子供と向き合う時に、「この子供は、天才だ! 無限の可能性を秘めている」と、自然に思っている自分を発見しました。(^^;ゞ
そう思うと、「その子供」がとてもいとおしく思えて、「なんでも、いうことを聴いてあげよう」という気になるのです。
そうすると、子供はますます調子に乗って、色々な要求をしてくるのですが、
それを叶えてあげることが、また楽しいのです。(^^;ゞ これが「愛」のような気がします。
そして、その要求の多くが、その場においては、絵を描くことだったり、楽器を鳴らすことだったりするのです。
絵や楽器には、ワクワク感があるのです。(^^;ゞ
★子供に対しては、「この子供は、天才だ!」と思って付き合えるのに、大人に対して、そう思えないのは、
「私の不徳の致すところ」(笑)なのです。
要するに、「大人」に対しては、「人類即神也」と思って付き合えない、愛情深く接しられないというのが、「いまの私」の心情なのです。(^^;ゞ
でも、それに気づくことかが出来れば、子供に対してと同じように、「その人は天才だ!」と思って付き合える、接しられると思うのです。 (^^;ゞ
★だれでもが、「神のように、愛深く、完全完璧であり、何物にも把らわれない存在」に成り得るのです。 (*^_^*)
そう思うと、「その子供」がとてもいとおしく思えて、「なんでも、いうことを聴いてあげよう」という気になるのです。
そうすると、子供はますます調子に乗って、色々な要求をしてくるのですが、
それを叶えてあげることが、また楽しいのです。(^^;ゞ これが「愛」のような気がします。
そして、その要求の多くが、その場においては、絵を描くことだったり、楽器を鳴らすことだったりするのです。
絵や楽器には、ワクワク感があるのです。(^^;ゞ
★子供に対しては、「この子供は、天才だ!」と思って付き合えるのに、大人に対して、そう思えないのは、
「私の不徳の致すところ」(笑)なのです。
要するに、「大人」に対しては、「人類即神也」と思って付き合えない、愛情深く接しられないというのが、「いまの私」の心情なのです。(^^;ゞ
でも、それに気づくことかが出来れば、子供に対してと同じように、「その人は天才だ!」と思って付き合える、接しられると思うのです。 (^^;ゞ
★だれでもが、「神のように、愛深く、完全完璧であり、何物にも把らわれない存在」に成り得るのです。 (*^_^*)