルンさん夫妻とご家族にも幸いな顛末となりました。
その時の私のブログに:「思いやり、優しさ、ヒュマニティでは国は治められない」という意見が強まっていますが、「思いやり、優しさ、ヒューマニティ」がない国ってどんな国でしょうか?
世界の広範な領域において悲惨な現実が露見していることは誰でも承知しています。「思いやり、優しさ、ヒューマニティ」があるから「それにもかかわらず」私たちはなんとかやっていけているのです。:と書きましたが、幸いにもここではまだヒューマニティが残っていたようです。神と人に感謝。
今回はこれまでのブログの紹介記事のフォローアップだけになってしまいましたが、私の生活の中で「最近のアップデート」もありますので、近いうちにそちらの方もご紹介したいと思っています。
日本では「夏本番」でしょうが、くれぐれも熱中症とゲリラ豪雨に気をつけてお過ごしください。
*これは個人のプライベート・ブログであり、公的なアイスランド社会の広報、観光案内、あるいはアイスランド国民教会のサイトではありません。記載内容に誤りや不十分な情報が含まれることもありますし、述べられている意見はあくまで個人のものですので、ご承知おきください。
藤間/Tomaへのコンタクトは:nishimachihitori @gmail.com
Church home page: Breidholtskirkja/ International Congregation
Facebook: Toma Toshiki
>カルロス君、よかったですね。おめでとうございます。行動した甲斐がありましたね。私... への返信
kuwasanさん、
いつもコメントありがとうございます。
アフガンの方も良かったですね。おめでとうございます。ただ普通に生きていく権利を得るのでさえ、何重のハードルを超えていかなければならない人が多いことに、心重くなります。
まだまだ暑い日本、健康に気をつけてお過ごしください。
その分、(多くの他の人たちと共に)支える努力が実を結ぶのを体験できることは、恵みであり力の素だと思います。