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21788、フィリピン財閥の一覧、分かり易い!家族資本制というべきか、韓国も同様な社会

2013年07月16日 20時29分08秒 | thinklive

*アジアは華僑的家族資本制と地場大地主資本制、軍階層的資本制の混合?

*三菱はアヤラ、ソリアの両財閥との関係が深い、

*華僑を華僑と華人(戦後の中国出身者の成功者)とに分ける見方もある、

フィリピンを代表する財閥は "アヤラ" と "ソリアノ" であろう。その発祥は18世紀に遡るが、両家は同族関係にあり、ともに先住の大地主であるロハス家と婚姻関係を結ぶことでその後の事業展開において大いに利したようである。スペイン人によるフィリピン最初の商社「アヤラ・コーポレーション」が設立されたのは1834年であった。1851年には東南アジア最古のフィリピン・アイランド銀行の前身バンコ・エスパニョール・フィリピーノ・デ・イザベルを設立、また東南アジア最初の近代的ビール工場「サンミゲル醸造所」を買収した。このビール会社を総合飲食品メーカーに育て上げたのがソリアノ家のソリアノ一世である。
アヤラ家を今日のアヤラ財閥へと築きあげたきっかけは1948年に始まるマカティの開発に大成功を収めたことに起因する。当時雑草が茂っていた荒地を近代的な商業・住宅地域へと変えたのである。フィリピンで最初の分譲地となったフォルベス・パークを皮切りにサンローレンソ・ビレッジ、ベル・エア、ウルダネーダ、サンミゲル、マガリヤネス、ダスマリーニャスと次々にマカティエリアで住宅用土地開発を実施し、その後もアラバン、ケソン、ラス・ピーニャスエリアへと拡張した。同時に1988年にはセブ島における大型都市開発にも進出し、三菱と組んでマニラ郊外で工業団地の造成も行なった。アヤラ財閥はそういった不動産開発が主軸となっているが、銀行・保険・建設・通信などのサービス部門の他、製造業でマイクロチップの組立加工・食肉加工・缶詰・エビの養殖など20社以上の企業を有しており、またこれらの殆んど全てが業界の上位にランクされている。
ソリアノ家の事業は第二次世界大戦によって大打撃を受けたが、マッカーサーの側近であったソリアノ一世は戦後復興期にアメリカ・フィリピン両政府からさまざまな恩恵を受けたといわれ、それを基盤として1960年代にはサンミゲル社を飲食品の複合企業へと育て上げた。同社はビール市場の90%以上のシェアを有しているが、子会社として20社近い企業を所有している。別途、持ち株会社のソリアノ・コーポレーションの傘下には銅鉱山会社・製紙・肥料・銅線などを扱う企業がある。これらの企業はソリアノ・コーポレーションの経営代理下に置かれている。経営代理制とは、起業家が自分で設立し出資もする企業との間で長期に亘る経営全般の代理契約を結んで、この企業から手数料を徴収するというものであり、株式の分散化が進んでも経営権を手放さずに済むという手法である

その他、スペイン系財閥としていくつかの著名な企業グループがある。
かつてネグロスに広大な砂糖のプランテーションを所有した "アラネタ財閥" がその一つである。砂糖不況の1980年代にはその事業も縮小し、不動産事業がメインとなっており、医薬品の分野では武田薬品と提携関係にある。
土地貴族の代名詞的ファミリーが "オルティガス" である。マカティエリアの "アヤラ" 、クバオ・ケソンエリアの "アラネタ" 、マニラエリアの "ツアソン" と並んでサンフォアン-マンダリュオンエリアに広大な土地を所有していたのがオルティガス家であり、この土地開発と分譲によって得た巨額の資金を株式投資や企業買収に充てるなど、事業主体はやはり不動産関連である。 "ツアソン" はミンダナオに広大なプランテーションを有するが、対日バナナ輸出の先陣を切った一家でもある。ミンダナオでの海運業からスタートし、持ち株会社の下に開運・貿易・不動産・銀行などの分野で数多くの企業を擁しており、1980年より花王と合弁でココナッツ油誘導品と化粧品の生産に携わっている。旧アキノ政権下で企業の支配権を回復したのが "ロパ" であった。自動車を中心に建設・運輸・不動産などのファミリー企業を回復した。

一方、華人パワーの隆盛はフィリピンでも著しい。
三家に分かれる "コファンコ" の事業は持ち株会社であり経営代理会社でもあるホセ・コファンコ・アンド・サンズ社(JCSI)の下に砂糖農園・砂糖精製・不動産開発など6つの企業を有する。
華人系財閥で不動とも云える強力な基盤を持つのが "ユーチェンコ" である。一族の事業は保険会社の設立にその起源を持つ。戦時中の一時中断を経て、マラヤン保険会社として業界で不動の地位を築き、これを親会社として銀行業・投資・貿易・建設・通信・製造業へと多角経営を図っていった。ユーチェンコグループの金融事業を代表するのがリサール商業銀行(RCBC)である。
織物や日用品の行商から事業をスタートした "ゴコンウェイ" は、小麦粉と織物の輸入で得た資金を基に澱粉製造会社を設立、続いてコーヒー会社CFCを組織し、インスタントコーヒー「ブレンド45」はたちまち国内最大のシェアを獲得した。マルコス政権下ではホテル建設に踏み切り、綿織物会社を買収してジーンズでは国内最大の企業となった。アキノ政権下ではマニラ首都圏の大動脈であるエドゥーサ通りに面したマンダリュオンエリアに一大商業センター「ロビンソンズ・ガレリア」を建設した。

誰もが知るマニラで最大のデパート「シューマート」(SM)を経営するのがヘンリー・シィである。フィリピンで5本の指に入る資産家に数えられているが、事業分野は持ち株会社のシューマートの下に金融・不動産・水産・映画などがあり、シューマートはブルネイ・サバ・ハワイ・グアムにも出店を果たしている。アキノ政権下でも意欲的に事業拡大に走り、ゴコンウェイのロビンソンズと競争する形でエドゥーサ通りに大商業コンプレックスを建設した。彼はまた、チャイナ・バンキングなど華人系銀行の大株主であり、トヨタ自動車の現地パートナーであるメトロバンクグループとも近い関係にある。
 全国津々浦々にチェーン展開している薬局「Mercury Drug Store」は、 "マリアノ・ケ" 氏が多品種・薄利多売を戦略としフランチャイズ方式で着実に店舗数を増やし、マニラだけでも支店数は100を越える。その他貿易・ファーストフード・不動産・農産物加工・パン製造などの分野にも手を広げていった。
その他にも、台湾で蓄財し海外に幅広いネットワークを有する "タン・ユーグループ" 、製粉のリパブリック・フラワー・ミルズと家電のコンセプション・インダストリーズにおいてアキノ政権下でその業績を急成長させた "コンセプション・ファミリー" があるし、1980年代後半から株式投機で名を上げてきた "アルフレッド・ラモス" はフィリピン第1位の書店チェーン「ナショナル・ブックストア」や石油掘削会社の「フィロドリル社」を始め、その他鉱物資源開発・不動産・持株会社を兼ねたような企業を多く有しており、相場師的な色合いを持つ華人実業家である。またフィリピン最大の製薬会社「United Laboratories Inc.」(通称ユニラボ)のオーナーである "ホセ・ヤオ・カンポス" は、マルコス元大統領との特別な関係によって政府機関や公立病院への医薬品の供給を独占し、ユニラボを国内最大の製薬会社に育て上げた。


人材を扱う業界にて一時代を築いた "Fortune" を筆頭とする "Vintage-Group" の総帥、Mr. Antonio P. Antonioもそういったカテゴリに入る人物の一人である

 

 


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