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ザ☆シュビドゥヴァーズの日記

中都会の片隅で活動する8~10人組コーラスグループ、ザ☆シュビドゥヴァーズの日常。
あと告知とか色々。

音楽を聴くときにジャンルを絞るか

2016-04-08 23:59:58 | ヨン様
こんばんは、ヨン様です。

茨城はまだ桜が綺麗に咲いており、今年の開花期間は長いような気がします。
今日花見ができて良かったなぁ。


ところで、音楽を聴くときには、一つのジャンルに絞って聴くという姿勢と、たくさんのジャンルにわたって聴くという姿勢とがあるかと思います。
私はどちらかというと後者になります。

と申しますのも、後者のほうが結果的にひとつひとつの音楽を楽しめるような気がしているからです。
例えば、クラシックだけじゃなく、ジャズやポップスも聴いていると、それぞれにどんな特徴(特長)があって、どういった点に工夫がされているのかがおぼろげながら見えてまいります。
すると、たとえばクラシックだけを聴いているだけではなんでもないような曲がふいに面白く感じられたり、またその逆方向のパターンがあったりと、それぞれの鑑賞の仕方に刺激が与えられます。
結果的に一つのジャンルに絞って聴いていくよりも、より多くの曲の楽しむ姿勢が染みつくというわけです。

もう少し原理的な話をすると、何かを評価するというときに何の基準も持たずにそれを行うというのは、そもそもかなり難しいことです。
例えば、私たちは「水」という語を、化学的には同じ組成を持つ「お湯」や「ぬるま湯」といった語との相対的な対比において理解するために、純然たる「H2O」としてではなく、「冷たいH2O」として受け取っています。
これは、私たちが特定の対象を他の対象との相対的な関係において理解していることの証拠だといえるでしょう。
だからこそ、「お湯」や「ぬるま湯」のような対比項目が存在しない言語(英語や中国語など)では、「水(water)」は「冷たいH2O」としてのニュアンスを持たないのです。

もちろん、一つのジャンルに絞って鑑賞するだけでも、その中でたくさんのバリエーションが存在すれば、十分に一つ一つの曲の違いを楽しむことができるかと思います。
しかし、この世に音楽がただの一曲しかなかった場合のことを考えてみてください。
おそらく我々は、その曲を妥当な形で肯定的に評価することも否定的に評価することもできないでしょう。
言い換えれば、鑑賞するジャンル一つにしてしまうということは、少なくともそのジャンル内部で対比項目の存在しない楽曲については、その分だけ自分が評価不能な曲を増やしてしまうことにもなるのです。


くどくど書いてきましたが、要は「せっかく音楽を聴くなら、より楽しめたほうがいいよね」ということであります。
つまらないと思っていたものでも、見方を変えれば新しい発見があるんじゃないか。
そういう姿勢で音楽を楽しめたらと思います。

それでは!

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