カゲロウの、ショクジ風景。

この店、で、料理、ガ、食べてみたいナ!
と、その程度、に、思っていただければ・・・。

須崎

2011年04月24日 | 香川
「いつまでも、心の中で、そのままで。」

一生に一度だけでも、此処に来れてよかった、カゲロウは、そう思った。

だが、そんな場所ではあるけれど、此処のうどんを食べて育った子供は、
ある意味、不幸だと、ふと思う。
なぜなら、そんな幼児体験を持つ人は、このうどん以上のうどんには、
その後の人生において、おそらく出会うことはない、
そう思えるからだ。
ある意味、カゲロウ自身も、もう二度と、此処には足を運ばないほうがいい、
そうなのかもしれない。

山間の、少し入り組んだ路地の中の集落、
雑貨を扱うその食料品店の、舗装もされていない粗い地肌の駐車場、
そんな剥き出しの場所で、恍惚として、小ぶりな黒いどんぶりを持つ、若い女の子。
ああ、此処がそうなのだと、ひと目で覚る、その光景ではあるが、
言うまでもなく、その状況というのは、不自然極まりない。
それは、朝、目覚めて考えてみれば、苦笑して、自分の正気を少々疑う類の、
こんな場所で、こんな人物が、そんな事をしているわけはない、
そんな、変な夢、あの感覚である。
だが、此処ではそれが、紛れもない現実なのだ。

おそらくは、そんな彼女の先程と同じように、
店内を覗き、うどんは戴けますかと尋ね、しばらく待つようにと言い渡される。
うどんを提供している旨、その金額、その種類、何ひとつ、記されてはいない。
雑貨屋さんのほうは、田舎なりにそこそこ繁盛しているようで、
家族経営であろうお店の人たちは、それぞれに作業に勤しんでおり、
実際には大した事はないのであろう、その待ち時間が、少々長く感じられ、
本当に此処でうどんを食べる事が出来るのか、ちょっと疑わしいような気がしてくる。
いや、そもそもこの状況で、うどんを食べられる事のほうが、おかしい、
やはり、そんな話は、何かの間違いだったのではないかとの、思いが募る。
だが、徐々に訪れる人の数も増え、
駐車場には、ドライブ中のカップル、バイカー、営業中のサラリーマンなど、
比較的若い年代の人々が、10人程度、
この場所に対する驚きと、未知のうどんに対する期待に満ちた目で、
ワクワクしつつも、ウロウロと、所在無さ気、手持ち無沙汰に徘徊している。

そして、いよいよ呼び込まれた倉庫、兼、台所のような場所で、
葱、生姜、出汁醤油、そして生卵を好きに使って食べればいいと、言い渡される。
どんぶりを持って、表に行く者、その場で食べる者、
皆がその状況に戸惑い、だが、誰も指示してはくれない、
だがそれが、本当の自由というものなのだ、おそらく。

そして、いちばんの驚きは、遂にやって来る。
うどんが劇的に旨い、そうなのだ。ナンダ!コレは。
うどんって、こんなに旨い食べ物だっただろうか、
そう思うほどに、旨いのだ。
早朝に、近くの金刀比羅さんの本宮まで登り、
その石段でへとへとになっていたからであろうか、
いや、それだけでは、勿論ない。
周りでうどんを啜る人々の、一様に満足気な表情が、その事実を物語っている。
麺のカタチだけでなく、食感だけでなく、
こんなにきれいな輪郭を、うどんに対して感じたことは、これまでにない。
しかし、だからといって、二玉、三玉と数を重ねるのは、違うと思える。
儚く散る桜や、打ち上げ花火のように、この一瞬、このひと時を、
心の中で大事にすれば、それでいい。
金刀比羅の奥社は見ず、このうどんも、ひと種類の食べ方だけ、
だがその方が、後々心の中で、その存在が、さらに膨らむことだろう。

どんぶりを返し、生卵の代金を含めて、140円を払い、
安過ぎて申し訳ない、そんな気持ちになりながら、
ごちそうさまでしたと小さく告げて、カゲロウは、その場を立ち去った。


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