「テレビ」と「平和」と「憲法」のblog

元ワイドショープロデューサー仲築間 卓蔵(なかつくま・たくぞう)のブログ

秋葉原の「献花台」

2008-07-16 10:42:59 | Weblog
 秋葉原事件のあと、現場に「献花台」が設けられた。
 「献花台」だから花を手向けるためのものなのものだろう。ダイアナ妃のときは宮殿前は花で埋まっていた。
 日本の場合、花だけでなく食べ物、飲み物も供えられるのが普通の光景になっている。「喉が渇いていませんか」「お腹が空いていませんか」という思いの表れなのだろう。悪いことではない。
 その「献花台」に供えられた飲み物、食べ物が持ち去られていることが話題になっている。「こころない行為だ」「窃盗ではないのか」とか、「そのような行動を、なぜ行政は放置しているのか」とか、「供えられたものは、どのように処理されるのか気になっていた」とか、意見続出である。
 法律的には、きっとなにかの罪になるのだろう。
 ある番組が飲み物を持ち去るホームレスの人たちにインタビューしていた。答えずに逃げるように去る人。手に入れた品物のなかから ペットボトル1本をとりだして、その場に置いて去る人。「献花台」の前を何度もいったりきたりし、やおら意を決っして飲み物に手を出す人。年配者もいれば25歳という若者もいる。
 「朝からなにも飲んでいない」という若者もいた。「悪いと思うが喉が渇いて・・・」とポツリと答えている。「どうせ捨てられるものじゃないか」と開き直る人もいる。
 法律的には、きっとなにかの罪になるのだろうが、飲み物や、食べ物を供えるのは、ホームレスの人たちに「献花台」を通じてボランティア活動をしているといえないだろうか。
 いま「格差」はますます広がっている。大きな「格差」、小さな「格差」。秋葉原の「献花台」は、かならずしも裕福でない人たちの、せめてものボランティアの表れとして見ると、秋葉原の光景は一変する。あそこで不幸にも命を失わざるをえなかった被害者の方々が「微笑んでいる」ようにも思える。
 そんなことを感じているきょうこの頃だが、どうだろうか。

この「献花台」 7月28日には撤去されるという。