歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

木津川市・浄瑠璃寺 12世紀半ば、造立当初の石組み発見

2012年09月05日 | Weblog
 木津川市教委は4日、平安時代の浄土式庭園を代表する特別名勝・史跡浄瑠璃寺(木津川市加茂町)で、12世紀半ばの遺構が初めて見つかったと発表した。庭の池の縁から石組みが出土し、時期が寺に伝わる記録と一致し、庭が平安末期に築かれたことが裏付けられたとしている。
 市教委が6月から池の周囲を発掘したところ、池の南岸で池に下りる階段状の花崗岩の石組み(長さ2m、幅90cm)が見つかった。 遺構からは、平安時代末期の瓦器椀が見つかった。 池の管理に使った階段か、雨水を流す水路だったとみられる。
 浄瑠璃寺は記録によると12世紀に本堂の九体阿弥陀堂(国宝)や三重塔(同)が整備され、久安6年(1150)に、「池を掘り石を立てる」と庭池に関しての最初の記述があり、12世紀半ばから数十年かけて整備されたと考えられていた。
 浄土式庭園は仏の世界(浄土)を境内に表現したもので、池を海に見立て、西側にある来世(極楽浄土)を東側から拝んだとされる。 今年2月には、池の西側で長さ40mと推測される鎌倉時代以前の州浜(すはま)跡が見つかっている。
 また、東岸では幅2mにわたって玉石を敷き詰めて浜辺のようにした州浜跡も見つかった。出土した瓦から14世紀初め(鎌倉時代後半)以前とみられる。州浜の真下が地山なので、当初の平安末期に築かれた可能性もあるという。
 現地説明会は8日午前11時と午後2時の2回に開かれる。
[参考:京都新聞、朝日新聞、毎日新聞]

小田原山浄瑠璃寺(真言律宗)
 寺に残る「浄瑠璃寺流記事」(1350年に転写したとの記述がある)によれば、浄瑠璃寺の創建は永承2年(1047)という。小規模の本堂を造立したらしい。 久安3年(1147)に興福寺一乗院門跡であった摂政藤原忠通の子恵心が入寺し、池を掘ったという。

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする