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file.116 Monte IRVIN【モンテ・アーヴィン】

2006-12-07 | GHI
【ジャイアンツ初の黒人選手】
Monte IRVIN

ニューアーク・イーグルスに在籍し、
ラリー・ドビーや、ドン・ニューカム、レイ・ダンドリッジといった
名選手達とプレーしたアーヴィン、
1940年には打率.422、41年には.396の高打率で首位打者を獲得、
その他、ホームラン王、打点王にも輝き、ニグロ・リーグのスターであった。
「最初にメジャーへ行くのはアーヴィンだと思っていた」
このクール・パパ・ベルの談話に代表されるように、
皆、アーヴィンこそが黒人初のメジャーリーガーになる...と
信じて疑わなかった。

兵役や、リッキー・ブランチとのすれ違いもあって、
アーヴィンは結局1949年、ニューヨーク・ジャイアンツと契約する。

1950年、アーヴィンは打率.299 本塁打15を打ち、
本格的にジャイアンツでのキャリアをスタートさせると、
51年には打率.312 本塁打24 121打点の好成績で打点王に輝く。
また、この年のワールドシリーズでも打率.458に加え、
ホームスチールを決めるなど大活躍。
「私が見た中で最高の選手だった」
ロイ・キャンパネラにこう言わしめるほど、
走・攻・守に秀でた5ツールプレーヤーであった。

その後、メジャーリーグには計8シーズン在籍、
通算で731本のヒットと、99本のホームランを記録し、
1956年、カブスを最後に現役を引退した。

1951年、ウィリー・メイズが入団すると、
アーヴィンは、メイズの世話係をかって出た。
食事・服装・女の子とのデートに至るまでメイズに世話を焼き、
勿論、野球においても様々なアドバイスをメイズに与えている。
メイズも、「アーヴィンから教わった事は一生胸に焼き付いている」...と
後に語っている。

メイズはルーキーイヤーの序盤、酷いスランプに陥った。
チームは勝っていたが、メイズ自身は凡打を繰り返していた。
それでもファンは期待の新人・メイズに暖かい拍手を送り続け、
罵声を浴びせるような事はしなかった。
メイズが疑問に思っていると、アーヴィンはこう言って笑った。

「ファンは知っているのさ、
お前がヒットを打たない限りチームは勝ち続ける、
ただ困るのはお前がヒットを打った時だよ」