アイリス ふれあい農園

野菜作りを楽しみませんか。定年後の第二の人生の癒しに、家族で野菜を育てる楽しみ、土と戯れて野菜作りでストレス発散。

天狗の総本山 鞍馬寺参拝

2011年10月24日 | 宗教、信仰

今日(10月23日)、みろく苑の方々と京都の鞍馬寺に参拝する。

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立派な山門を抜け、ケーブルカーで約4分程度で多宝堂駅に到着、そこから少し歩くと本殿金堂に着きました。金堂前には有名なパワースパットのマークが有ります。

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若い青年は一生懸命お祈りして宇宙からのエネルギーを吸収中です、私もこの位置に立つものの順番待ちで中々ゆっくりとこのポイントに立てなかった。

鞍馬寺の本尊さんは中央に毘沙門天(光・・・・太陽の精霊)、右に先手観音(愛・・・・月の精霊)、左に護法魔王尊(力・・・・地球の霊王)の三尊を一つにまとめ尊天と称されています。この護法魔王尊さんが650万年前金星からこの鞍馬の地に降り立ったと云われ、一説では天狗の総師と云われています。

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この寺の家紋は天狗のウチワです。この鞍馬山は2億6千万年前海底火山の隆起によって生まれた山でそうです、その時から地球のエネルギーがこの山に満ち溢れていたのでしょう。

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護法魔王尊さんに会いに行くために本殿から石の階段と木(気)の根がむき出しの山道を歩くこと約30分かけて奥の院を目指す。

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奥の院で護法魔王尊さんよりパワーを頂いて今日の参拝を終える。山が険しい関係か、鞍馬山のエネルギーを求めてか、信仰を深める為か結構若い方の参拝者が多い事に喜びを感じた。


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仏縁

2011年05月03日 | 宗教、信仰

先日私の友人が訪ねて来てこんな話をしてくれました。

或るお寺の住職さんが檀家の人と食事をすると何時も住職の前に座るお婆さんがみえた。そのお婆さんは手が不自由で何時も右手を使ってスプーンで食事をしていた。その姿を見て住職は何時も自分の前に座り、お婆さんの不自由な姿を見て自分が食事をするのが内心いやだったそうです

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村の人が、「あのお婆さん、昔は仏さんや神さんに手を合わす事が嫌な方で、我が強く自分勝手で有名な人だった、しかし或る時食事の準備をしている時お釜の尻に火が付きその火が着物に燃え移り大火傷をしたそうな。その火傷でお婆さんは左手が使えず、右手も親指と小指だけしか動かなくなった。」

信仰深いお爺さんはそんなお婆さんを献身的に看病しやっと自分で食事が出来るまで成ったのですがお爺さんは数年前に亡くなられた。

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そんな話を聞いた住職は或る時お婆さんに

住職 「お婆さんの御主人は仏さんの様な人だったそうだな~」

お婆さん 「いや、仏さんでした。」

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無情説法

2011年01月08日 | 宗教、信仰

無情説法

説法と云いますと偉い方が私どもに正しい生き方を説かれる事が一般的な解釈です、ここで云う無情説法とは「天地自然の一切の物が私の先生」と云う事です。よく真理、真理と云いますが真理と宇宙の法則であり、自然の営みであり、その真理の奥深い考えを悟った方がお釈迦さんであり、キリストで有り、その他の高僧方なのです。

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天地自然の法則に依りリンゴが木から落ちる事を知ってニュートンは万有引力の法則を発見した、エジソンは雷が電気で或る事を発見した事も無情説法の一種です。

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昔の人は雲の動き、風の流れ、太陽の様子を見て明日の天気を知り、農業、漁業等の生活に生かした、しかし今はテレビを見て、新聞を読んで天気の予報を知る様になった、科学のお陰で私達は正確な明日の天気を知る事は出来る様になった半面で、雲や風や太陽との対話は無くなった。自然から有りとあらゆる事を教え(説法)て貰っているのに聴く耳が無くなってしまった。

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滝の語りかけを聴いて何を悟るか。

昨年も自ら生命を絶った方は三万人を超えた様です、物は豊に、情報は豊富になり、生活の質も向上した様に見受けられますが精神的な心の拠り所は無くなり、心は貧困に喘ぐ今の社会です、もう少し欲を捨て、自然との語らいを大事にすれば神さんから与えられた尊い生命を自ら絶たなくても一握りの安らぎと勇気が得られそうに思うのですが。

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観音さんと自分

2010年12月14日 | 宗教、信仰

私どもに一番馴染みの深い仏さんと言えば観音さんでは無いでしょうか。観音さんも沢山みえますが千手千眼観音さんは手が千本有りその手には小道具と目が有って私達の悩みに対応されています。本当に仏像には千本の手が有るかと申しますと一般的には42本だそうです。

目で見るものも有れば、風呂加減をみて、と云う時は目で見るのではなく一般的には手でみます。料理の味をみて、と云う時は舌で味をみます。つまりみるとは五感で感ずるものです。

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本来の観音さんの意味とは違うのですが自分が車を運転している姿は一種の観音さんの様に思われた。目で前方の景色や道路状況を見て、手はハンドルを握り無意識のうちに道路状況に合わせてハンドルをきる。耳はラジオやCDを聴き、口は音楽を口ずさみ、又ブツブツと文句を云い。足はアクセルやブレーキを微妙な感覚で踏み安全運転に気を使っている。観音さんの手の様に自分の五感で意識している様で、そして無意識に情報を処理して運転をしている。

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京都の三十三間堂の観音さん(国宝 湛慶作)

本当の観音さんは私どもの苦悩を取る為に有りとあらゆる方法で無意識のうちに意識して見守ってみえる。観音さんのは見るでは無く感じる観で有って何事も心でみる事の大事さを教えてみえる様な気がした。

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高野山参拝

2010年10月26日 | 宗教、信仰

10月24日はみろく苑の方々と高野山参拝でした。高野山は816年頃、嵯峨天皇から弘法大師(空海)がこの地を賜り真言密教の拠点を開山された。

弘法大師は高野山を開山されたのですが、お母さんは80を過ぎた高齢の時、四国から息子を偲んでこの地に来られました。しかしこのお山は女人禁制の為、大師のお母さんですら入山することは出来なかった。大師は月に9回必ず高野山頂より20数キロ下山してお母さんの住んで見える慈尊院を訪ねられた。

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私達は先ずこの慈尊院にお参りさせて頂き住職から「ゴン」と云う不思議な犬の話を聞く。ゴンは野良犬でしたが或る時から慈尊院に住みつき、観光客や修行に来られる方をこの慈尊院から20数キロ離れた高野山まで約7時間掛けて道案内をし、案内を終えると3時間程で又慈尊院に引き返すとのことでした。マスコミでも大変有名になったそうです。

伝説では弘法大師(空海)が若かりし時、修行をするのに適した地を探していた処、今の奈良県五条市あたりで狩人から白、黒の二匹の犬に付いて行く様に云われた。この犬に付いて行くと今の和歌山県かつらぎ町で土地の神さんである丹生明神(にうみょうじん)と出あい高野山を譲り受けた、と有るさうです。慈尊院のゴンはこの話の白、黒の犬の生まれ変わりでしょうか。

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高野山の奥の院、ここで弘法大師さんは生きたまま入定(にゅうじょう)、つまり生きたままでお姿を隠された、と云われています。だから今でも大師さんには食事を朝夕届けられています。そしてこの世が滅びかけた時、弥勒菩薩さんを案内して永久平和の世にすると願を掛けられたそうです。

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しかし奥の院一帯は墓地の一大団地です。有名人から企業まで錚々たるものです、上杉謙信、織田信長、明智光秀、曽我兄弟、赤穂四十七士、法然聖人、親鸞聖人から市川団十郎、鶴田浩二、ヤクルト、シャープ、明和工業の墓までその数10万基とも20万基とも有るそうです。日本人の心の大きさか、曖昧さか、宗派を問わず敵も味方も混載する寛容さは世界一でしょう。般若心経は捕らわれない心を説いていますが、捕われる心が争いの元ですからやはり高野山は捕われない心を教える凄い所でした。

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