「テレビ」と「平和」と「憲法」のblog

元ワイドショープロデューサー仲築間 卓蔵(なかつくま・たくぞう)のブログ

「戦陣訓」の恐ろしさ

2008-07-09 16:32:49 | Weblog
 日本テレビも、やるもんである。
 制作現場も元気なようだ。
 7月8日(火)夜9時。2時間枠の開局55年記念ドラマ『あの日、僕らの命はトイレットペーパーよりも軽かった 「カウラ捕虜収容所からの大脱走」』は力作といえよう。同局が4月6日の深夜に放送したNNNドキュメント’08『兵士たちが記録した南京大虐殺』につづく歴史認識番組・第二弾ともいえる。
 脚本の中園ミホが、伯父の実体験をもとに書いたものだという。演出は大谷太郎。たしか日テレ社員だと思う。外部制作が多くなっているときだけに、これも評価できる。

 ドラマは、朝倉という兵士の回想ではじまる。
 第二次世界大戦末期、南の島で追い詰められた日本兵が捕虜になり、オーストラリアのカウラ捕虜収容所に入れられる。朝倉も上官の嘉納とともに収容されるが、収容所の生活を楽しんでいる連中に違和感を覚える。「戦陣訓」にある「恥を知る者は強し。常に郷党家門の面目を思い、いよいよ奮励してその期待に答うべし。生きて虜囚の辱めを受けず、死して罪禍の汚名を残すこと勿れ」が頭から離れないのだ。
 そんな朝倉に、嘉納は「きょう一日を精一杯生きようよ。生きていればきっといいことがあるからさ」と語りかける。嘉納は洋服職人で、結婚1か月で召集されている。
 あたらしくバリバリの「戦陣訓」グループが収容されて、収容所内の空気は一変する。多くなり過ぎた収容者が2か所に分けられることになったのを機に、「戦陣訓」派が脱走を計画する。たとえ成功したとしても、その後の計画はない。「死ぬための」脱走である。
 賛否はトイレットペーパーの切れ端に「○」「×」で書くことになる。「×」を書いたのは嘉納一人。しかし、その嘉納も行動を共にする。
 結果は歴然。多くが撃たれて死んでいく。嘉納も・・・。
 生き残った朝倉は、嘉納に託された手紙をもって実家を訪ねるが、「立派に戦死したのでしょうね」と聞く母親の姿に、手紙を渡すのをためらう。
 朝倉が、再び訪れるのは60年後となった。嘉納の妻は「60年ぶりのラブレターね」と淋しく笑う。手紙の一つに「周囲に騙されず、真っ直ぐに生きてください」「あと15分で突撃ラッパが鳴ります」と書かれている。

 徹底的に刷り込まれた「戦陣訓」の恐ろしさが、いやというほどに伝わってくる。ぼくの小学生時代は「教育勅語」だった。「一旦緩急あれば、義勇公に奉じ・・・」である。意味も定かでないまま丸暗記させられた。すべてこれ「軍国教育」のなせる業である。
 すでに、憲法の精神に則るはずの教育基本法は改悪させられている。憲法九条を変えるために、憲法調査会の始動が言われはじめた。安倍退陣後も「戦後レジームからの脱却」は生きている。海外恒久派兵「参戦自由化法」も、秋の臨時国会で出てくるかもしれない。
 「カウラ捕虜収容所」の詳しいことは知らなかった。政府は知らせなかった。国民は知ることもできなかった。このドラマは、事件を闇から闇に葬り、「知らせない」罪を告発しているといってもいい。
 日本テレビも、やるものである。