10月24日はみろく苑の方々と高野山参拝でした。高野山は816年頃、嵯峨天皇から弘法大師(空海)がこの地を賜り真言密教の拠点を開山された。
弘法大師は高野山を開山されたのですが、お母さんは80を過ぎた高齢の時、四国から息子を偲んでこの地に来られました。しかしこのお山は女人禁制の為、大師のお母さんですら入山することは出来なかった。大師は月に9回必ず高野山頂より20数キロ下山してお母さんの住んで見える慈尊院を訪ねられた。
私達は先ずこの慈尊院にお参りさせて頂き住職から「ゴン」と云う不思議な犬の話を聞く。ゴンは野良犬でしたが或る時から慈尊院に住みつき、観光客や修行に来られる方をこの慈尊院から20数キロ離れた高野山まで約7時間掛けて道案内をし、案内を終えると3時間程で又慈尊院に引き返すとのことでした。マスコミでも大変有名になったそうです。
伝説では弘法大師(空海)が若かりし時、修行をするのに適した地を探していた処、今の奈良県五条市あたりで狩人から白、黒の二匹の犬に付いて行く様に云われた。この犬に付いて行くと今の和歌山県かつらぎ町で土地の神さんである丹生明神(にうみょうじん)と出あい高野山を譲り受けた、と有るさうです。慈尊院のゴンはこの話の白、黒の犬の生まれ変わりでしょうか。
高野山の奥の院、ここで弘法大師さんは生きたまま入定(にゅうじょう)、つまり生きたままでお姿を隠された、と云われています。だから今でも大師さんには食事を朝夕届けられています。そしてこの世が滅びかけた時、弥勒菩薩さんを案内して永久平和の世にすると願を掛けられたそうです。
しかし奥の院一帯は墓地の一大団地です。有名人から企業まで錚々たるものです、上杉謙信、織田信長、明智光秀、曽我兄弟、赤穂四十七士、法然聖人、親鸞聖人から市川団十郎、鶴田浩二、ヤクルト、シャープ、明和工業の墓までその数10万基とも20万基とも有るそうです。日本人の心の大きさか、曖昧さか、宗派を問わず敵も味方も混載する寛容さは世界一でしょう。般若心経は捕らわれない心を説いていますが、捕われる心が争いの元ですからやはり高野山は捕われない心を教える凄い所でした。