李成愛(이성애 )も大好きな韓国の歌手だ。
1971年、ポピュラー歌手として韓国歌謡界にデビューし、1973年に「キダリヌンマウム」などの曲でMBC10大歌手女性新人賞などを受賞した。
1977年に日本に渡り、演歌系の「カスマプゲ」(胸がせつない)をヒットさせ、人気歌手となった。
これ以後、日本で韓国語歌詞の曲がカラオケでも普通に歌われるようになった。
しかし、李成愛は人気の絶頂にあった1978年突如引退を表明し、米国の大学で教える韓国人と結婚した。
1970年代後半、大阪に勤務していた頃、大阪の街を歩くと有線放送を中心に李成愛の「가슴 아프게 ・カスマプゲ」がよく流れていた、それ以来すっかり李成愛(이성애 )のファンになってしまった・・・・
レコードを買って、甲子園にあった会社の寮でよく聞いたものだ。
今でもカラオケの持ち歌です。
当時、韓国籍を隠して日本名で活躍する歌手が多かった時代、韓国名で歌っている歌手はほとんどいなくて「李成愛(이성애 )」は新鮮だった。
가슴 아프게 {「カスマプゲ」(胸がせつない)}
당신과 나 사이에 저 바다가 없었다면
쓰라린 이별만은 없었을 것을
해 저문 부두에서 떠나가는 연락선을
가슴 아프게 가슴 아프게 바라보지 않았으리
갈매기도 내 마음같이 목메어 운다
당신과 나 사이에 연락선이 없었다면
날 두고 떠나지는 않았을 것을
아득히 바다 멀리 떠나가는 연락선을
가슴 아프게 가슴 아프게 바라보지 않았으리
갈매기도 내 마음같이 목메어 운다
あなたと私の間に、あの海が無かったら 辛い別れだけは、無かったものを
日暮れの波止場で、出て行く連絡船を 胸が痛くて胸が痛くて
眺めることはでなかっただろう カモメも私の心のように、むせび鳴く
あなたと私の間に、あの海が無かったら 私を置いて行ってしまわなかったものを
遥かな海のかなたに、出て行く連絡船を 胸が痛くて 胸が痛くて
眺めることはできなかっただろう カモメも私の心のように、むせび鳴く
李成愛が日本で歌った「カスマプゲ・가슴 아프게 」の日本語歌詞は申東運によって作られた
海が二人を引き離す とても愛しいひとなのに
波止場を出て行く 無情の船は
カスマプゲ カスマプゲ パラボジ アナッスリ
会いたさに 会いたさに 泣けてくる
どらが 鳴る鳴る 別れの船が 愛しい人を 乗せて行く
一緒に 行きたい 私の心
カスマプゲ カスマプゲ パラボジ アナッスリ
恋のつれなさに 泣けてくる