ここ数回古代史をとりあげてきた。
義務教育で教育される日本史が記紀を無視して中国文献(漢の倭の奴国王、卑弥呼、邪馬台国)から始まることに違和感を感じつつも、近隣諸国への配慮から"学ばない""論争中"という状態を維持することを良しとしてきた『代償』に危機感を覚える。
つまり、我々のルーツを曖昧にして教育することで、民族差別や偏見を抑止すると期待されて続いてきた効果がそれを通り越して国益を蝕み始めていることを危惧しているわけだ。
記紀の否定は戦前の日本が記紀を手本に軍国化した代償であるとともに、それだけ記紀をベースにして国づくりしていた証ともいえる。
記紀には卑弥呼を神功皇后に比定する"匂わせ"が登場するが、記紀を編纂した700年代に編者は三国志魏志倭人伝を読み、それを遥かに凌駕する歴史書作ったと言える。
記紀を読むと歴史書編纂の理由や意義は平和と安寧であることが分かり、謂わば国防白書であることがわかる。
明治政府がベースにしたのがこの国防白書である。
多神教
太陽神
先祖崇拝天照
人が神になる
日本の第二国歌、準国歌とされる『海行かば』もこれとシンクロするように700年代の『万葉集』巻十八「賀陸奥国出金詔書歌」(大伴家持作)の長歌から採られている。
葦原の 瑞穂の国を 天下り 知らし召しける 皇祖(すめろき)の 神の命(みこと)の 御代重ね 天の日嗣(ひつぎ)と 知らし来る
君の御代御代 敷きませる 四方(よも)の国には 山川を 広み厚みと 奉る 御調宝(みつきたから)は 数へえず 尽くしもかねつ しかれども 我が大王(おほきみ)の 諸人を 誘ひたまひ よきことを 始めたまひて 金かも たしけくあらむと 思ほして 下悩ますに 鶏が鳴く 東(あづま)の国の 陸奥(みちのく)の 小田なる山に 黄金ありと 申したまへれ
御心を 明らめたまひ 天地(あめつち).の 神相(かみあい)うづなひ 皇御祖(すめろぎ)の 御霊(みたま)助けて 遠き代に かかりしことを 我が御代に 顕はしてあれば 御食国(みをすぐに)は 栄えむものと 神(かむ)ながら 思ほしめして
武士(もののふ)の 八十伴(やそとも)の緒を まつろへの 向けのまにまに 老人(おいびと)も 女(め)の童児(わらはこ)も しが願ふ 心足らひに 撫でたまひ 治めたまへば ここをしも あやに貴み 嬉しけく いよよ思ひて 大伴の 遠つ神祖(かむおや)の その名をば 大来目主(おほくめぬし)と 負ひ持ちて 仕へし官(つかさ)
海行かば 水漬く屍 山行かば 草生す屍 大君の 辺にこそ死なめ かへり見は せじと言立(ことだて)て 丈夫の 清きその名を 古(いにしえ)よ 今の現(をつつ)に 流さへる 祖(おや)の子どもぞ 大伴と 佐伯の氏は 人の祖の 立つる言立て 人の子は 祖の名絶たず 大君(おほきみ)に まつろふものと 言ひ継げる
言(.こと)の官(つかさ)ぞ 梓弓(あずさゆみ) 手に取り持ちて 剣大刀(つるぎたち) 腰に取り佩(は)き 朝守り 夕の守りに 大君の 御門の守り 我れをおきて 人はあらじと いや立て 思ひし増さる 大君の 御言(みこと)のさきの聞けば貴み
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