【Rapid Robert】
Bob FELLER
1963年のこと、
アイオワのド田舎に神童がいる――――
この情報を聞き出し、インディアンズのスカウトが
アイオワ州のバンミターへ赴いた。
神童=ボブ・フェラーの自宅にスカウトがやって来た時、
フェラーは父親の仕事を手伝い、畑仕事中であった。
かくして、早熟の天才・フェラーはインディアンズと契約、
契約問題を巡り、紆余曲折あったものの
17才にしてメジャーのマウンドに立った。
初登板のブラウンズ戦でいきなり15三振を奪い完投勝利、
9月のアスレチックス戦では当時のリーグ新記録となる
17奪三振の快投を披露し、周囲にその実力をまざまざと見せつける。
結局、8月からメジャーリーグに加わった1年目は
14試合に投げ、5勝、防御率3.34、現役の高校生とは思えない成績を残し、
シーズン終了後、フェラーは学業に専念するべく学校に戻った。
フェラーのストレートはまさに『Rapid(急速)』で、
打者はその煙の出るような速球にキリキリ舞いだった。
本名がロバートである事から、いつしか「Rapid Robert」と呼ばれるようになった。
翌37年、9勝をあげると、
38年、本領を発揮し240個の三振を奪い、リーグ最多をマーク、17勝をあげた。
39年から41年の3年間は、3年連続で最多勝と最多奪三振、
3年間、全ての年で20勝以上をあげ、
最優秀防御率にも輝いた40年には前人未到、空前絶後の
開幕戦でのノーヒット・ノーランを記録した。
まさにフェラー旋風であった。
42年から45年途中までの3年半にわたる兵役を終え
メジャーに戻って来たフェラーだが、この間にスライダーを取得。
グレード・アップしたフェラーは、
46年、兵役のブランクを微塵も感じさせない投球ぶりで
防御率2.18、26勝、348三振の大活躍、
4月のヤンキース戦では2度目のノーヒット・ノーランを記録した。
以後、6年間、3度の20勝以上と2度の最多勝をマークするなど
安定した活躍ぶりでチームの屋台骨を支え、
48年、ワールドシリーズでは惜しくも勝利投手にはなれなかったが
チームを世界一に導いている。
51年には22勝で6度目の最多勝、7月のタイガース戦で
3度目のノーヒット・ノーランを達成。
この頃から力の衰えが噂されるようになるが
「自分の事は自分が一番わかってるさ」と
その後も、56年まで投げ続け現役を引退した。
兵役―――
テッド・ウィリアムスから3000本安打を奪い、
ウィリー・メイズから700本塁打を奪った。
.....通算266勝。
“超”がつくほどの絶頂期に、
キャリアを中断せざるをえなかった
ボブ・フェラー.............兵役がなければ、通算300勝は確実であっただろう。
Bob FELLER
1963年のこと、
アイオワのド田舎に神童がいる――――
この情報を聞き出し、インディアンズのスカウトが
アイオワ州のバンミターへ赴いた。
神童=ボブ・フェラーの自宅にスカウトがやって来た時、
フェラーは父親の仕事を手伝い、畑仕事中であった。
かくして、早熟の天才・フェラーはインディアンズと契約、
契約問題を巡り、紆余曲折あったものの
17才にしてメジャーのマウンドに立った。
初登板のブラウンズ戦でいきなり15三振を奪い完投勝利、
9月のアスレチックス戦では当時のリーグ新記録となる
17奪三振の快投を披露し、周囲にその実力をまざまざと見せつける。
結局、8月からメジャーリーグに加わった1年目は
14試合に投げ、5勝、防御率3.34、現役の高校生とは思えない成績を残し、
シーズン終了後、フェラーは学業に専念するべく学校に戻った。
フェラーのストレートはまさに『Rapid(急速)』で、
打者はその煙の出るような速球にキリキリ舞いだった。
本名がロバートである事から、いつしか「Rapid Robert」と呼ばれるようになった。
翌37年、9勝をあげると、
38年、本領を発揮し240個の三振を奪い、リーグ最多をマーク、17勝をあげた。
39年から41年の3年間は、3年連続で最多勝と最多奪三振、
3年間、全ての年で20勝以上をあげ、
最優秀防御率にも輝いた40年には前人未到、空前絶後の
開幕戦でのノーヒット・ノーランを記録した。
まさにフェラー旋風であった。
42年から45年途中までの3年半にわたる兵役を終え
メジャーに戻って来たフェラーだが、この間にスライダーを取得。
グレード・アップしたフェラーは、
46年、兵役のブランクを微塵も感じさせない投球ぶりで
防御率2.18、26勝、348三振の大活躍、
4月のヤンキース戦では2度目のノーヒット・ノーランを記録した。
以後、6年間、3度の20勝以上と2度の最多勝をマークするなど
安定した活躍ぶりでチームの屋台骨を支え、
48年、ワールドシリーズでは惜しくも勝利投手にはなれなかったが
チームを世界一に導いている。
51年には22勝で6度目の最多勝、7月のタイガース戦で
3度目のノーヒット・ノーランを達成。
この頃から力の衰えが噂されるようになるが
「自分の事は自分が一番わかってるさ」と
その後も、56年まで投げ続け現役を引退した。
兵役―――
テッド・ウィリアムスから3000本安打を奪い、
ウィリー・メイズから700本塁打を奪った。
.....通算266勝。
“超”がつくほどの絶頂期に、
キャリアを中断せざるをえなかった
ボブ・フェラー.............兵役がなければ、通算300勝は確実であっただろう。