歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

京都府八幡市 女郎花遺跡 奈良-平安期の建物遺構出土 地元豪族の居館か

2008年07月04日 | Weblog
 市教委は3日、女郎花遺跡から、奈良時代から平安時代初頭にかけて長期間にわたり地域を治めていた豪族の居館の一部とみられる建物の遺構が見つかったと発表した。
 市内で豪族の遺構の発見は初めてで、市内の石清水八幡宮成立(859年)以前の中心地をうかがい知ることができるとしている。
遺跡東端の157㎡を発掘し、3棟の大型掘っ立て柱建物の柱穴(直径0.7~1m)がほぼ同じ場所から見つかった。
 最も古い遺構は、南北約5m、東西約7・5m以上(面積37.5㎡以上)になる。
 2番目に古い建物は南北約6.3m、東西約4.2m(面積26.5㎡)。
 最後に建てられたとみられる遺構は南北約6.3m、東西約4.6m(面積約29㎡)。
 居館が建て直されながら奈良時代前半から平安時代初頭まで約100年間続いたことを示している。
 柱穴の大きさが古代寺院に匹敵し、遺構の南30mに倉庫跡、南250m地点に奈良時代に権威の象徴として盛んに建立された志水廃寺があることなどから、当地 周辺を治めた豪族ではないかとみている。
 これ以後、居館は畑になり、豪族は没落したと推測する。
 八幡宮の成立を期に集落域が男山東麓の南端から石清水八幡宮麓の北側に移ったとみられる。
 5日午後2時から現地説明会を開く。雨天決行。問い合わせは八幡市立ふるさと学習館TEL075(972)2580。
[参考:京都新聞]
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宮城県・多賀城関連遺跡 日の出山窯跡群F地点発掘調査現地説明会

2008年07月04日 | Weblog
 宮城県多賀城跡調査研究所は、日の出山窯跡群F地点の発掘調査現地説明会を開催する。
 日時  平成20年7月5日(土) 午前10:30より
 会場  日の出山窯跡群F地点発掘調査現場  加美郡色麻町大字堰堀21地内
 日の出山窯跡群は、多賀城から北北西方向約30kmの距離にある日の出山丘陵斜面に築かれた瓦・須恵器を焼成した窯跡群。
 奈良時代前半の陸奥国最大の官窯で、その製品は多賀城・多賀城廃寺・古川市名生館官衙・同伏見廃寺などの城柵・官衙・寺院などに広く供給されている。
 その丘陵西斜面から8世紀前半頃に使用された竪穴住居跡や瓦や須恵器を多量に含む堆積層などを発見した。
 瓦や須恵器の製作等に係わった職人の工房跡または住居跡らしい。
 今回が初めての調査とされるF地点場所は、多賀城創建期の窯跡群で窯跡と工房跡がセットで確認された例で、当時の本窯跡群の様子だけではなく、古代東北を考える上で貴重な発見と考えているとしている。
[参考:宮城県多賀城跡調査研究所]
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橿原市・石神遺跡 飛鳥時代の国道・山田道の「敷葉工法」標本を初公開

2008年07月04日 | Weblog
 7月4日付産経ニュースに、山田道で発見された、木の枝を敷き詰めた「敷葉(しきば)工法」で築かれた特殊な遺構の標本が、奈良文化財研究所・藤原宮資料室(橿原市木之本町)で初公開されていると報じている。
 遺構のうち1m四方を樹脂で固めて厚さ10cm分を切り取り、約半年かけて保存処理を行ったものだそうだ。
 遺構標本の公開は9月末まで、午前9時~午後4時半に行われている。土、日曜、祝日は休館。

 昨年5月に、明日香村の石神遺跡で飛鳥時代の国道「山田道」長さ33m分の側溝が見つかり、路面の数10cm下には、葉のついたままのシイやサカキなどの広葉樹の枝がびっしりと敷かれていた。
 敷葉工法は、渡来系の土木技術で地盤強化をし、盛り土が崩れるのを防ぐ目的。狭山池(大阪狭山市)あるいは高松塚古墳などにも見られる。出土した土器から、640~660年に工事が始まったとみられ、藤原京の時代まで整備が続いていたらしい。
 日本書紀・孝徳天皇白雉4年(653)「六月に、(略)。処々の大道(おほち)を脩治(つく)る。」と書かれる。
 また、壬申の乱(672年)で勝利した大海人皇子(後の天武天皇)が伊勢から飛鳥まで凱旋した時に、おそらくこの道を通ったはず。
[参考:産経新聞、読売新聞(2007.6.6)]
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