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file.118 Ernie BANKS 【アーニー・バンクス】 

2006-12-10 | ABC
【 Let's play two! 】
Ernie BANKS

「ミスター・カブ」と呼ばれ、シカゴでは絶大な人気を誇った。
通算2583安打、512本塁打を記録したスラッガーで、
1977年に堂々の殿堂入りを果たしている。
温厚で陽気な性格と人なつこい笑顔、
お決まりのフレーズは「 Let's play two! (2試合やろうぜ)」
まさにAll time fan favoriteな名選手である。

メジャー入りする前は、ニグロリーグのモナークスに在籍、
サチェル・ペイジやジョシュ・ギブソンといった大選手とプレーする。

1953年、カブスと契約、遊撃手としてデビュー、
翌54年には19本塁打を記録し、スラッガーとしての片鱗をのぞかせると
55年に打棒爆発、44本塁打と117打点をマーク、
当時、遊撃手としての年間最多ホームラン記録であった。
打撃だけでなく守備も堅実なプレーで、チームを支えた。

圧倒的だったのは57年から60年の4年間だ。
4年連続で40本塁打以上を放ち、
58年は47本で本塁打王、129打点で打点王の二冠――
59年は143打点で打点王―――
60年は41本で本塁打王を獲得、
さらに58~59年と2年連続でシーズンMVPに輝いている。
2年ともチームは優勝しておらず、
そればかりか、負け越してさえいる。
そんな中でのMVP受賞は、
いかにバンクスの活躍が素晴らしかったかを物語っている。
60年にはキャリアで唯一となる
ゴールド・グラブ賞も受賞している。

1961年、膝の故障の影響で、シーズン途中に外野へコンバート、
さらに62年からは一塁へコンバートされた。
バンクス=遊撃のイメージが強いが、
実は、一塁手としての出場の方が100試合以上多いのだった。

膝の故障は、打撃にも多少の影響を与えていたようで、
63年からバンクスの成績は絶頂期に比べるとやや落ち込んでいる。
...が、バンクスはチームの主力選手として出場し続け、
1970年には500ホームランを達成。
翌71年に現役を引退した。

オールスター11回出場を誇るスーパースターだが、
チームの優勝に縁がなく、
一度もポストシーズンに出場する事は無かった。


バンクスがまだニグロ・リーグにいた頃、
シーズンオフの巡業ではジャッキー・ロビンソンと二遊間を組んでいたという、
この夢のようなキーストン・コンビは
残念ながら、メジャーのオールスターでは実現する事は無かった。