「今後一切落書きしません」 近江八幡市の古刹・長命寺の「楽書誤証文(らくがきあやまりしょうもん)」
23日、県教委が、落書きが見つかり「今後道中で行いません」と同行者と誓ったことが記される長命寺文書「楽書誤証文」を新たに県指定文化財に指定した。
1799(寛政11)-1802(享和2)年の6通あった。いずれも縦23・7-28・7cm、横32・9-39・2cm。
国内外の名所や文化財に落書きをして社会問題化しているが、江戸期でも同じ悩みを抱え対策に腐心していた様子がうかがえる。
文書には、巡礼者が「御法度」の落書きを書き始め、見つけた僧侶にしかられ「恐れ入り」「今後道中では一切落書きしません」と同行者と連名で誓ったことが署名、拇印付きで記される。
6通は文面はほぼ同じで、「落書きに困った寺側が雛型を作っていた」とみられる。
書き手の住所は、長崎や埼玉、三重など多岐にわたり、当時の民衆の行動範囲の広さも窺える。
県教委は「『楽書』という字に、落書きに対する当時の庶民の気分が分かる。連帯責任で証文を書かせるのは一見厳しいが、証拠能力はなく、モラル回復の思いが強かったのではないか。不心得者に罰を科し、良心に訴える寺の大人の知恵が見える」としている。
[参考:京都新聞]
姨綺耶山(いきやさん)長命寺:
近江八幡市の北西端、長命寺山(333m)の標高約250mの山腹にある天台宗寺院。
3世紀後半から4世紀初頭、景行天皇の時代に武内宿禰がこの山で長寿を祈ったといい、開基は聖徳太子と伝えられる。
23日、県教委が、落書きが見つかり「今後道中で行いません」と同行者と誓ったことが記される長命寺文書「楽書誤証文」を新たに県指定文化財に指定した。
1799(寛政11)-1802(享和2)年の6通あった。いずれも縦23・7-28・7cm、横32・9-39・2cm。
国内外の名所や文化財に落書きをして社会問題化しているが、江戸期でも同じ悩みを抱え対策に腐心していた様子がうかがえる。
文書には、巡礼者が「御法度」の落書きを書き始め、見つけた僧侶にしかられ「恐れ入り」「今後道中では一切落書きしません」と同行者と連名で誓ったことが署名、拇印付きで記される。
6通は文面はほぼ同じで、「落書きに困った寺側が雛型を作っていた」とみられる。
書き手の住所は、長崎や埼玉、三重など多岐にわたり、当時の民衆の行動範囲の広さも窺える。
県教委は「『楽書』という字に、落書きに対する当時の庶民の気分が分かる。連帯責任で証文を書かせるのは一見厳しいが、証拠能力はなく、モラル回復の思いが強かったのではないか。不心得者に罰を科し、良心に訴える寺の大人の知恵が見える」としている。
[参考:京都新聞]
姨綺耶山(いきやさん)長命寺:
近江八幡市の北西端、長命寺山(333m)の標高約250mの山腹にある天台宗寺院。
3世紀後半から4世紀初頭、景行天皇の時代に武内宿禰がこの山で長寿を祈ったといい、開基は聖徳太子と伝えられる。