佐藤匠(tek310)の贅沢音楽貧乏生活

新潟在住の合唱指揮者・佐藤匠のブログです。

あと2時間

2006年12月31日 22時01分05秒 | ブログ

 

 実家から更新です。

ダイヤルアップですよ(苦笑)。遅っ!!!

 

 

 今年一年お世話になりました。

実家からのため今日は短めにしておきますが、

いろいろありましたね、今年は。

というか、早かった。。。

年を越してから、目標を書くときに振り返ります。

 

 

 多くの方から読んでいただき感謝しています。

来年もよろしくお願いいたします。

 


福島コダーイ合唱団第20回演奏会

2006年12月31日 21時51分46秒 | 合唱

 

 さて、7月28日の演奏会レポです(苦笑)。

ずっと気になっていて書けませんでした。。。

 

 

 標記演奏会が、7月28日(金)、福島テルサFTホールにて

開催されました。

「第55回作文教育研究大会福島大会 文化の夕べ」の一環として、

また、第27回ISME(国際音楽教育協会)クアラルンプール大会

演奏帰国記念としても開催されたこの演奏会。

私が遠路はるばるなぜ行ったか。

それを書く前に、この合唱団の紹介が必要です。

 

 

  福島コダーイ合唱団は、1987年に創立。

現宮城教育大学教授の降矢美彌子さんが音楽監督、常任指揮者。

団員構成が特徴的で、福島県内の保育士・小中学校の先生を

中心に構成されています。

団名についているように、ハンガリーの作曲家

コダーイ・ゾルターンの理念に基づいて、

日本の伝統芸能・民俗芸能、バリ島やアフリカの混声合唱、

西洋の合唱曲、更にはブルガリアンヴォイスなどまで

レパートリーとする多文化合唱団です。

上記のISMEとは、音楽教育系の国際的な組織で、

ここでの演奏なども以前から行ってきたそうです。

いわゆる日本のアマチュア合唱団の組織である

全日本合唱連盟とは一線を画する活動を行っているので、

ご存知ない方のほうが多いのではと思います。

これまで7枚のCDもリリースしていますので、

興味のある方は是非聴いてみて頂きたいです。

 

 

 僕がこの合唱団のことを知ったのは、

東京で大学院生活を送っていたとき、

K先生の授業で知りました。

K先生も多文化教育に熱心な方で、

授業の中でISMEでの演奏の様子をビデオで見せて頂き、

興味を持った僕は、CDをお借りしたんですね。

西洋の合唱作品もまずまずの演奏なのですが、

一番驚いたのは、ブルガリアンヴォイスの演奏。

本場のブルガリアンヴォイスかと間違うほどのレベルで、

衝撃を受けたことがありました。

 

 

 で、ぜひ生で聴きたいと思いながら長い月日がたち(苦笑)、

今年、20回記念の演奏会を聴きに行く事が出来ました。

 

 

 演奏会の最初はワークショップで始まりました。

で、これ、記憶が飛んでいます(苦笑)。

でも確か、福島の民俗芸能を題材に客席も参加してといった感じ。

その後で本プロへ。

せっかくなので演奏したものを下記に書いてみます。

 

 

福島県いわき地方民俗芸能「じゃんがら念仏踊り」

沖縄竹富島の芸能「種子取祭 庭の芸能 ジッチュ」

アイヌの歌と踊り「ムックリ演奏 サーオイ イカムッカー ポロ リムセ」

南アフリカの混声合唱「マポロポロ」「おんぼろ車」

バリ島のケチャ・コラボレーション

 

 

 こんな感じです。

楽器ももちろん本物を使い、団員が演奏し、

踊りも歌も行います。

これらを会得するのも、

現地の人など、会得している人から学ぶのが基本とのこと。

本物から学ぶというのが、ここの団の基本方針です。

 

 

 で、演目を実際に観た感想。

まず、凄いんですよ。

本物から学んでいるというのがよく分かります。

それをステージ上で見事に再現していました。

こういう、直接的な音楽体験から学ぶこと、

本物を「真似る」こと、

その良さを感じました。

ここで歌っている団員さんのように、

こういうスタンスでの先生が増えたら良いなと思いますね。

 

 

 でも、、、正直言うと、感動しなかったんですね。

もっと何か感じられるかなと思っていたので。

見ながら原因を考えていました。

 

 

で、ここで、「演奏会」という概念が登場します。

 

 

 舞台から何かを発信するということが、どういうことか。

それが肝心なんですよね。

つまり、どれだけ立派な音楽体験をしていても、

「真似る」ことで止まっていると、何も伝わらない。

それを自分の中で消化して、

自分の歌、自分の踊り、自分の演奏にしないといけない。

そうして初めて、客席の人に届く。

というか、音楽することにおいて「真似る」ことは大事だけど、

それはあくまでも入り口。

たとえば、これが体育館や教室で、

目の前で演奏される場合、生徒や観客には十分何か伝わる。

でも、演奏会という場はちょっと違うんですよね。

その辺が、感動しなかった一つの要因だと思います。

 

 

 私の尊敬する柴田南雄先生は、

民俗芸能を題材にした作品をたくさん残していて、

それらのたくさんの作品を初演した合唱の神様、

田中信昭先生が、そのようなことを言っていたんですね。

「追分節考」という作品で、ソロの人が民謡を歌う時、

また、全員で民謡の節を歌う時、

西洋音楽ばかりをしている人たちが、

 

「どうやって歌ったら良いのですか?」

 

と聞きました。

つまり、

「どういう声で歌ったら良いですか?」

ということです。

 

 それに対して、田中先生は、

 

「自分が楽しいと思うように歌いなさい」

 

という内容のことをおっしゃいました。

 

 「そうか」僕ははっとしました。

声の出し方ありきじゃないのです。

形ありきじゃないのです。

楽しいと思うように自由に歌うことこそ、民謡の本来の姿。

柴田先生は、この追分節考で、

元の節から派生した旋律も使っていますが、

歌う人によって歌い方が違うのが本来で、

そうして人づてに伝わっていけば変化することこそ当然。

民謡の節には序列があるのではなく、

変化したものも全てが同格、と著述の中でおっしゃっている。

つまり、田中先生は、そういう柴田先生の民謡に対する考え方を

まさに汲み取って体現しているのです。

 

 

 つまり、今、作業での民謡や娯楽での民謡が歌われなくなり、

保存するために「正調」などどいって

型を決めてしまうことがあります。

つまり、正調こそが本物という考え方。

でもそれは、本来の民謡のあり方ではないのです。

 

 

 だいぶ本筋から逸れました(苦笑)。

でも、これが、本当に重要なことなんです。

柴田南雄考で書くはずだったことを書いていますが(笑)。

 

 

 後半は西洋の合唱曲も。

オットー・フィッシャー、アルカデルト、

パスロー、パレストリーナ、コダーイ。

この団が歌い継いでいる本間雅夫作品や、

ジョンレノンの「イマジン」も。

最後には十八番の「刈干切歌」(宮崎県民謡)。

西洋の作品は思ったより良い演奏でした。

 

 

 民謡や芸能を、生活の場でする機会がない今、

伝承のみが先走り、

「歌うとは本来どういうことか」ということが

抜け落ちる危険がはらんでいます。

これは、瞽女歌を聴きに行ったときもそう思いました.

 

 

 ちょっと辛口になりましたが、

こういう合唱団を新潟にも作りたいなとは昔から思っていて、

今も変わりはありません。

多文化に根ざして、教員の人がたくさん参加する合唱団、

いつか作りたいです。