はじめに
東京の中心皇居の北の丸にある日本武道館、田安門を挟み反対側に大鳥居がある。
鳥居の真ん中は通るな、神様の通り道であるから、と囁かれているがたとえ端っこでさえも潜るのが憚られる程の例えようのない威圧感を帯びた空気を全身に感じる。
明らかに周囲の喧騒から隔絶された場であることを大鳥居の前に立ち感じる。日本全国の神社仏閣の荘厳さとは完全に異にする威圧感だ、普通の人間が神、英霊として祀られている。しかもその数246万余柱という途轍もない数の祭神が放つ空気は明らかに他の神社とは異質なのだ。
最後に仲間と交わす言葉「靖国で会おう」そう口にしてこの国の為に散っていった若者達の靈がここ一点に集中するそれが「靖國」だ、国の内外を問わず時代の新旧に左右されず明治から今を貫いている。
一、大東亜戦争の総括なくして靖国は論ずなかれ
戦争体験が微塵もない私が靖国を語るのは些か烏滸がましいが、私の歴史感に決定的な変化が生じたのは東條英機の遺言を読んでからだ。
義務教育、高等学校と歴史を学んだが近現代史に入れば第二次世界大戦で日本は敗戦した。
東條は悪人、日本は侵略戦争し原爆を落とされ敗戦した。そんな歴史感が常識化し日本にとっては触れてはならない、二度と繰返してはならない正に禁断の過去なのだと自分なりに解釈し封印していた。しかし、目から鱗だ 180度転換だ。まごうことなき自尊自衛の戦争だったのである。
一体どうして戦後70年近くの長きに渡り真逆の歴史が罷り通ってきたのか?
連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP、以下GHQと略記)は米軍の占領前の日本は邪悪な侵略国家であり米軍は日本国民を軍国主義者の抑圧から解放した救済者であるとする 思想工作/情報洗脳 を極めて強力に実行した。
所謂ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム
戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画である。(太平洋戦争)大東亜戦争後にGHQによる日本占領管理政策として行われた。
国を弱体化する一番の方法はその国から自信と誇りを奪い歴史を捏造することであり
『日本は侵略戦争した』
この歴史捏造をGHQは日本人自らに行わせたことにより国民全体に深く浸透させた。
現在に至りこのことがまかり通っている限りマスコミのプレスコードは作用し続ける 。70年の長きに渡り続いた最大原因だ。
忠実な日本人は絶妙なレトリックを駆使し広告し放送し表現し教育する。天才詐欺師の集団と言っても過言でない日本人のGHQは脈々と受け継がれ反日日本人の根底となる。
靖国神社はGHQの焼き討ちから逃れ宗教法人として辛うじて存続をゆるされた。戦後70年間靖国は頑なに靖国であることを守り続けたのだ。
昭和天皇陛下の御親拝の中止
所謂A級戦犯の合祀
首相の参拝の私的、公的
近隣諸国の批判
様々な圧力にさらされ今日があるのである。
国外からの批判は内政干渉として無視すればよいのだが国内的には国論を二分する程の対立構造を生み出している。この対立は大東亜戦後の見解の違いで何処まで行っても平行線のままなのだ。
所謂A級戦犯ひとつとっても合祀に対してあれこれ物申す事になる。大東亜戦争の解釈の相違がどうして起こるのであろうか。そこには歴史が二つある。作られた歴史と真実の歴史だ。
いったい何処まで遡れば良いのだろう。少なくとも豊臣秀吉までだ。皆さんはどう思われたであろうか、恐らくその途方もなさに脱力感のみに襲われる事だろう。歴史の捏造は古ければ古い程に容易であり、捏造方法も多岐にわたる。時には大胆に時には怯弱にこの対立がかたや捏造、かたや真実の戦いであり、後者は保守的でありマイノリティである。
故に依然として国民の半数以上が捏造された歴史感で靖国を見ている。70年かけてじっくり浸透した虚構の歴史はそう易々と変えられるものではない。
パラレルワールドの与えられた方を70年間忠実に歩んでしまった日本人。政府は日本を取り戻すと高らかに公言しているが、成るべくして成ったこの現状は易々とやり直せるほど容易ではない。
諸外国、国内左翼勢力、反日日本人が負荷を掛け後戻りさえも困難にしている。
国民に広く隅々まで先の大戦の総括として捏造の修正、正しい歴史認識の拡散が必須なのである。
二、昭和天皇
「この年のこの日にもまた靖国のみやしろのことにうれひはふかし」
前年の昭和六十年に靖国神社公式参拝した中曽根首相が中国の内政干渉に屈し、この昭和六一年は靖国神社参拝を断念した。これは、日本政府の中国政府への「屈服・屈辱記念日」とも呼ぶべきで
昭和六一年八月十五日に昭和天皇陛下により、
靈の鎮魂が政治問題化している現状を捉えてお詠みになった御製である。
昭和天皇陛下は、日本政府の腰の据わらない対応に困惑されたばかりではなく、靖国神社へのご親拝が実現できないことを靖国神社に祀られている神々である英霊に詫びておられる叡慮がひしひしと伝わる。
昭和天皇陛下が、靖国神社参拝を切望されていたことは、この昭和六一年の御製であきらかである。
秦豊議員の「宮中祭祀・憲法違反」質問
「侍従は国家公務員であり、天皇の名代ということも個人的な資格ということが許されないと思います。伊勢神宮は明らかに宗教法人であるというありようにあわせてこれは明らかに憲法二十条に抵触する習慣と思います。これを習慣として見逃すことは余りにも重大であると思います」
これに対して、角田内閣法制局第一部長はあろうことか次のように秦議員の意見に賛意を表明したのである。
角田内閣法制局部長の「宮中祭祀・憲法違反」への賛成答弁
「神社へお参りするという場合もいろいろな方法があるわけでございます。いわゆる神道の儀式によって正式に参拝をするというようないろいろなやり方があると思いますが、そのやり方によって
ある場合は宗教的行為、あるいは宗教活動になるだろうとしかし、非常に単純なおじぎをするだけではそういうものにならないというような考え方もあると思います。」
「やすらけき世を祈れどもいまだならずくやしくもあるかきざしみゆれど」
昭和天皇御製(昭和六三年八月十五日)
この御製に至っては昭和天皇陛下は「くやし」とお詠みになられている。決して感情を露に国民に示されない陛下が「くやし」と何故このことに国民、政府は見て見ぬふりをするのか。
敢えて言わせてもらえば、陛下は国民の平和と安寧を願っていらっしゃり、その国民、民草がお気持ちに応えるにはさっさと政治問題を解決し一日でも早く御親拝を再開して頂くことではなかろうか。
天皇陛下が大晦日深夜より冷水等で身を清めた後、元日の午前四時より儀式をされるこの儀式のなかで天皇陛下は「さまざまな国難は我が身を通過しますように」苦難は国民に行かず、すべて自分の身が受けて立つ祈りをされる。日本国民として本当に頭が下がる、お祈りをして下さっているのだ。
日本人が敗戦によって地獄の苦しみを受けたにも関わらず驚くべきスピードで立ち直れたのも陛下の御祈りがあったからである。
皇紀2674年もの長きにわたり続いてきた日本を三千四千年と存続させるのには皇室が不可欠なのだ。このような天皇陛下が戦犯云々、不快感などあろうはずは未来永劫ないのである。
三、戦争神社
靖国神社を靖国戦争神社
遊就館を戦死者を美化し軍国主義へ導く施設であると主張する一部の集団がいる。
明らかに先の大戦に対する歴史認識の相違がある。日本が侵略と植民地支配をしたという解釈で戦後GHQ史観を後ろ楯にして所謂A級戦犯の合祀を問題視している。
この点で遺族と体験者の戦犯への憎悪がある事から両者が結び着いて、近隣諸国おもに支那、朝鮮が戦争責任の矛先を靖国の戦犯に向けている事からも三つ巴となり、戦後利得者、左翼団体と膨れ上がっているのが現状である。
正しい歴史認識を取り戻す障壁となっているのが村山談話と河野談話だ 。戦後レジームからの脱却を安部自民党は高らかに掲げているが、公明と連立している限りは村山談話を踏襲する姿勢は崩さないだろう。
近年マスコミに対抗する様に保守化した国民がネトウヨなどと呼ばれる。これも左翼勢力の印象操作であり右傾化などしているのかさえ疑わしい。
一過性のブームで終わらせてはならない。
靖国神社は日本と日本人にとって切り離す事の出来ないものであり、そのことを戦争神社などと呼ぶ海外に広く周知徹底させることも重要課題である。
これらを無視して最新の国営墓地、追悼施設など造ってしまえば、靖国は易々と解体され、たちまち 日本は消滅してしまうに違いない。
四、靖国宮司
戦後(大東亜戦争後)の30年余り経過しての二人の戦いである。
宮内庁 徳川 義寛 侍従次長
靖国神社 松平 永芳 宮司
である。
徳川…、1906(明治39)年11月7日 - 1996(平成8)年2月2日は、昭和天皇の側近、 侍従長。尾張 89没
松平…1915年(大正4年)3月21日 - 2005年(平成17年)7月10日)は、日本の海軍軍人、陸上自衛官 90没
まずはじめに2006/7両者死後の富田メモである。
宮内庁長官の富田朝彦のメモであるが幾つか疑問点がある。
実物非公開、日本経済新聞だけが所持、誰の発言か不明、メモ自体の信憑性等が挙げられる。
この様な疑問点はがあるもののこの富田メモがどのような働きをしているかが重要だ
天皇陛下の御親拝中止と一部の戦犯合祀が原因である事。この戦いの焦点である戦犯合祀を問題視する宮内庁サイドを後押しするメモであることが言える。
つまり宮内庁が戦犯合祀に反対的立場でありその正当性を証明、確定しているのだ。ここでもしも全くの虚構であったならば、靖国の松平宮司の戦犯合祀が正当性を持つとする。それはどのような問題点となるのか。
戦犯はその罪は消え公務死、他の御霊と同等に合祀され靖国の御英霊となられた。
このどの部分に問題があるのか、たしかに戦犯は恩赦され公務死として27~28年閣議決定されている。ただし、A級戦犯で処刑(昭和殉難者)された14名は名誉回復が目的とされた。
つまり、赦免されることなく処刑された時点でA級戦犯の刑が確定しているのだから、名誉回復の為の合祀と考えて良いだろう。これら一連の合祀を富田メモまで持ち出し問題視する宮内庁は何を恐れているのか。
推測の域を出ないがもしもこの国から戦犯がいなくなるとその責任がただ一点、天皇陛下に及んでしまうからか。もしくはサンフランシスコ平和条約で、日本は東京裁判などの軍事裁判の結果を受け入れることが規定されており、法的には日本は国家として判決を受け入れてしまっている。
戦いは徳川、松平の両者に留まらずそれぞれを代表として、膨大な勢力の対立という問題を靖国神社は抱えている事になる。
五、靖国神社の本質
靖国神社を招魂社までさかのぼってしまうと見誤る。靖国神社の本質は大東亜戦争終戦からそれまでの靖国と明白にその存在意義を異にしている。
「兵士の志気を高め国家による戦争を推進すること」が最終的な目的とする明治からの勝ち戦の中での本質は終戦、宗教法人となってからは消滅したと考えるべきである。
その証拠に戦犯の合祀は東京裁判を否定し名誉回復すると同時に遺族に対する冷遇が改善されたからである。
推測であるが、おそらく徳川侍従は14名の戦犯合祀を見落としていたのかもしれない。
そう推理すると徳川侍従の慌てぶりや嘘の証言が理解出来る。
終戦からただひたすら国の為に戦没、殉職した人々の慰霊、鎮魂、顕彰を目的としているだけである。ただ一点問題があるとすれば戦犯とされた中に病死者がいる点であろう。しかし、正に戦後解体を免れ宗教法人に生まれ変わった時点において、また松平宮司が病死者を合祀した事により靖国の本質を決定付けたのである。
戦争を知らない世代が『終戦』を『敗戦』と教えられ、GHQによる洗脳で捏造された歴史観を植え付けられ、頭の中まで黒く塗り潰された彼らが深い洗脳から覚める日が来ることを祈る。
少なくともパール判事、マッカーサー証言、東條英樹の宣誓供述書を見れば靖国神社の本質も明らかになるはずである。
明らかに徳川侍従長は戦犯が合祀されてから天皇陛下が参拝を中止したと、その理由が合祀であることを明言しているかの如く松平宮司を責めている。
それを戦犯合祀問題まで誇張した徳川侍従と思われても仕方のない嘘をついてしまっていたのである。どうやら軍配は松平宮司に上がったと言っても良いだろう。だが徳川侍従の置き土産が天皇陛下の御親拝中止であったのです。
六、靖国問題
靖国に問題があるとすればそれは半数近くの遺骨が未収集であることであり、その他の問題は左派による言い掛かりのようなものである。しかし、何かにつけ天皇陛下が御親拝を中止したことを問題視する。あたかも自分達が御親拝を止めさせたんだと自負するかのように。
これら反日日本人がまるで入れ知恵しているかのように所謂A級戦犯分祀を中韓は干渉してくる。
それは必ずやB.C級戦犯分祀、何れは天皇陛下の戦争責任まで言及してくるに違いない。首相が参拝すればそれに呼応するように大合唱するのである。日本人であるならば何も問題はないのだからばか騒ぎは止めていただきたい。
七、靖国と共に
諸外国のいいなりにすればやがて靖国が解体され日本は消滅してしまう。つまり天皇陛下、ご皇室が無くなる危険性を孕んでいる。
日本人、靖国神社、天皇陛下は密接に繋がっており、その一つでも無くなればそれは機能しなくなると考えるべきである。
天皇陛下のお気持ちは御製により明らかであり、靖国神社は70年間変わらず存続している。問題は日本人にあるのだ。
正しい歴史を理解しようとしない日本人は何れや滅びるであろう。靖国神社を怖がり天にツバすれば自分に降りかかるだろう。
日本人が正しいアイデンティティーを取り戻し靖国と共に歩めば自と天皇陛下も寄り添って下さるのである。
原爆を落とされ、国家神道を解体され、現人神を奪われ、大東亜戦争の聖戦はねじ曲げられ、戦犯にその罪を被せ、祖国を愛せず、家族さえも守ろうとしない、そんな国民の未来など存在し得ない。
靖國神社御英霊246万6584柱はどの様な未来を想像したのか、是非もう一度考えてもらいたい。
東京の中心皇居の北の丸にある日本武道館、田安門を挟み反対側に大鳥居がある。
鳥居の真ん中は通るな、神様の通り道であるから、と囁かれているがたとえ端っこでさえも潜るのが憚られる程の例えようのない威圧感を帯びた空気を全身に感じる。
明らかに周囲の喧騒から隔絶された場であることを大鳥居の前に立ち感じる。日本全国の神社仏閣の荘厳さとは完全に異にする威圧感だ、普通の人間が神、英霊として祀られている。しかもその数246万余柱という途轍もない数の祭神が放つ空気は明らかに他の神社とは異質なのだ。
最後に仲間と交わす言葉「靖国で会おう」そう口にしてこの国の為に散っていった若者達の靈がここ一点に集中するそれが「靖國」だ、国の内外を問わず時代の新旧に左右されず明治から今を貫いている。
一、大東亜戦争の総括なくして靖国は論ずなかれ
戦争体験が微塵もない私が靖国を語るのは些か烏滸がましいが、私の歴史感に決定的な変化が生じたのは東條英機の遺言を読んでからだ。
義務教育、高等学校と歴史を学んだが近現代史に入れば第二次世界大戦で日本は敗戦した。
東條は悪人、日本は侵略戦争し原爆を落とされ敗戦した。そんな歴史感が常識化し日本にとっては触れてはならない、二度と繰返してはならない正に禁断の過去なのだと自分なりに解釈し封印していた。しかし、目から鱗だ 180度転換だ。まごうことなき自尊自衛の戦争だったのである。
一体どうして戦後70年近くの長きに渡り真逆の歴史が罷り通ってきたのか?
連合国軍最高司令官総司令部(GHQ/SCAP、以下GHQと略記)は米軍の占領前の日本は邪悪な侵略国家であり米軍は日本国民を軍国主義者の抑圧から解放した救済者であるとする 思想工作/情報洗脳 を極めて強力に実行した。
所謂ウォー・ギルト・インフォーメーション・プログラム
戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画である。(太平洋戦争)大東亜戦争後にGHQによる日本占領管理政策として行われた。
国を弱体化する一番の方法はその国から自信と誇りを奪い歴史を捏造することであり
『日本は侵略戦争した』
この歴史捏造をGHQは日本人自らに行わせたことにより国民全体に深く浸透させた。
現在に至りこのことがまかり通っている限りマスコミのプレスコードは作用し続ける 。70年の長きに渡り続いた最大原因だ。
忠実な日本人は絶妙なレトリックを駆使し広告し放送し表現し教育する。天才詐欺師の集団と言っても過言でない日本人のGHQは脈々と受け継がれ反日日本人の根底となる。
靖国神社はGHQの焼き討ちから逃れ宗教法人として辛うじて存続をゆるされた。戦後70年間靖国は頑なに靖国であることを守り続けたのだ。
昭和天皇陛下の御親拝の中止
所謂A級戦犯の合祀
首相の参拝の私的、公的
近隣諸国の批判
様々な圧力にさらされ今日があるのである。
国外からの批判は内政干渉として無視すればよいのだが国内的には国論を二分する程の対立構造を生み出している。この対立は大東亜戦後の見解の違いで何処まで行っても平行線のままなのだ。
所謂A級戦犯ひとつとっても合祀に対してあれこれ物申す事になる。大東亜戦争の解釈の相違がどうして起こるのであろうか。そこには歴史が二つある。作られた歴史と真実の歴史だ。
いったい何処まで遡れば良いのだろう。少なくとも豊臣秀吉までだ。皆さんはどう思われたであろうか、恐らくその途方もなさに脱力感のみに襲われる事だろう。歴史の捏造は古ければ古い程に容易であり、捏造方法も多岐にわたる。時には大胆に時には怯弱にこの対立がかたや捏造、かたや真実の戦いであり、後者は保守的でありマイノリティである。
故に依然として国民の半数以上が捏造された歴史感で靖国を見ている。70年かけてじっくり浸透した虚構の歴史はそう易々と変えられるものではない。
パラレルワールドの与えられた方を70年間忠実に歩んでしまった日本人。政府は日本を取り戻すと高らかに公言しているが、成るべくして成ったこの現状は易々とやり直せるほど容易ではない。
諸外国、国内左翼勢力、反日日本人が負荷を掛け後戻りさえも困難にしている。
国民に広く隅々まで先の大戦の総括として捏造の修正、正しい歴史認識の拡散が必須なのである。
二、昭和天皇
「この年のこの日にもまた靖国のみやしろのことにうれひはふかし」
前年の昭和六十年に靖国神社公式参拝した中曽根首相が中国の内政干渉に屈し、この昭和六一年は靖国神社参拝を断念した。これは、日本政府の中国政府への「屈服・屈辱記念日」とも呼ぶべきで
昭和六一年八月十五日に昭和天皇陛下により、
靈の鎮魂が政治問題化している現状を捉えてお詠みになった御製である。
昭和天皇陛下は、日本政府の腰の据わらない対応に困惑されたばかりではなく、靖国神社へのご親拝が実現できないことを靖国神社に祀られている神々である英霊に詫びておられる叡慮がひしひしと伝わる。
昭和天皇陛下が、靖国神社参拝を切望されていたことは、この昭和六一年の御製であきらかである。
秦豊議員の「宮中祭祀・憲法違反」質問
「侍従は国家公務員であり、天皇の名代ということも個人的な資格ということが許されないと思います。伊勢神宮は明らかに宗教法人であるというありようにあわせてこれは明らかに憲法二十条に抵触する習慣と思います。これを習慣として見逃すことは余りにも重大であると思います」
これに対して、角田内閣法制局第一部長はあろうことか次のように秦議員の意見に賛意を表明したのである。
角田内閣法制局部長の「宮中祭祀・憲法違反」への賛成答弁
「神社へお参りするという場合もいろいろな方法があるわけでございます。いわゆる神道の儀式によって正式に参拝をするというようないろいろなやり方があると思いますが、そのやり方によって
ある場合は宗教的行為、あるいは宗教活動になるだろうとしかし、非常に単純なおじぎをするだけではそういうものにならないというような考え方もあると思います。」
「やすらけき世を祈れどもいまだならずくやしくもあるかきざしみゆれど」
昭和天皇御製(昭和六三年八月十五日)
この御製に至っては昭和天皇陛下は「くやし」とお詠みになられている。決して感情を露に国民に示されない陛下が「くやし」と何故このことに国民、政府は見て見ぬふりをするのか。
敢えて言わせてもらえば、陛下は国民の平和と安寧を願っていらっしゃり、その国民、民草がお気持ちに応えるにはさっさと政治問題を解決し一日でも早く御親拝を再開して頂くことではなかろうか。
天皇陛下が大晦日深夜より冷水等で身を清めた後、元日の午前四時より儀式をされるこの儀式のなかで天皇陛下は「さまざまな国難は我が身を通過しますように」苦難は国民に行かず、すべて自分の身が受けて立つ祈りをされる。日本国民として本当に頭が下がる、お祈りをして下さっているのだ。
日本人が敗戦によって地獄の苦しみを受けたにも関わらず驚くべきスピードで立ち直れたのも陛下の御祈りがあったからである。
皇紀2674年もの長きにわたり続いてきた日本を三千四千年と存続させるのには皇室が不可欠なのだ。このような天皇陛下が戦犯云々、不快感などあろうはずは未来永劫ないのである。
三、戦争神社
靖国神社を靖国戦争神社
遊就館を戦死者を美化し軍国主義へ導く施設であると主張する一部の集団がいる。
明らかに先の大戦に対する歴史認識の相違がある。日本が侵略と植民地支配をしたという解釈で戦後GHQ史観を後ろ楯にして所謂A級戦犯の合祀を問題視している。
この点で遺族と体験者の戦犯への憎悪がある事から両者が結び着いて、近隣諸国おもに支那、朝鮮が戦争責任の矛先を靖国の戦犯に向けている事からも三つ巴となり、戦後利得者、左翼団体と膨れ上がっているのが現状である。
正しい歴史認識を取り戻す障壁となっているのが村山談話と河野談話だ 。戦後レジームからの脱却を安部自民党は高らかに掲げているが、公明と連立している限りは村山談話を踏襲する姿勢は崩さないだろう。
近年マスコミに対抗する様に保守化した国民がネトウヨなどと呼ばれる。これも左翼勢力の印象操作であり右傾化などしているのかさえ疑わしい。
一過性のブームで終わらせてはならない。
靖国神社は日本と日本人にとって切り離す事の出来ないものであり、そのことを戦争神社などと呼ぶ海外に広く周知徹底させることも重要課題である。
これらを無視して最新の国営墓地、追悼施設など造ってしまえば、靖国は易々と解体され、たちまち 日本は消滅してしまうに違いない。
四、靖国宮司
戦後(大東亜戦争後)の30年余り経過しての二人の戦いである。
宮内庁 徳川 義寛 侍従次長
靖国神社 松平 永芳 宮司
である。
徳川…、1906(明治39)年11月7日 - 1996(平成8)年2月2日は、昭和天皇の側近、 侍従長。尾張 89没
松平…1915年(大正4年)3月21日 - 2005年(平成17年)7月10日)は、日本の海軍軍人、陸上自衛官 90没
まずはじめに2006/7両者死後の富田メモである。
宮内庁長官の富田朝彦のメモであるが幾つか疑問点がある。
実物非公開、日本経済新聞だけが所持、誰の発言か不明、メモ自体の信憑性等が挙げられる。
この様な疑問点はがあるもののこの富田メモがどのような働きをしているかが重要だ
天皇陛下の御親拝中止と一部の戦犯合祀が原因である事。この戦いの焦点である戦犯合祀を問題視する宮内庁サイドを後押しするメモであることが言える。
つまり宮内庁が戦犯合祀に反対的立場でありその正当性を証明、確定しているのだ。ここでもしも全くの虚構であったならば、靖国の松平宮司の戦犯合祀が正当性を持つとする。それはどのような問題点となるのか。
戦犯はその罪は消え公務死、他の御霊と同等に合祀され靖国の御英霊となられた。
このどの部分に問題があるのか、たしかに戦犯は恩赦され公務死として27~28年閣議決定されている。ただし、A級戦犯で処刑(昭和殉難者)された14名は名誉回復が目的とされた。
つまり、赦免されることなく処刑された時点でA級戦犯の刑が確定しているのだから、名誉回復の為の合祀と考えて良いだろう。これら一連の合祀を富田メモまで持ち出し問題視する宮内庁は何を恐れているのか。
推測の域を出ないがもしもこの国から戦犯がいなくなるとその責任がただ一点、天皇陛下に及んでしまうからか。もしくはサンフランシスコ平和条約で、日本は東京裁判などの軍事裁判の結果を受け入れることが規定されており、法的には日本は国家として判決を受け入れてしまっている。
戦いは徳川、松平の両者に留まらずそれぞれを代表として、膨大な勢力の対立という問題を靖国神社は抱えている事になる。
五、靖国神社の本質
靖国神社を招魂社までさかのぼってしまうと見誤る。靖国神社の本質は大東亜戦争終戦からそれまでの靖国と明白にその存在意義を異にしている。
「兵士の志気を高め国家による戦争を推進すること」が最終的な目的とする明治からの勝ち戦の中での本質は終戦、宗教法人となってからは消滅したと考えるべきである。
その証拠に戦犯の合祀は東京裁判を否定し名誉回復すると同時に遺族に対する冷遇が改善されたからである。
推測であるが、おそらく徳川侍従は14名の戦犯合祀を見落としていたのかもしれない。
そう推理すると徳川侍従の慌てぶりや嘘の証言が理解出来る。
終戦からただひたすら国の為に戦没、殉職した人々の慰霊、鎮魂、顕彰を目的としているだけである。ただ一点問題があるとすれば戦犯とされた中に病死者がいる点であろう。しかし、正に戦後解体を免れ宗教法人に生まれ変わった時点において、また松平宮司が病死者を合祀した事により靖国の本質を決定付けたのである。
戦争を知らない世代が『終戦』を『敗戦』と教えられ、GHQによる洗脳で捏造された歴史観を植え付けられ、頭の中まで黒く塗り潰された彼らが深い洗脳から覚める日が来ることを祈る。
少なくともパール判事、マッカーサー証言、東條英樹の宣誓供述書を見れば靖国神社の本質も明らかになるはずである。
明らかに徳川侍従長は戦犯が合祀されてから天皇陛下が参拝を中止したと、その理由が合祀であることを明言しているかの如く松平宮司を責めている。
それを戦犯合祀問題まで誇張した徳川侍従と思われても仕方のない嘘をついてしまっていたのである。どうやら軍配は松平宮司に上がったと言っても良いだろう。だが徳川侍従の置き土産が天皇陛下の御親拝中止であったのです。
六、靖国問題
靖国に問題があるとすればそれは半数近くの遺骨が未収集であることであり、その他の問題は左派による言い掛かりのようなものである。しかし、何かにつけ天皇陛下が御親拝を中止したことを問題視する。あたかも自分達が御親拝を止めさせたんだと自負するかのように。
これら反日日本人がまるで入れ知恵しているかのように所謂A級戦犯分祀を中韓は干渉してくる。
それは必ずやB.C級戦犯分祀、何れは天皇陛下の戦争責任まで言及してくるに違いない。首相が参拝すればそれに呼応するように大合唱するのである。日本人であるならば何も問題はないのだからばか騒ぎは止めていただきたい。
七、靖国と共に
諸外国のいいなりにすればやがて靖国が解体され日本は消滅してしまう。つまり天皇陛下、ご皇室が無くなる危険性を孕んでいる。
日本人、靖国神社、天皇陛下は密接に繋がっており、その一つでも無くなればそれは機能しなくなると考えるべきである。
天皇陛下のお気持ちは御製により明らかであり、靖国神社は70年間変わらず存続している。問題は日本人にあるのだ。
正しい歴史を理解しようとしない日本人は何れや滅びるであろう。靖国神社を怖がり天にツバすれば自分に降りかかるだろう。
日本人が正しいアイデンティティーを取り戻し靖国と共に歩めば自と天皇陛下も寄り添って下さるのである。
原爆を落とされ、国家神道を解体され、現人神を奪われ、大東亜戦争の聖戦はねじ曲げられ、戦犯にその罪を被せ、祖国を愛せず、家族さえも守ろうとしない、そんな国民の未来など存在し得ない。
靖國神社御英霊246万6584柱はどの様な未来を想像したのか、是非もう一度考えてもらいたい。
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