天皇陛下の靖国神社御親拝を希望する会会長

日本人の歴史認識は間違っています。皇紀2675年こんなに続いた国は世界の何処を探しても日本しかありません。

靖国とは

2014-06-01 00:03:03 | 歴史
靖国神社は英霊の「鎮魂」「慰霊」「顕彰」
を目的としてきました。

神道というものが宗教ではないとされた解釈で国教つまり国家神道とされ

万世一系・神聖不可侵の天皇が日本を統治すること、

国家の中心に存在する天皇と国民との間に伝統的な強い絆があるとされました。

富国強兵には不可欠と言うより国民が纏まらなければ

国は存在し得ない、の観点から採用されたのでしょう。

靖国の危機は敗戦により焼かれるか宗教法人になるかの選択で後者を選びました。

普通の人間が神に成りうる
恐らくこの点が明らかに他の神社とは異質であるのです。

神道が国家神道となり戦争に利用されたとも言えるでしょうがやはりその時の

国、天皇陛下にとって、國を維持する最良の政策だったのでしょう。


61年の御製ですが
この年の この日に【モマタ】靖国のみやしろのことに
【憂い】はふかし

「憂いは自分の思い通りにならなくて悔しい」
「愁いは悪い状態になることが不安である」

明らかに
昭和51年から毎年8月15日になるたびに靖国神社の事を考えると行けないことが悲しい

つまり天皇陛下は國の為に戦い死ねば靖国に祀り御自分で
鎮魂慰霊顕彰します

という英霊との約束を果たせなくなって悔しい

と詠むのが正しい

勅使は欠くことなく送られている

昭和50年までは28回も行かれていたのに

三木首相が私的参拝ならいいと公用車を使わず、spもつけず、玉ぐし料はポケットマネー等政教分離が政治問題化したことで

御親拝を中止せざるを得なくなってしまってから中曽根まで10年経ってもかわらぬ現状をお愁いになって詠まれた

と考えるべきであって

A級など全くの作り話

国家護持を遺族会は希望されていたようですが

これは靖国の顕彰と関係します英霊の功績を讃えることにより遺族に手厚い保証を与えられるよう国が管理する

これも政教分離から実現しなかった

遺族がいなくなれば国家護持の意味がなくなるのです

松平宮司が懸念していたのは
国家が介入することによって

時の政権で極端に言えば取り壊しもあり得ることです。

戦後様々な圧力から靖国を守ったのは松平宮司なのです

戦犯も厚生省からの棚上げされたのを(東條らは祀る側だから)遺族の為に合祀した

なんら問題はありません

この行為は戦犯を否定、東京裁判を否定、つまり敗戦国の占領下からあった日本の侵略戦争を否定する為の行為

日本はいい国である

このことを靖国は変わらず主張している

御霊の鎮魂、慰霊、顕彰

遊就館

パール判事の石碑

それでもまだ靖国を批判しますか、批判できますか?






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