楊貴妃の幼名は「玉環」と言います。
玉には神霊が宿るとされ、中国では女子に好んで付けられます。
成人する前に、両親を亡くした玉環は、楊氏に引き取られて育ちました。
楊氏は、蜀の地方官で、それなりに裕福な暮らしだったと思います。
さて、玉環の美貌を見初めた若き寿王が、まだ17歳だった彼女を妃にします。
ところが、その5年後、寿王の父である玄宗皇帝が「なんちゅー美女だ!」と横取り!!
35歳の年齢差を無視しつつ、息子の嫁を略奪するなんて、玄宗、無茶苦茶です。
初めは、後宮三千人の中の一人に過ぎなかった楊貴妃ですが、
ライバルをぶち抜いて、一身に玄宗皇帝の寵愛を受けるようになりました。
それと同時に、楊氏一族もどんどん出世していったんですね・・。
ただし、ここで書いておきたいのは、玄宗皇帝が、夜の色事でも皇帝だった事です。
楊貴妃を娶る前に、すでに男29人女30人の子供がおりました。
玄宗皇帝・・・やはり、なんとか皇帝液とか飲んでいたのでしょうか?
最高権力を持ってやりたい放題、贅沢三昧、美女3000人と楊貴妃がいて・・男にとっては夢の世界ですね。
まあ、なにはともあれ、こうして玉環(楊貴妃)は、超のつく玉の輿になったわけです。
今回、幼い頃の玉環を描こうとしたら、「霊幻道士」のテンテンちゃんに似てしまいました(笑)
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