レイキャビク西街ひとり日誌 (Blog from Iceland)

北の小さな島国アイスランドはレイキャビクの西街からの、男独りブログです。

SNと「どこでもドア」

2013-01-16 06:00:00 | 日記
ソーシャル・ネットワーク・ハラスメントが日本では増えて来ている、ということに関して前回書きましたが、それに関連して思ったことです。

ここで「日本では」という言い回しがかなり曲者であることをまず認めなくてはなりません。日本の人口、減少中とは言え超一億。人々の生活様式もかなり広範に渡っているはずです。一個人が「日本では」という場合も、大抵の場合はその人が了解している範囲での日本、というのが実際だと思います。

例えば「日本の職場では」と言っても、ベッドタウンに住んでいて大中の企業のオフィスへ通う人、家族経営のような小企業、町のお店屋さん、夜の商売の方、芸能関係の方等では相当様子が違うと思うのです。

と言う前置きをした上ですが、私は大学を卒業してから三年間ほど新橋でサラリーマンをしていました(私のイメージでは新橋こそサラリーマンの枕詞です。後年はユリカモメなんかもあって、随分イメチェンしてしまいましたが)。小さな財団法人でしたが、実際は普通の営業をする会社のようなものでした。

で、その時の体験からすると、私にとっては「職場」は「職場」、「プライベート」は「プライベート」でほとんど重なるところがなかった気がします。職場の同僚が家に遊びに来たこともないし、休日にどこかへ遊びに行ったこともありません。

なぜかと思ったら、家から新橋までは中央線のほぼ端から端まで乗って、乗り換え。片道約二時間の道のり。会社帰りの一杯は年中でしたが、一度家に帰ったらそこは別の世界、という感じだった気がします。生活のポリシー云々よりも、まず距離がものを言っていたと言うか。

そういう当時にあって、もし仮にFacebookがあったとしたら、どうだったかなあ?と考えます。このソーシャル・ネットワークという物理的な距離を無視し、かつ人間史的な時間をも越えるコミュニケーションは、どうやってあの「職場」と「プライベート」に二分割された生活に迫って来たのかなあ?と。

考えてみると、いきなり「どこでもドア」が現れたみたいで困惑するかもしれませんね?自分が行きたいとこへアクセスできるのは都合がいいでしょうが、逆に相手が勝手に自分の場所と時間に出没されるのは... 現在、「職場」と「プライベート」を区別して生活を組み立てている方々はどのようにこの「どこでもドア」に対処しているのでしょうか?

こうして考えてみると、Facebook等でのソーシャル・ネットワーク・ハラスメントというのは、決して軽いものではないなと思い着きます。

この点、アイスランドではどうなのか?限られた私見ですが、それについては次回書きます。
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