安禄山の乱によって、長安に危機が迫り、
玄宗皇帝と楊貴妃たちは、密かに長安からの脱出を計ります。
これを計画したのは、楊国忠という人物。
彼は、楊貴妃の親族(従兄?)で、時の権力者にのし上がっていました。
この楊国忠に反旗を翻したのが、力をつけてきた安禄山です。
つまり、安禄山と陽国忠の権力闘争が、武力衝突の形となったわけです。
この長安脱出を「玄宗蜀幸」と言います。
蜀は、楊氏一族の故郷で味方も多く、逃げ延びるには絶好の土地でした。
しかし、この逃避行は失敗に終わります。
急な脱出で、食料も満足に与えられなかった兵士たちが、極限の疲労と空腹でキレたようです。
楊貴妃は、逃避行の途中で、絞殺されてしまいました。
楊貴妃38歳、西暦756年6月14日の事でした。
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