東北道から東へおれて下道を沿岸地域に向かい走りながら
時間の流れの時差を合わせ
風に身を任せてやってきた
宿舎にはいる前に夕食がつかない民宿にとまり
ご主人を津波で亡くしたという女将さんの話に耳を傾け
この町では誰かしら親族を津波でなくしている人の方が多いと聞く。
夕食をつけないのは、仮設商店で頑張っている
食堂へも行ってもらい、お客さんを囲わず、皆で分けなければ
という気持ちだそうだ。お客さんには不便をさせ申し訳ないけど・・・と。
盛岡市で辞令交付式に出席し、その後2時間かけて市町村へ
戻ってきた。車で走れば2時間だが、新幹線やBRT(bus rapid transportation)に
乗り継ぐと、3時間位かかる。
こんな所まで、引っ越しの手伝いに来てくれた
横浜の友達。
その友達のために、今晩は広田湾が見渡せる、2年前にできたという
箱根山の高台にあるテラスハウスに宿をとる。
ロフトのある、木をふんだんに使ったテラスハウス
朝食はカフェを併設したテラスでとることもできる
そんな宿泊施設
一方、仮設商店街の方々が新たな街造りとして盛り土の上に新たに店を建てるとすると
また借金をしなければならず、再建してもお客さんがきてくれるかどうかにかかっているが
先が見えない、という話を聞いた。年々、訪れる人が減ってきていると。
一ノ関からも盛岡からも遠いこの地、
実際、街の再建はほど遠いのではないか・・・