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23344、日本銀行の設立者である松方正義は仏、英のロスチャイルド家から国王並の待遇を受けた

2013年11月17日 16時39分18秒 | thinklive

*松方は、レオンセー、仏の蔵相、ロスチャイルドのトップの使用人、を通じて、仏、英、ロスチャイルド両家からも厚く待遇を受けた、日本銀行創設は、レオンセーの指導によって設立され、後に日本政府はその功績を称して最高の栄誉を贈っている、

松方は、1877年(明治10年)に渡欧し、1878年(明治11年)3月から12月まで、第三共和制下の、パリを中心とするフランスに滞在し、フランス蔵相レオン・セーから3つの助言を得る。第一に日本が発券を独占する中央銀行を持つべきこと、第二にその際フランス銀行やイングランド銀行はその古い伝統故にモデルとならないこと、第三に従って最新のベルギー国立銀行を例としてこれを精査すること、を勧められた。
その後、帰国した松方は、明治十四年の政変の一ヶ月前の1881年(明治14年)に、「日本帝国中央銀行」説立案を含む政策案である「財政議」を政府に提出し、政変によって大隈が失脚すると、参議兼大蔵卿として復帰し、日本に中央銀行である日本銀行を創設した。後の1883年(明治16年)に、松方は明治天皇に働きかけて、レオン・セーに勲一等旭日大綬章が贈られるように図っている。
松方は財政家として、政府紙幣の全廃と兌換紙幣である日本銀行券の発行による紙幣整理、煙草税や酒造税や醤油税などの増税や政府予算の圧縮策などの財政政策、官営模範工場の払い下げ、などによって財政収支を大幅に改善させ、インフレーションも押さえ込んだ。ただ、これらの政策は深刻なデフレーションを招いたために「松方デフレ」と呼ばれて世論の反感を買うことになった。

日露戦争の準備のためにアメリカを経由して欧州7カ国へ赴き、戴冠前のイギリス国王エドワード7世に拝謁を許されるなどの大歓迎を受けている。オックスフォード大学からは法学名誉博士号(後には国家元首にのみ与えられる)を授与されている。アメリカではセオドア・ルーズベルト大統領、ドイツでは皇帝ヴィルヘルム2世、ロシアでは皇帝ニコライ2世と会見している。同1902年(明治35年)日本赤十字社社長に就任。帰国後の1903年(明治36年)には戴冠式を終えたエドワード7世からナイトの最高勲章を贈られている。

 ただし、明治天皇からの信頼は絶大であり、松方財政においても、閣僚や元勲の反対の中、天皇から財政委任の詔勅を得、財政をすすめている。金本位制導入の際には、明治天皇から「導入の是非を巡る議論は難解でよくわからぬが、これまで松方が財政に関して間違ったことをやった例はなかったから導入を裁可する」とまで言われている。日露戦争の開戦に当たっては、消極派の伊藤・井上らに反論し、積極的に開戦を主張、蔵相に自信がないとしても自分が補佐するから財政上の懸念は解決できると豪語し、元老会議を主導した。この功績が明治天皇から認められ、戦後異例の大勲位受章となった。

日清戦争の時には松方は前首相ながら無役であったが、西南戦争の戦費を基準に予算を立てようとした当時の首脳部を戒め「このような時には前例などにとらわれず、勝つ為にいくら必要かの見込みを立てて、それを工面する方法を考えるべき」と主張した。また、伊藤博文と井上馨が「富豪から『戦勝後に国債と引き替える』として献金を募る」という提案をしたのに対し、「善意で献金した人間が『所詮国債目当て』と白い目で見られる」「政情の変化で国債に引き替えられなくなったら政府が国民を欺いたことになる」として「いっそ最初から国債を売った方がよい」と述べ、井上と論争の末「松方の案がもっともだ」と井上に言わしめた、

*日露戦争に置ける松方の動きは、ロスチャイルド戦略に従うエージェントとして、理解すべきであろう、戦費に関する自信はその表れである、

 吉田祐二氏「日銀-1円の王権」はこの帝国-属国の関係をきわめて単純に示している。一例を挙げると次のようになる。

  高橋是清(第7代総裁)-ジェイコブ・シフ(ロスチャイルド-クーン・ローブ)

 井上準之助(第9,11代)-トーマス・ラモント(モルガン)

 池田成彬(第14代)- オーウェン・ヤング(モルガン→ロックフェラー)

  渋沢敬三(第16代)- ロックフェラー3世 

 新木栄吉(第17代)- ロックフェラー3世

 一万田尚登(第18代)-ロックフェラー3世

 前川春雄(第24代)-デイヴィッド・ロックフェラー



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