玄宗皇帝一行と、蜀への逃避行の途中、
楊貴妃は、命を絶たれます。
安禄山の軍隊は無敵で、楊一族の敗北は決定的であり、
同族である楊貴妃を、皇帝の側に置くわけにはいかなくなったんですね。
楊貴妃は、存在を疎まれて絞殺されてしまいました。
これを進言したのは、皇帝の側近中の側近、高力士という人物です。
楊貴妃は、何も悪いことはしていないのですが、
中国の歴史においては、親族が一人残らず処刑される例が多々あります。
タイトルの「天上にありては」は、『長恨歌』(作者・白楽天)の中に描かれているもので、
楊貴妃が、玄宗皇帝に、愛をこめて誓った言葉です。
これは、あくまで白楽天の創作なのですが、夫婦の永遠の契りを誓う言葉です。
「天上に在りては、比翼の鳥となりたい。地上に在りては、連理の枝となりたい」
楊貴妃、享年38歳・・ちなみにクレオパトラは39歳で亡くなりました。
こういうところから、美女薄命という言葉が生まれたのかもしれません。
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