樹間暮のきまぐれライフ

ゆったりと・・・残りの20年は過ごせそうにないけれど、きまぐれな日々の生活を少しだけでも記憶の底に残しておくきっかけに。

連休その後

2010-05-09 23:17:36 | 日記
5/8 富山県高岡市にある「ミュゼふくおかカメラ館」

織作峰子の写真展
SWISS 光と風

山岳写真の数々
シーニゲプラッテ、カルデンシュテーク、エッシネン、ツエルマット
行きたい!行きたい!


蒼き空と白き山、そして水
森閑とした木々、語り、かけあう木々と山々

行ってみたい
必ず行く
行かなきゃ

連休の出来事その③

2010-05-09 23:07:48 | 日記
山歩き2日目

最初の予定では違う道で戻るはずだったが、昨日の予定変更のため、駐車場所へは
同じ道を通らなければならなかった。
このメンバーの中心人物のポリシーは同じ道は通りたくない、違う道をなるべく
選ぶこと、人通りが少ないこと。

2日目の予定は大菩薩嶺。ここは登山口もコースもいろいろとある。予定としては
雲峰寺→上日川峠→石丸峠→大菩薩峠→介山荘
翌日小金沢山(秀麗富嶽12景の2番目)からの富士山を眺め、大菩薩嶺の頂上に立ち、
福ちゃん荘を経由して駐車場へ のはずだった。
が、歩く時間が短い?からか、別のルートをたどることになった。
地図とにらめっこし、小さな林道を見つけ(後から知ったことだが、ここは地元の
タクシー運転手も知らないところだった)、登山道途中の六本木峠から丸川峠を
経由して大菩薩嶺をめざす。途中の道はハイキングコースのように明るく高低さも
なく、薫風かおる快適な道を楽しむ。
           

     ドクターの足は、動いたからか収まるところに骨が収まって調子が出てきた。
      風のごとく歩き始めたから、悲しいかなもう追いつかない・・・

          
          おお~!!真っ白な富士山 清々しい やっぱり大きい!
          丸川峠からみる富士山に感動しきり。
          明日のご来光が楽しみになってきた。

ここから大菩薩嶺までの1時間半は北側斜面。丸川荘を出て2分くらいのところから登りに
入ったのだが、「アイゼン必要」の文字。ほんとかなあ~と半信半疑で歩いていると、
だんだん見えてきました白いもの。
結局1時間は雪の上を歩くことになったのだが、雪国育ちのみんなはあまり気にせず
アイゼンなしで普通に上がれる。さすがだなあ~と東京育ちの私は感心ばかりしていた。
ここまでくると、南アルプスの山々と富士山が・・・

                     
                      標高2057m
                      殿、記念すべき百名山79頂目 拍手!

賽の河原(旧峠)を経由して大菩薩峠(1900m)の介山荘に到着したのは2時頃だった。
          
まずはビールでのどを冷やし、明日の予定を確認。しかしこのころからもやがかかり、
どうもすっきり日の入りは見えなかった。
明日の日の出もこの調子だと・・・と心配。
この山小屋、小屋に入る時に一人ひとつプラスチック(使い捨て)コップを渡される。
これを食事のときも持参する。
廊下に設置したお茶をこのコップで自由に飲めること、布団を敷いてくれること、
そしてさすが山梨県甲州市!食事の際にワインがついた!
それぞれの山荘でさまざまな努力と工夫がなされている。快適な山荘宿泊

翌朝は思っていたとおり、富士山の陰も見えないほど霞がかかり、
ご来光も見れず空はあっという間にしらけてしまった。
これでは小金沢山へ行っても富士山は拝めないと、また予定変更。
二手に分かれてたくさん歩きたいチームと車を取りに同じ道を帰るチームとに
分かれることになるはずだった。が
もう上りの道を歩きたくない人、昨日上った雪道をアイゼンなしで下りたくない人・・
2度同じ道は通りたくない人・・・といろいろ意見があがりすべてのわがままを取り入れた
折衷案をはじき出した。最初の登り口に予定していた場所へ全員で下り、
車のところまではタクシー利用で戻るという案。全員一致で可決(笑
いいねえ~こういう融通の利く仲間は。

下山後一目散に立ち寄り湯、今日のお宿は温泉ではあったが、やはりその前に
この汗は流したい!
ブドウ畑を抜けワイナリーを横目にドライブを楽しみ塩山温泉甘草屋敷の観光を
して宿へ入ったが、やっぱりまだ歩き足りず、腹ごなしに結局約1時間裏山を
散歩した。

それぞれのペースでそれぞれの想いを抱えてこうして歩くこと。
雄大な景色に感動し、登山道に記憶を留める。それぞれの記憶、思い出。
こうやってうまく年を重ねていくことの楽しさを味わいつつある。

4日目にみた白州市からの甲斐駒ケ岳
あれは、きっと日本のK2
なんだか胸がキュンときた

連休の出来事その②

2010-05-09 23:02:20 | 日記
 

5/2~5
せっかく長く休みが続くので、金沢からでは行きにくい領域の山へでかけることになった。
異業種の人たちが、ただ山を歩くのが好きで、そして白山の自然を考える会を通して知り
合った。そんな仲間と歩く山々はいつも発見があり楽しい。

ひかり山学会といっていたが、今回から「平家の会」と改めた。
改名してから初の山行だった。

今回のメンバー4人:ドクター、山野草のエキスパート、殿そして私。
ドクターが足首を捻挫して3週間、病み上がりのためゆっくり歩ける・・・と思っていた。
いつも仙人のように山がけをしてそうな位早く歩く人だから。

事の始まりは中央高速道路のインターチェンジから・・・

降りるICを間違えて、予定の登山口についたのは予定より1時間遅かった。
だが、ここがこのメンバーのよいところ!すぐに頭を切り替えて別のコースどりにかかる。
臨機応変OKの仲間だととても気が楽。山の達人たちの相談している場面、それも楽しみの
一つとなる。
1日目に宿泊予定の小屋まで頂上経由で登り5時間半の尾根歩き、下り3時間を予定してい
たが、東京都水道源林を基点とする林道歩き2時間で三条の湯小屋についてしまった。
11時到着
         

      
     ハシリドコロ(毒草:これを食べた動物は気がふれたように走り回ってしまうらしい)
     小屋に近くになるとこの花が群生していた。しかし、そのほかは枯れ草ばかり・・・
     どうも鹿の害にあって、食べつくされているようだが、さすがにこの草だけは食べないから、
     目に付くというわけ。
     おひたしにしたらおいしそうなんだけど・・・

小屋到着後、ご主人と話していると雲取山まで登り3時間・下り2時間、
夕食前までには間に合うね・・・という言葉に流されて、昼食の大休止後、
荷物を小屋に置いて軽装で頂上をめざしてしまった。
標高差900m、三条タルミの中だるみ場所を挟んで最後の登りはきつかった~!
途中の登山道で3頭の鹿に出くわす。お互いびっくり。まだ若い鹿は、こちら
に興味深々でなかなか動かずこちらをずっと見つめる。

         
          最後の一踏ん張りをがんばるとあ~気持ちがいい山頂に到着(2017m)
          ここは東京都と埼玉県の県境。数歩歩くと埼玉県の道標あり。
ちょっと下がると山梨県。3県を股にかけた。

三条の湯小屋に戻ると、先ほどのご主人、
「え~?ホントに行ったの?がんばったねえ~!」とおっしゃる。
え?行かせるつもりで言ったんじゃないの?とあっけにとられたけどまあ、
ここは硫黄の温泉があるので、さっさと汗と文句を湯につかり流してしまった。
いいいで湯~♪♪これで明日は筋肉痛に悩むことはないぞよ!と。
食事をしながらご主人(3代目)の話に耳を傾ける。鹿の被害に山がやられてい
るため、鹿撃ちを始めたと。そう、食卓には鹿肉のローストビーフならぬロース
トディアーがついていた。そして外のかまど・薪で炊いたご飯。 
炊くのを失敗したらあと1時間待つのだぞ、と言われたが、おこげも美味美味!!

連休の出来事その①

2010-05-09 19:47:47 | 日記
4/29、穏やかな日差しに誘われて
21世紀美術館開催中の展覧会へ行った。



Alternative Humanities~新たなる精神のかたち
ヤン・ファーブルx舟越 桂
http://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=45

ヤン・ファーブルは玉虫を集めて髑髏に貼り付けて作品にしたり、
動物の剥製などを素材として作品を作る。とてもグロテスクな作品もあり、
少し驚く。彼はこれらの作品から何を訴え、印象づけようとしているのか・・・

かの有名なファーブル昆虫記を書いたファーブルの子孫(たしか曾孫)である彼の
昆虫に対する情熱は「血」なのだろうか。それを意識しているのだろうか。
私にはおどろおどろしい気持ちしかわかず、何かの問いかけすら聞こえなかった。
21世紀美術館は円形の建物の真ん中の屋根に彼の作品を飾っている。
その黄金色に輝く塑像の作品名は「雲を計る人」。スケールを両手でいただき、
頭上の空を仰ぎたつ人物像。

かたや 舟越桂
「悼む人」や「「永遠の仔」の著者「天童荒太」の本のカバー彫刻で人目をひいた
彫刻家。一貫して楠を使い、人の顔のみを彫る。髪の毛はなく男性だか女性だか
判別のつかない中性的な人物、目は遠くを見つめ続け決して視点が交わることは
ないと思われる目を埋め込んでいる。一度見るとそのなんとも表現しがたい印象
とともに、別の作品をみてもすぐに舟越氏の作品とわかる力がある。

今回は作品とともにデッサン画も展示され、その迫力に圧倒されてきた。
でも、交わらない視線の中に身を投じるとなんだか疎外感と物悲しさを覚える。
微笑みも怒りももたない表情・・・

そんな中、ある1室だけ写実的な温かみのあるデッサンが、数は少ないが集めてあった。
近寄ってみると、「舟越保武」と書かれていた。
桂氏の父親で日本では有名な石の彫刻家であった。
長崎の「26聖人記念像」の作品集を見たが、人を許し癒す穏やかな表情で品をたたえた
像に、釘付けになってしまった。

彼が書き溜めたエッセイ集「大きな時計」をすぐに手に入れてしまった。
その視点が芸術家らしく、でもそれって、そうそう、そう思う!と
その織り成す言葉に感覚に膝を打ってしまうようなエッセイだった。

『ミロのビーナスには腕がない。・・・むしろ両腕がついていたら、
これだけ人々の印象に残らなかったかも知れない。両腕が欠けている
ことに、何の奇異も感じられないところに、芸術と現実との大きな
違いがあるようだ。・・・もし生身の人間に両腕がなかったら・・・』
と続く。

『「美人」と「美しい人」とは別のものだ。
美人というのは、顔かたちが整っているだけで、その人のせいではない。
両親が作ったものだ。
美しい人、というのは顔かたちではない。心の美しさが顔に表れる人のことだ。・・』

彼の手で作られる彫刻は正に「美しい人」であった。彫刻であるというのに。