寺嫁な日々

嫁・妻・母・坊守として日々感じた事、大きな声じゃ言えない本音の所・・・お話しします

新人坊守研修会(2)

2016-10-15 21:18:28 | Weblog

自分にも新人坊守時代があった

頑張っちゃう優等生気質と
割と人の評価を気にする性分が災いして
今まで自分が築いてきた「自分」ってのはどこに行ったのか?
自分らしく生きてるのか?
わからなくなって
苦しかった

そんな時スガシカオの「プログレス」って歌に出会う
ずっと探していた 理想の自分って
もうちょっとカッコよかったけれど
ぼくが歩いてきた 日々と道のりを
ほんとは"ジブン"っていうらしい


歌って宛名の無いDMみたいなもんで
そのままゴミ箱に捨てられることもあるけど
誰かにとってはとっても大事なメールになることもある
法話や先人が残した言葉たちも、ある意味そうだと言える


自分は自分探しに違う世界に逃げ出すことなく
とどまり悩み苦しむこともひっくるめて私らしいんだと肯定することができたような気がする

そのうち
自分の考えてることってどうなんだろう?って誰かと談合したくなった
で、ブログを始める
いろんな人がコメント欄に遊びに来てくれたな
実生活では
教区の仕事にかかわるようになっていろんな出会いがあった
忘れられないのは
新人坊守一泊研修で初めて会ったE子と意気投合
朝、新聞配達のバイクの音が聞こえるまで話し込んだ
ま、お互いおしゃべりだったってことなんだけど
その出会いから早や10年
彼女が去年の新人坊守研修会で話した
「同じ問いを共有する朋が集まって、サンガができる」という言葉をかみしめたものです

問いを共有し
同じ感性を持つ人との集いはとても居心地が良いものです
ただ、気をつけないといけないのは
同じ考え方だけの集まりは健康的でないということを知っていること
そんな集団は、排他的になり、よどみ、脆弱になります

これも数年前の新人坊守研修会で
講師の先生が話されたことで印象に残っていることですが

宗門やお寺ということころ
ともすれば閉鎖的で
独りよがりになりがち
そこに「?」という感覚をもてるのが若坊守である
若坊守の言葉はわかってるつもりで淀み腐る宗門へのカンフル剤になるんだと
だから思ったことは声出して言ってみよう
新人で無くなった人は
新人の声に耳を傾け、声を出す場を奪わないようにしよう!

・・・・・と
新人で無くなりつつある私は
新人坊守研修を受けながら感じたことです


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