歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

蒲郡市・上ノ郷城跡 鉄砲の弾が再び見つかる

2010年06月11日 | Weblog
 蒲郡市教委が発掘調査中の上ノ郷城跡で、出入り口の石段近くの石垣の中から、弾丸1個が再び出土した。昨年2月に次いで2個目となる。
 直径が約1cmで、全体が真っ白な錆に覆われ、弾丸が純度の高い鉛製であることを示している。
 同城は今川方の主要豪族である鵜殿氏の本拠地で、支配地を広げようとしていた徳川方が大軍を率いて攻めたが失敗。そこで、1562(永禄5)年に家康自らが陣頭指揮し、忍者の甲賀衆を忍び込ませて火を放ち、攻め滅ぼしたことが記録に残る。
[参考:東日新聞]

過去の関連ニュース・情報
■2009.2.18上ノ郷城跡の第3次発掘調査で、徳川家康軍のものとみられる鉄砲の弾(たま)1個が見つかった。東三河では戦国後期の弾が長篠城跡や設楽城跡から見つかっているが、鉄砲伝来間もない時期のものは珍しいという。
 弾は、遺構面から10cmほどの深さの位置で発見され直径13cm、重さ20g。砂型から鋳出したことを物語る筋が1本通っていた。全体が真っ白な錆びに覆われており、鉛分の純度が高い。
 同城の主の鵜殿氏が今川方だったことから、勢力拡大で東進していた徳川家康に攻められ、陥落したのが1562(永禄5)年。種子島に鉄砲が伝来したのが、天文12年(1543)8月だから、わずか19年後に使用されたことになる。[参考:東日新聞]
上ノ郷城跡
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする