商品の「原価」にだけ執着し、その「価値」は無視する人たちが多い
韓国では、商品の「原価」にだけ執着し、その商品が持つ原価以外の価値は無視する人たちが多いようです。
韓国では、いつも「アパート(マンション)の原価を公開せよ」という議論が行なわれています
盧武鉉政府の頃には国家政策として、建設会社には公共住宅の場合は61項目、民間住宅の場合も7項目の原価を公開するようにしました。
宅地にかかる費用、工事費(建設、機械設備の費用)などです。
朴槿恵政府の頃にこの原価公開を有名無実化しましたが、文在寅政府が再び62項目の原価公開を決め、2019年から公共宅地の建設に限って適用されます。
中には「企業秘密に関わる部分まで公開することになる」という指摘がありますが、政府は原価公開政策を拡大しつつあります。
世論も肯定的です。
「一理ある政策だ」と誤解するかもしれません。
しかし、韓国においての「原価論争」の趣旨はいつも同じで、「企業が加害者で、消費者は被害者」という前提から始まります。
企業側が利益を得るのは消費者が搾取されることだから、原価と販売価格の差を強制的に調整すべきだというのです。
すなわち、これは買う人たちに結うような情報を提供する(結果的に得をする)ための政策ではなく、作る人たちに恥をかかせる(結果的に利益を失う)ための政策です。
見方によっては、市場が価格を決めるという、経済の極めて基本的な側面を否定しているようにも見えます。
これもまた、韓国社会の「公正」の形なのです。