日本ではゴールデンウィークが始まる前、心浮き立つ時期だと思います。アイスランドでも心浮き立つというか、心騒ぎ立つ日々の最中となっています。国会選挙がもうすぐ27日の土曜日に行われるのです。
さてアイスランドの国会はアルシンキと呼ばれます。「アル」は「全」、「シンキ」は「審議」を意味しますから「全審議会」というような意味でしょうか?
アルシンキは紀元930年に創設されました、というか第一回の会が開かれました。開かれたのはあの「地球の裂け目」と呼ばれ、北米大陸とヨーロッパ大陸の境界となっているというシンクヴェットルです。ちなみにシンクヴェットルというのは「審議の平原」を意味します。
この歴史からなんとかお国自慢を発掘したいアイスランド人は「アイスランドは世界初の民主主義議会の歴史を持つ」ということを言うのが好きです。あえてコメントしません... (^-^;
ここで歴史に入ると出口が見えなくなりますので、今回は現代に飛びます。アルシンキは一院制で4年任期です。現在の定数は63。32万人を63人で代表していることになります。選挙区は全部で六つ。北西部、北東部、南部、南西部、そして北レイキャビク、南レイキャビクとなります。
アルシンキは律儀に4年サイクルで選挙をしてきましたし、日本ではいつも声高く叫ばれる「解散」という言葉も聞いたことがなかったので、任期途中での解散はないものだと思っていました。
ところがそういうわけでもなく、経済崩壊直後の2009年には、当時の議員がまだ任期を半分残していたにもかかわらず選挙となりました。ただ、それは国政を取り巻く状況が経済危機により著しく変わってしまったため民意を問う、という話し合いの結果であり、日本でのように解散を駆け引きの切り札として使うというような「政治技」ではなかったと理解しています。
さて政治だ、選挙だというと日本では「関心ないよー」という現象がまだ私が日本にいた頃からずーっと続いているように思います。これは無理もないですよね。日本のような選挙民数の中での「清き一票」は大海に小石を投ずるような気になってしまいますよね。(ワタシ、もともとは政治学の専攻で大学時代はずいぶん政党や選挙にも参加しました。)
アイスランドでは政治参加意識は相当高いものがあります。いつも同じことの繰り返しになりますが、小さい社会なのでひとりの発言、提案がものごとを変えることがありえますし、その過程を目の当たりにすることができます。
それがあるならば、そうしらけた意識にはならないで済むようです。
今回の選挙はいつにも増して関心が高いような気がします。それにも理由があります。前回の選挙は経済崩壊の直後の大混乱の中でしたが、今回は少し落ち着きが戻り、それでも各家庭のローンの問題や借金苦などいまだ改善されておらず、かつ切実な問題がくっきりと選挙の争点として浮かび上がっているからです。
現在「春の珍事」?(あ、こりゃ失礼 m(_ _)m )として起っていることは、各家庭の借金を全て帳消しにする、という公約を掲げた進歩党(現有議席9)が40%近い支持を得ていて議席数30になるか?というリサーチが出ていることです。
そうなるとちょっと困るかも...という危惧もあります。それは次回説明できればと思います。
政治のトップと庶民の距離が短いことはとてもいいことだと思うのですが、反面「本当にコイツで大丈夫なのかなあ...?」と疑い始めると底なしの恐ろしさが涌いてきてしまいます。そうなると「だったら自分が」という思考回路が動き出すようで。
まあ、ここでは政治が開かれた領域であることは確かだと思います。
さてアイスランドの国会はアルシンキと呼ばれます。「アル」は「全」、「シンキ」は「審議」を意味しますから「全審議会」というような意味でしょうか?
アルシンキは紀元930年に創設されました、というか第一回の会が開かれました。開かれたのはあの「地球の裂け目」と呼ばれ、北米大陸とヨーロッパ大陸の境界となっているというシンクヴェットルです。ちなみにシンクヴェットルというのは「審議の平原」を意味します。
この歴史からなんとかお国自慢を発掘したいアイスランド人は「アイスランドは世界初の民主主義議会の歴史を持つ」ということを言うのが好きです。あえてコメントしません... (^-^;
ここで歴史に入ると出口が見えなくなりますので、今回は現代に飛びます。アルシンキは一院制で4年任期です。現在の定数は63。32万人を63人で代表していることになります。選挙区は全部で六つ。北西部、北東部、南部、南西部、そして北レイキャビク、南レイキャビクとなります。
アルシンキは律儀に4年サイクルで選挙をしてきましたし、日本ではいつも声高く叫ばれる「解散」という言葉も聞いたことがなかったので、任期途中での解散はないものだと思っていました。
ところがそういうわけでもなく、経済崩壊直後の2009年には、当時の議員がまだ任期を半分残していたにもかかわらず選挙となりました。ただ、それは国政を取り巻く状況が経済危機により著しく変わってしまったため民意を問う、という話し合いの結果であり、日本でのように解散を駆け引きの切り札として使うというような「政治技」ではなかったと理解しています。
さて政治だ、選挙だというと日本では「関心ないよー」という現象がまだ私が日本にいた頃からずーっと続いているように思います。これは無理もないですよね。日本のような選挙民数の中での「清き一票」は大海に小石を投ずるような気になってしまいますよね。(ワタシ、もともとは政治学の専攻で大学時代はずいぶん政党や選挙にも参加しました。)
アイスランドでは政治参加意識は相当高いものがあります。いつも同じことの繰り返しになりますが、小さい社会なのでひとりの発言、提案がものごとを変えることがありえますし、その過程を目の当たりにすることができます。
それがあるならば、そうしらけた意識にはならないで済むようです。
今回の選挙はいつにも増して関心が高いような気がします。それにも理由があります。前回の選挙は経済崩壊の直後の大混乱の中でしたが、今回は少し落ち着きが戻り、それでも各家庭のローンの問題や借金苦などいまだ改善されておらず、かつ切実な問題がくっきりと選挙の争点として浮かび上がっているからです。
現在「春の珍事」?(あ、こりゃ失礼 m(_ _)m )として起っていることは、各家庭の借金を全て帳消しにする、という公約を掲げた進歩党(現有議席9)が40%近い支持を得ていて議席数30になるか?というリサーチが出ていることです。
そうなるとちょっと困るかも...という危惧もあります。それは次回説明できればと思います。
政治のトップと庶民の距離が短いことはとてもいいことだと思うのですが、反面「本当にコイツで大丈夫なのかなあ...?」と疑い始めると底なしの恐ろしさが涌いてきてしまいます。そうなると「だったら自分が」という思考回路が動き出すようで。
まあ、ここでは政治が開かれた領域であることは確かだと思います。