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歴歩

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百済時代 地方木簡 羅州伏岩里古墳群で初めて出土 製鉄所も発見

2008年07月25日 | 韓国の遺跡・古墳など
 百済が今の全南羅州地域で「官営・製鉄所 제철소」を運営していて、さらに製鉄所に必要な人材を緻密に管理したことを後押しする木簡が発見された。
 百済時代木簡は、これまで百済最後の首都扶余だけで発見されており、今回初めて首都から離れた地方でも出土したことによって百済の地方統治実体を把握するのに画期的な資料を提供する見込みだ。
 国立羅州文化財研究所(所長シム・ヨンソプ)は羅州伏岩里古墳群(史跡404号)一帯整備のためにその周辺地域に対する発掘調査を行った結果、鉄器を生産した製鉄遺跡と共に百済地方史研究に重大な転換点になることができる文字木簡2点を収拾したことを24日発表した。
 製鉄遺跡近隣で、水溜り施設内部で収拾されたこの木簡はともに片面だけに墨書文字が発見された。
上部分一部が切り取られた一つ目の木簡は残存長さ8.4㎝、幅4.1㎝、厚さ0.5-0.6㎝で「…(年)三月中監数長人…出省者(得)捉得□奴…」程度で読むことができる16文字の墨書が2行にかけて確認された。
 正確な意味は把握できないが、字の判読が正確だと仮定して、文字どおり解釈するならば「□年3月に三、四人の長人を監督した(一行目) 探して見つけた者は逮捕して、とすることができる」(2行目)と、ある程度解釈することができる。
 研究所は「長人」というのは、この頃労働現場の「什長」ように労務者中でも親分位置にある人を指し示す可能性があるという推測を加えた。
 色々な組合せを通して復元した、二番目の木簡は残存の長さ32㎝、幅4.2㎝、厚さ0.3-0.4㎝の大きさで、墨書で数十字が確認されるが磨耗が非常に激しくて、概略 「兄将○立○○○四二中○四 ○二 …○○○○○ ○定文丁○○一女○ ○○○○二巴四入○○○○定'」程度だけ読むことができると研究所は話した。
 したがって、「二つの木簡に記録された内容は正確には分からないが人材管理に関する文書と把握される。具体的な内容は今後関係専門家たちの意見収集を経て、別途発表する」とした。
 シム所長は「今回の木簡は発見地域が百済の地方という点で意味があり、文献資料が不足している百済史研究の新しい転機となることができる。また木簡内容の中に管理する内容が含まれていて、この地域の古代社会構造の一面を明らかにできることを期待する」と話した。
 特に、百済の中央と地方勢力との関係すなわち、大型の甕棺古墳を築造した栄山江流域勢力との関連性研究に重要な資料になるものと見られる。
 この木簡が出土した周辺では、湖南地域では初めて三国時代製鉄遺跡が発見されて、さらにこの一帯で木簡の他にも多量の鉄スラグ、鍛造薄片、炉壁片と坩堝(るつぼ)、「官内用」という字を刻んだ百済時代銘文土器、土製硯、百済期の木器類などのたくさんの遺物が発見された。
 「官内用」という字は、文字通り役所で使う器物を意味する。
したがってこの銘文土器と木簡、硯、そして百済期のような遺物は伏岩里古墳群近隣地域で、文書行政が成り立ったし、地方官庁と同じ主要な施設があったことを後押しすると研究所は話した。
 特に遺跡と遺物が出土する様子を見た時、木簡に記録された内容はこの製鉄所運営と密接な関連があるものと見られる。
 出土時期については、なにも触れられていないが、首都が扶余の時代となると大まかに泗沘時代(538年-660年)となる。
[参考:聯合ニュース、Daum]
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