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歴歩

歴歩 歴史は歩く。ゆっくりと歩く。それを追いかける。

全南霊岩・チャラボン古墳 20年ぶりに再発掘し、6世紀初めの築造を確認

2011年11月23日 | 韓国の遺跡・古墳など
 大韓文化遺産研究センターは22日、全南霊岩郡始終面泰澗里(영암 시종면 태간리)のチャラボン古墳(자라봉고분)を20年ぶりに発掘調査した結果、6世紀初めに築造された可能性が大きいと発表した。

■ 石室の中から出土した蓋杯、周溝から出土した瓶と碗、蓋杯などを見ると、墓を築造した時期は6世紀初期~前半頃と判断される。
■ 墳丘周辺には、周溝(最大幅6m、最大深さ1.8m)が巡らされていることが明らかになった。
■ 墳丘と周溝から、円筒形土製品(埴輪)約50点が出土した。同じ前方後円墳の光州・明花洞古墳、月渓洞1・2号墳出土品と似ている。
■ 石室は東西方向に長軸を設けた長方形で、長さ約3,3m、幅約2.4m、高さは1.85mであった。竪穴式石室と報告されたりしたが、さらに追加調査が必要としている。
[参考:聨合ニュース]

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韓国江原道江陵市・崛山寺址 「五台山金剛社」銘文瓦が出土

2011年11月17日 | 韓国の遺跡・古墳など
 国立中原文化財研究所は16日、新羅末~高麗初に韓国仏教界を主導した九山禅門(구산선문)の一つで闍崛山門の宗刹格である江原道江陵市の崛山寺址(굴산사서、史跡448号)に対する発掘調査結果、記録にだけ見える五台山仏教信仰結社体中、南方結社体が構成されたところが・崛山寺であったことを確認したと発表した。
 今回、特に「屈山寺」、「五臺山」という銘文瓦以外に「五臺山金剛社」の文字がある12世紀頃高麗時代の瓦が見つかった。 五台山金剛社は三国遺事塔像篇に「臺山五萬眞身」という題名で記された文に登場する。金剛社は国家の安寧のために五台山東西南北、中央に各々位置する5つの寺院で各々結成されたという信仰結社の中で、南台にあった結社体である。
 また、寺域の確認もされたが面積は約3万1千500㎡に達するとしている。
[参考:聨合ニュースほか]

備考
 韓国語の翻訳は基礎知識がないと、おかしな訳になりかねない時がある。 今回も最初に訳した内容が理解できなかった。そのために、いろいろ調べてようやく理解できた。 そのひとつは、「금강사」である。文全体が寺院のことについての内容だから当然「金剛寺」となるわけであるが、今回は「金剛社」であった。 また、「崛山寺」は「屈山寺」と書いても通じるようだし、銘文瓦にも「屈山寺」と記されている。 ただ、正式には「崛山寺」のようなので、これに統一した。

過去の関連ニュース・情報
 2010-10-06 崛山寺址 川石を敷いた歩道、門跡2基や銘文瓦などが出土
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忠州市・塔坪里遺跡 新羅時代の水路施設とみられる幅5.3mの溝を確認

2011年11月09日 | 韓国の遺跡・古墳など
 国立中原文化財研究所は忠州可金面塔坪里遺跡(충주 탑평리유적)を発掘調査した結果、遺跡中央の南北を貫く幅5.3m、深さ1mの溝施設を確認し、その周辺には、長壁にオンドルを備えた新羅時代竪穴住居跡を大量に確認したと9日明らかにした。
 新羅時代に重要地方拠点都市5ヶ所に設置した「小さい都」のうち、今の忠北忠州に置いた「国原小京(국원소경)」が姿を表わし始めた。
 溝施設は、昨年に一部が確認された時は回廊式建物跡と発表されたが、精調査結果、古大都市中心部を貫いた巨大な水路施設とわかった。 これまで確認された長さだけでも600mを越えるこの溝(水路)は、当時の都市計画により、都市を画する役割も果たしたとみられる。
 特に、今回の発掘では製鉄と関連した焼土、鉄滓や、鉄器製作のための鉄塊、鋏、槌のような道具などが出土して製鉄生産と密接な関連があった場所とみられるという。
[参考:聨合ニュース]

過去の関連ニュース・情報
 2010.10.20 忠州市・塔坪里遺跡 新羅時代地層から大型建物跡、百済時代地層から「呂」字形竪穴住居跡を確認
 2010.6.17 忠州楼岩里古墳群 6世紀新羅土器が出土
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公州市公山城 銘文革札甲の下から漆塗馬甲、大刀が出土

2011年11月02日 | 韓国の遺跡・古墳など
 公州大博物館は1日、公州市公山城の城内集落遺跡(공주 공산성 성안마을 유적)(4次)で、貯水施設に隣接した場所から「貞観十九年」(645)の銘文が書かれた漆塗り革札甲 1領を収集した後、その下層調査を継続した結果、馬甲をはじめとして大刀類、鉄製札甲片などを収集したと発表した。
 馬甲は、各々長さ約12~18㎝の札甲片であり、約2mの範囲の中に二列に並び上下四重になった状態で発見された。 銘文革札甲と同じ方法で革に漆を施して作った馬甲で、銘文革札甲より規模が大きいが漆ははるかに薄い。 馬具類が全く確認されない点からみて、意図的にここに廃棄したと推定している。
 一緒に発掘された鉄製大刀(約55cm長)と柄の部分に金工のある装飾刀は、銘文革札甲と馬甲の中間層で発見された。中国にはない刀であり、百済または新羅で典型的に見える種類としている。また刀と同じ層から、鉄製札甲が塊で見つかった。
 これらは、何らかの目的で廃棄されたと見られるとしている。
 札甲と馬甲などの遺物が発掘された貯水施設は不安定な地盤に位置し、崩壊危険があるためまもなく覆土する予定という。
[参考:聨合ニュース]

過去の関連ニュース・情報
 2011.10.13 公山城 漆塗革札甲が出土、貞観十九年(645)の銘文も
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公州市・水村里遺跡 百済時代古墳4基をあらたに発掘 金銅履物などが出土

2011年11月01日 | 韓国の遺跡・古墳など
 忠南歴史文化研究院は1日、公州・水村里遺跡(공주 수촌리 유적)を発掘調査した結果、百済時代古墳4基(内訳は石槨墓2基、石室墳1基、土壙墓1基)をはじめとして青銅器時代土坑、初期三国時代土坑を含む計23基に及ぶ遺構を確認したと発表した。
 中でも8号墳内部ではかなり腐食が進行した金銅履物一組と柄か鞘に漆を塗った刀子などが収集された。
 百済時代土器の遺構からは、大壺、広口壺、広口長頚壺、短頚壺、短頚小壺、高杯などの土器類、他に環頭大刀、輪轡、鐙、棺釘、鎹(かすがい)、腰帯、勾玉、土製防錘差、石鏃などが発見された。
 水村里遺跡は2003~2004年の発掘調査結果、百済時代墳墓6基が確認され、金銅冠2点と金銅履物3組など4~5世紀台の百済の遺物が多量に発見された。
[参考:聨合ニュース]

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江原道平昌郡・鐘阜里遺跡 青銅器時代前期BC 10世紀の木槨墓が出土 通説より1千年遡る

2011年10月27日 | 韓国の遺跡・古墳など
 江原考古文化研究院は27日、江原平昌郡の鐘阜里遺跡(강원 종부리 유적)で青銅器時代前期に作った周溝墓1基を確認したと発表した。
 東西方向を軸に東西15.5m、南北6.3m、幅1.2m~0.55mの平面長方形の周溝の中央地点から、土地を耕して作った穴に木棺と一緒に木槨を安置した長さ2.0m、幅1.0m、残存深さ0.18m規模の土壙木槨墓を確認した。
 土壙墓内部は、断面「∪」字形に補強され堆積した土跡が確認され、本来この墓に木槨を使った跡とみている。 さらに木槨内部で一定の範囲内に人骨が分布する跡が見つかり、今はまったく腐ってなくなってしまった木棺があったということが推定できるという。
 木棺と木槨の間とみられる空間では、青銅器時代前期の土器である無文土器壺1点と赤色磨研土器2点が並んで置かれた状態で発見された
 木棺をまた木で覆った木槨墓が使われた時期が、従来の通説より1千年以上遡る青銅器時代前期(紀元前10世紀頃)であることを示す考古学的発見としている。
 韓国考古学会の通説によれば、韓半島で通常、木棺は粘土帯土器と細形銅剣を主な副葬品とする紀元前4世紀頃以後に登場して、木槨はこれよりはるかに遅れて紀元2世紀以後の墓に使われ始めたと見なされるという。
[参考:聨合ニュース、韓国文化財庁報道資料]

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大邱広域市・国内最多の磨崖岩刻群を確認

2011年10月25日 | 韓国の遺跡・古墳など
 威徳大博物館は25日、大邱北区邑内洞で慶州南山塔谷磨崖彫像群(宝物201号)を凌ぐ磨崖岩刻群を確認したと発表した。
慶州南山塔谷では29体の仏像が彫られたが、大邱邑内洞(대구 읍내동)は32体の仏像と線刻9層塔が彫られていた。さらに、半跏三尊像が韓国国内初めて見つかった。
 年代は、像の特徴からみて6~7世紀三国時代のものと推定される。
[参考:聨合ニュース]

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済州・西帰浦市・江汀洞遺跡 初期鉄器時代の松菊里型住居跡などが出土

2011年10月25日 | 韓国の遺跡・古墳など
 韓国文化財庁は24日、西帰浦市江汀村済州海軍基地建設現場(江汀洞遺跡・강정동유적)で文化財発掘調査専門家検討会議を開催した。
 済州文化遺産研究院が発掘調査を行っている6つの発掘調査区域のうち、1つから耽羅成立期(初期鉄器時代)に当たる松菊里型住居跡26棟などが確認された。別の1つからは同じ時期の掘立柱住居建物跡1棟など。
 これまで発掘された住居跡が、三陽洞集落から和順里集落へ変化する過渡期的形態を見せるとしている。
 土器類は、赤褐色硬質土器、外反口緣壺(외반구연호)が主流で、把手付土器などが出土している。 土器類大部分も三陽洞式土器から外都洞式土器(외도동식토기)に転換される過程としている。
 検討会議に参加した一人からは、密集度が落ちるという意見もあるが、まだ早計との反対意見もある。
[参考:聨合ニュース]

 他の新聞社のニュースを見てみると、基地建設優先で事が進んでおり、文化財保護が2の次になっているとの報道もある。

過去の関連ニュース・情報
 2011.5.10 済州龍潭洞 耽羅国時代の中心遺跡を発掘し多量の遺物が出土
 松菊里型住居跡

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韓国・仁川広域市 アジア競技大会主競技場敷地から百済共同墓地が出土

2011年10月21日 | 韓国の遺跡・古墳など
 第17回仁川アジア競技大会(2014年9月19日~10月4日)が開催される主競技場敷地から、百済時代の古墳数十基が発見された。
 西京文化財研究院は仁川西区連喜洞(인천 연희동)460番地一円の主競技場敷地約40万㎡のうち、昨年3月試掘調査を通して遺構の跡が確認された範囲、約6万㎡に対して詳細な発掘調査を行った。その結果、原三国時代から百済時代の方形周溝墓など古墳39基を見つけたと発表した。百済時代周溝墓の大部分に埋葬主体部はなく、周溝だけが残った状態であらわれた。
 このほか、竪穴遺構、溝状遺構、そして朝鮮時代の竪穴住居跡など1000基を超える各種遺構が確認された。
 市関係者は「現在の文化財発掘調査がほとんど最終段階で、近い将来土木工事などに着手できる。」とし、「主競技場を建設するには支障がないだろう」と話している。
[参考:聨合ニュース、京畿日報、仁川日報]

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公州市・公山城 漆塗革札甲が出土、貞観十九年(645)の銘文も

2011年10月13日 | 韓国の遺跡・古墳など
 公州大博物館は12日、公州市公山城の城内集落遺跡(공주 공산성 성안마을 유적)(4次)で、貯水施設に隣接した場所から西暦645年を示す銘文「貞観十九年」という字が書かれた漆塗り革札甲 1領を収集したと発表した。
 甲には「■■行貞観十九年四月二十一日」,「王武監」,「大口典」,「■■緒」,「李■銀■」などの文字が朱色で記されている。
 貞観十九年は、唐太宗(599-649、在位626-649)の貞観19年(645)に該当する。 ちなみに、この時の百済王は義慈王(599-660、在位641-660)で在位5年目。
 古代社会で確認された革甲の中で最も古いだけでなく、その形状を復元できるほど良好な状態の甲とし、さらに百済金銅大香炉に肩を並べることができるほど、百済漆器工芸の優秀性を見せる資料としている。
[参考:聨合ニュース]

過去の関連ユース・情報
 2010.6.26扶余・陵山里寺址 彩色漆器に顔料「石黄」を使用

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全北全州市・アムモル遺跡・アンシン遺跡 6世紀前半の大規模百済共同墓地を発見

2011年10月12日 | 韓国の遺跡・古墳など
 全州文化遺産研究院は12日、全北全州市完山区仲洞(완산구 중동)の丘陵にあるアムモル遺跡(암멀유적)とアンシン遺跡(안심유적)で、6世紀前半頃百済時代の石室墓や石槨墓など様々な種類の墓合計42基がある大規模な共同墓地を発見したと発表した。

■アンシン遺跡1号石室墓
 丘陵の頂上部を単独で占めた上、規模も最大である。円形封墳で、周溝がある。 墓室の規模は長さ2.9m、幅2.4m。石室墓には3人が埋葬されたが、2人は後から合葬にまたは追葬する形で埋められたとみられる。 石と封墳の土が崩れるのを防止するために木柱を立てた痕跡が確認された。 石室内部から金製耳飾3組や、蓋と皿がセットになった土器類が出土した。
■同4号石室墓
 冠帽の装飾の一部である鉄製帽子心の破片が、織物が酸化した痕跡と一緒に全北地域では初めて発見された。 他に、壺ㆍ蓋ㆍ皿ㆍ三足皿ㆍ鉄斧ㆍ鉄鏃ㆍ金製耳飾、玉などが出土した。 代表的な百済土器の三足皿は、墓に入れる時にすべての足を意図的に外した跡が確認された。・

 他に、アムモル遺跡石室墓では伽耶系に分類される土器蓋2点が出土した。
 両遺跡から半径1km前後には、3世紀以降の初期鉄器時代の新豊遺跡、ウォンジャン遺跡、葛洞遺跡、徳洞遺跡がある。
[参考:聨合ニュース]

過去の関連ニュース・情報
 2011.9.21 全北全州・完州新豊遺跡 初期鉄器時代の青銅竿頭鈴出土
 2011.9.7 全北全州・ウォンジャン洞遺跡 紀元前3~2世紀頃の初期鉄器時代土壙墓5基を確認
 2010.8.10 全北全州・完州新豊遺跡 初期鉄器時代の土壙墓70基以上と青銅鏡が出土


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金海市・大成洞古墳群 5世紀後半の竪穴式石槨墓から山字形金銅冠が出土

2011年09月27日 | 韓国の遺跡・古墳など
 大成洞古墳博物館は26日、金海市大成洞の大成洞古墳群(김해 대성동고분군)6次発掘調査で、11基を調査して73号大型竪穴式石槨墓から山字形の金銅冠(금동관)の一部が見つかったほか、大量の遺物が出土したと発表した。

主な出土品
73号竪穴式石槨墓
 大成洞古墳群南側に位置する竪穴式石槨墓(全長8.2m)で、5世紀後半の王陵と推定。
 山字形の金銅板で作った台輪と立飾の一部、耳環、甲冑と小さい小札を縫って作った鎧の札甲、鉄鏃群、轡、多数の土器類が出土した。

84号石蓋木棺墓
 紀元前4~5世紀の支石墓で、韓半島で最も古いガラス製の小型環玉(환옥)と首飾を初めとし、直径1.5~3.0㎜の藍色と淡い青緑色ガラス製環玉約600点が出土した。
 これまで、無文土器時代遺構で環玉が発掘された事例がなく、韓半島で最も早い時期の環玉という。
[参考:聨合ニュース、中央日報]

過去の関連ニュース・情報
 2011.8.25 大成洞古墳群 第6次発掘現場を一般市民に公開
 2011.4.14 大成洞68号墳 100年を遡る4世紀中葉の銀製品(鞍金具用銀製環2点)が出土
 2009.11.12 大成洞古墳群 4世紀後半の伽耶時代箭筒が出土
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全北全州・完州新豊遺跡 初期鉄器時代の青銅竿頭鈴出土

2011年09月21日 | 韓国の遺跡・古墳など
 湖南文化財研究院は20日、完州革新都市開発地に含まれる完州新豊遺跡(완주신풍유적、全州市徳津区半月洞)2次発掘調査で、昨年発掘した同じ丘陵の南側で初期鉄器時代土壙墓6基を発掘し、青銅製竿頭鈴(간두령)2点をはじめとし、細形銅剣、銅戈、銅鉈(동사、새기개)(注1)などの青銅器遺物を収集したと発表した。
 竿頭鈴はこれまで、国内約10ヶ所で報告されたに過ぎない上、遺物自体が発見されることは1987年咸平草浦里遺跡(초포리 유적)出土以来初めてという。
 竿頭鈴の正確な機能は不明だが祭司長がある種の儀式に使った器物と考えられる。
 新豊遺跡は初期鉄器時代最大の土壙共同墓地で、この一帯が韓半島青銅器と初期鉄器文化の中心地だったことを示す重要な史跡になると期待される。
 青銅遺物の他に、刀子・斧・鏃などの鉄器類や、黒陶長頚壺、粘土帯土器などの土器類が出土している。
[参考:聨合ニュース、大邱博物館]

(注1)동사: 銅・鉈あるいは鉇。 ともに音読みでは「シ」あるいは「シャ」、訓読みでは「ほこ」と読める。

過去の関連ニュース・情報
 2011.9.7 全北全州・ウォンジャン洞遺跡 紀元前3~2世紀頃の初期鉄器時代土壙墓5基を確認
 2010.8.10 全北全州・完州新豊遺跡 初期鉄器時代の土壙墓70基以上と青銅鏡が出土



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釜山機張郡・南山狼煙台 高麗時代に築造と判明

2011年09月19日 | 韓国の遺跡・古墳など
 蔚山文化財研究院は19日、晴れた日には対馬が見え、海抜229mに位置する釜山市機張郡機張邑竹城里の南山狼煙台(남산 봉수대)(注1)を発掘調査し、現在まで韓国で確認された狼煙台遺跡中では、築造時期が最も古く、規模もまた最大であったと発表した。
 調査では、煙を作る燃焼室や煙台、3
3間×1間の規模の関連付属建物跡(基壇部、壁体、オンドル施設など)が見つかった。 また、この建物跡では高麗時代の代表的遺物の魚骨文瓦と高麗青磁が発見された。
[参考:聨合ニュース]

(注1) 往時は、南山は木覓山と云い、南山狼煙台も木覓山狼煙台(목멱산 봉수대)と呼ばれた。

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広州市・武寧王陵 黒い玉の材料は炭木でなく黒玉

2011年09月15日 | 韓国の遺跡・古墳など
 国立公州博物館は15日、今年開催する武寧王陵(무령왕릉)発掘40周年記念特別展を準備する過程で、武寧王陵で出土した首飾や獣形佩飾(동물모양장식)、棗玉(모양 옥)などに使われた黒い玉の材料が、科学的分析の結果、炭木(탄목)でなく黒玉(흑옥)であることが明らかになったと発表した。 黒玉は約1.4の比重値を持つ層構造が確認された。
 黒玉製の装飾を武寧王のからだに着用させ、邪鬼を祓うことを祈ったのだろうとしている。
 武寧王陵発掘40周年を記念する特別展「武寧王陵を格物する」は来月10月8日~来年1月29日まで開かれる。
[参考:聨合ニュース]
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