萌える若葉、散る花弁、春は慌ただしく過ぎていく様です。
今日は近所のお寺さんの大お庫裏(くり)さんが亡なり葬式でした。101歳、明治、大正、昭和、平成の四代を生き抜いた方で大往生でした。私も幼い時お寺の境内で遊ばせて頂き、お菓子を頂き大変お世話に成った。 お寺さんの庫裏にこんな言葉が掲げて有った、「私がここにいるって とても不思議な事なのだ」。 この大きな地球上で虫から魚達、ありとあらゆる生き物たちから人間まで今日、何兆と云う数の新しい命を芽生え、そして今日何兆という命が去って行った。 石の上の桜の花びら 日頃命の存在にも気づかず唯ひたすらに慌ただしく生活をしている自分、確かに「自分が今ここにいるって とても不思議な事だ」 散りゆく桜と若葉の苔 我が家にも新しい命が九月に誕生しそうだ、天狗さんもマダマダ散るのには少し早過ぎる様だ、しかし命の管理人は神様なので、逆らわず素直に生きようぞ。
やっと苦手な冬が遠のいて春爛漫、つい外に出たく成ってフラフラと出掛けました。
ここは木曽三川公園の河川敷、平日にも関わらず広い河川敷は車で一杯、私と同じ、暇人が多いのでしょうか。
4月3日より恒例のチュウリップ祭りが始まりました、ここは国の施設ですから駐車場も入園料も無料です、景気が今一つですので節約ムードの昨今、皆さん良くご存知です。赤字国債と同じで赤のチュウリップ満開が過ぎた様です。
しかし公園は御覧の通り色とりどりのチュウリップで一杯でした。
中世のヨーロッパ貴族達は世界各国から色々のチュウリップを集め楽しんだそうです、そして当時チュウリップは大変貴重な花で投機に使われ多額の富を得た人や多額の損失を出して破産する人々が出たそうです。神代の時代から人間は掛け事が好きな動物の様です、私ゃ金が無いから無料で拝見して春を楽しむ、でした。
春爛漫のこの日、小学校の入学式にご招待されて来賓席に陣取る。
六年生のお兄さん、お姉さんに手をつないで貰って新入生の入場です。六年生と一年生ではまるで大人と子供、六年間で随分成長するものだ。
在校生は拍手で歓迎。
今年の新入生は15人、これでも今年は多い方です。来年からはもう一つの小学校と合併するので生徒の人数は多く成りますがそれでも一学級20人程度、ここにも少子化の影響がくっきりです。
卒業式は少し寂しいですが入学式は可愛い。しかし未来を背負うこの子達の為に私達は何が残せるか、責任を感じる。無限に広がる子供達の能力を大人達は虚栄心と自己の我で結構摘み取っている、今日も新入生の父兄は殆んど両親揃っての出席でした。可愛いだけでなくしっかりと育てて頂きたいものです。
今日から四月、今年も既に1/4が過ぎてしまった。ここで少し立ち止まって自分の生活を反省してみると。
自分は褒められると嬉しいのに心のどこかでは人を何時も批判して軽蔑している。
雨の日は天気が悪いと言いますが、雨が降らないと砂漠化して食物も動物も生きていけない、雨は悪いのでしょうか。
あの人は悪い人やと批判しているのにその人が居なくなると又新しい批判の対象者を探している。
質問、金が大事か、命が大事かと問われると。命と答えるが日頃の生活では自分の命の存在すら忘れて金を追いかけている
鞍馬の魔王尊は何時も私達の心を心を見て御座る
危機一髪、助けて~、誰に助けを求めているのでしょうか。無意識の中に「神さん助けて~」と云っているのですが日頃は神さんの存在すら無い。
質問、不足の数と感謝の数、どちらが多いか。答え、圧倒的に不足の数、不足は不幸を招き、感謝は幸せを招くのですが。
お釈迦さんの教えを広める五百羅漢さん 私どもの日常生活は幸せを求めて無意識の内に矛盾だらけの生活を送っています。こんな馬鹿な自分に気づく事が幸せへの一歩ではないでしょうか。 今日は4月1日、四月馬鹿の日でした、皆さんお叱り無く楽しい人生を。