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奈良市・興福寺 南大門跡から出土した鎮壇具の壺から魚の骨が見つかる

2010年06月15日 | Weblog
 奈良文化財研究所が15日、興福寺の南大門跡で出土した奈良時代(8世紀前半)の地鎮に使う「鎮壇具」の須恵器の壺から魚の骨が見つかったと発表した。鎮壇具に魚の骨が入っていた例は初めてという。
 昨年11月、南大門跡の基壇(東西31m、南北16.6m)の深さ約50cmの地中から灰色の須恵器の壺(口径18.7cm、高さ15.5cm)が出土した。蓋はなく土が詰まっていた。エックス線撮影などで和同開珎5枚とガラス玉13個を確認していた。今年1月に土砂を取り出したところ、最下部に納められた和同開珎とガラス玉などの上に、魚の頭部の骨6点(長さ最大約1cm)と左右の胸鰭(ビレ)2点(長さ最大約1.5cm)、鱗(うろこ)が見つかった。いずれも頭部近くであることから、何らかの呪術性を期待して埋納した可能性を示している。魚は形状などからフサカサゴ科(注1)の一種と判明。背骨はなく、全長16~18cmの魚の頭部だけを納めたらしい。
 藤原京や平城京(7~8世紀)の鎮壇具は16例出土しているが、魚は見つかっていない。仏教式の地鎮で金や銀、五穀を埋納することはあるが魚の骨を使うことはない。仏教儀礼などを記した経典「陀羅尼(だらに)集経(じっきょう)」などにも魚を鎮壇具とする記述はない。用途や意図は不明だが、例えば、「山の神にオコゼ(注2)を供える」という陰陽師による魔除けなど呪術的な要素(注3)が感じられるとしている。
[参考:共同通信、朝日新聞、読売新聞] 


奈良、鎮壇具のつぼから魚の骨 呪術か、興福寺の南大門跡(共同通信) - goo ニュース

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 興福寺

(注1) フサカサゴ科には、イソカサゴ属、オニカサゴ属、カサゴ属、キチジ属、セトミノカサゴ属などがある。
(注2) オコゼはカサゴ目、カサゴ亜目、オニオコゼ科、オニオコゼ属と続く。
(注3) オコゼを山神に捧げて祈るあるいは何かを期待する話は、「山神とオコゼ」/柳田国男、「山神オコゼ魚を好むということ」/南方熊楠にまとめられており、古代からそのようなことがあったことを指摘している。
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