爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
日常は「系列作品」から
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悪童の書 ba

2014年09月30日 | 悪童の書
ba

 テレビを見ている。教育的な内容が放送されていた。

 ぼんやりとした状況で、一時停止のようになると、脳は勝手に自分たちの作業をはじめるそうである。よっこらしょという感じで。研究者は、なにかの作業をさせているときに脳波の変化を測った。計算したり、思考したり。脳の役目はそういうもので、日常のストレスなき時間、普段の暇なすき間のときには働いているとも、驚くべき数値があるとも予測されていない。うっかりである。

 自分もこの事実(現時点での事実)を知るまで、なるべくなら脳は休めない方がよいとの先入観にすっぽりと包まれて暮らしていた。疑うべき理由もない。一瞬でも時間が空けば本を読み、ブログを書き、あれこれ思考する。休みは、マイナスにつながるのだ。片時も許してはいけない。だが、そうでもなかった。考えれば筋肉にも同じことが当てはまるのかもしれない。

 しかし、こうなると意図的にぼんやりとしようとしている自分を作りだして、さらにこれも災いだと発見する。さあ、レッツ・ぼんやりである。なかなかむずかしい世の中だ。知識は意外と些末なところで苦しめる。

 儀式のように、本屋に入る前にこころのなかで十字を切った。良い本に巡り合えるようにと。若いころの話である。

 そうして買いためた本が、大きな本棚のふたつと、カラー・ボックスと引き出しと空の靴箱を埋めている。もう自分には一冊の本を買う余力すら与えられておらず、一から再読して処分する時間にも決定的に足りないことを知る。当然、唖然とする。さらにいえば、ぼんやりとする時間も必須なのだ。無言の作業部隊が通行止めになる時間の到来をヘルメットをかぶって路肩で待っている。つるはしも使ってもらわなければならない。

 退化もするのだ。電子レンジの短い未来の達成を告げる金属的な音がしない。なかを見ると空である。お弁当を入れたというのは単なる思い込みだったのだ。ある塾の先生は、失敗する(あるいは負ける側になる)要素として、これもテレビのなかで、準備不足、慢心、思い込みと主張していたように覚えている。ぼくという波打ち際にも確実に、三本の矢の第一陣が訪れていた。

 眼鏡をかけながら眼鏡をさがしている。それをかけたとしても焦点はかすかにぶれている。再読もままならないのかもしれない。さらにぼんやりである。

 無条件降伏をする。その代わりに脳で隠れていた労働者はせっせと石炭をくべる。すると、どちらが主体者であるのかも分からなくなる。理屈として、二股をかける女性である。いや、多分、ちがう。

 準備不足の分岐点。準備することを知っていながら言い訳や理由をつけて怠った。第一のケース。確信犯である。もう片方は、そもそも準備する内容すら見当がつかないのでできなかった。まっさらさんコース。分からないので質問も浮かばなかった。知っていそうなひとも見つけられなかった。だから、怠った。やはり、準備不足というきちんとした帰結に達する。

 慢心。

 ここまで来るのに、どれほどの苦労をしたと思ってるんだ! 今さら、わざわざ、頭を下げられるか。

 自分たちらしいサッカーが、できなかった。

 それをお披露目できないのが恥ずかしいのではなく、全世界にもっともつまらないギリシア戦(2014年の夏)を提供したことが恥ずかしい。サッカー・ファンにも申し訳ない。

 このらしさ、自分たちの、という栄光充ちる称号をどこかで聞いたな、とぼんやりと思案しているとソニーらしさという語にぶち当たった。みな、傾き出すとアイデンティティーが欲しくなる。がむしゃらより慢心の逃げ口上にも聞こえる。響きは同じだ。

 糾弾する。その資格もないのに。やはり、ただのぼんやりとする時間をおそれている。

 ぼくは人格があるかのように家の電化製品に声をかけている。ボケているわけではない。「うちに来てくれて、ありがとう」という趣旨のことを肩でも優しく叩くように撫でて言っている。一期一会の人生だし、彼らが来なかったということもあり得たのだ。それは、ぼくにとって、とてつもない損害になったのだ。

 カギをしめて家を出る。それらは会議をはじめるのかもしれない。もう少し、頑張ろうかと。おもちゃのバズやウッディのように。

 そして、最後にはこの情報社会での調査不足。

 本日、書いているのは九月十二日。なんとなく、ヤロン・ヘルマンという個性的なピアニスト、また来日して演奏しないかなとネットで調べると、この秋に何日かの演奏ツアーを行い、東京での最後の、そしてソロの機会が昨日で終わっていることを知る。残業も滅多にしないのに、昨日は年の後半の予算の算出に四苦八苦して、珍しく遅くまで会社の机に向かっていたのだ。残念である。アンテナは張り巡らしておかないといけない。怠ったのもぼくであり、見えない実体なき損害を受けたのも自分であった。さてと、ぼんやりである。どんな演奏だったのだろう。今度は、動画を探す旅である。チャンスは失われつつあった。取り戻すのもむずかしいのか。一期一会という言葉を知っていても、覚悟がなければ結末は似たものとなる。

 もう少し先だろう、という勝手な思い込みも追い上げてくる。寿命も当然、もう少しはのこっているよね。

 こうして、求不得苦という新たな語彙を得たのであった。



悪童の書 az

2014年09月29日 | 悪童の書
az

 小学生のとき、近くのアパートに住む新しい友人がひとり増える。どこからか急に引っ越してきた。だが、引っ越しというのは大体がそういうものだった。家族構成として、弟がいて、母がいる。友人の父には会ったこともない気がする。部屋のなかでよく遊ばせてもらったので家庭の和やかな雰囲気も理解する。新たな友だちは、いたって大人しい子であった。直ぐにまた引っ越してしまい、年賀状がくるが、もう継続という観念も未来を共にする意識もなくなってしまった彼に返事を出すのも億劫になってしまい、ぼくからは出さなかった。冷たい人間である。いまでも少しの罪悪感がある。後世、結局はこんなことばかりをするはずなのに。繰り返される自然淘汰。

 遊びに行くと、お菓子を出される。ついでに飲み物も出る。この家族では普通のことなのだろうが、目の前にあるのはトマトジュースだった。ぼくはこれが苦手である。トマト本体も苦手であった。払拭できない嫌いなもの。しかし、ぼくの家族は全員、おいしそうにこれを頬張った。ぼくは橋の下から拾われたのだと仮定するが、それを簡単に否定できるほど、顔は父にも似ていた。

 後年、トマトをベースとしたスープも飲むし、本場のピザや熱したものに使う際のものは大好物でもあることを再確認する。もともとの用い方の誤りがあるのではないのだろうかと世界に問いかける。やはり、居酒屋で冷やしたトマトをおいしそうに食べるひとを見ると、ぼくは自前の発言を撤回せざるを得ない。あれは、あれでおいしいのだろう。

 彼の家とぼくの家には小さな公園があるだけだ。ひとりで夢中になって、セミをうんざりするほど捕った。夏には靴下を履くことなど一日もない日々だ。その前には鉄塔がある。あれから放たれる電磁波のようなものを子ども時代にずっと浴びていたんだな、と考えるが、副作用があったのかいまだに分からない。もっと大人になり、少し程度の放射能を浴びた方が賢くなると言いつづけたひともいた。もちろん、大地震の前のことだが、大量に放出してしまえば、箱にもどすこともできない。コントロールできる範囲内のことなのだろう。

 もっと距離が離れたところに親分肌の友人もいた。ぼくは不思議とこわいと思ったこともない。気に入られていたという甘い認識もある。彼も引っ越した。そして、年賀状を無視する自分がいる。

 大人になって年賀状の裏には家族の写真が印刷されることになった。ぼくは友人の子どもの成長をそこで確認する。ある日、会社の福利厚生のポイントで花を送れることができるのを知り、写真のひとりの友人の下の娘に宅配便(だと思う)で頼んだ。

「うちの娘、狙ってるの?」

 親切があだになる世の中なのだ。そのころのぼくは、かなり年上の女性が好きだった。そのことをわざわざ報告するほど、ぼくは理解も求めておらず、けん命になることも控えた。マンションの小さな庭に植え替えられ、ずっと育ってくれればいいとも願うが、枯れてこそ花だと思えば、否定する気もなくなり、あとはもらったひとの自由である。乳臭い子どもなど、ぼくは永久に無縁でいる。

 子どもは汚れようが、常に大事な何かを握っている。そばにいた子どもの継続的な姿など弟のことから更新されていない。四十年近くもなろうという遠い過去の話だ。弟はパンダのぬいぐるみをもっていた。白はだんだんと白であることを辞める。辞退する。ある日、どこかの遊園地に行ったときに手からなくなっていたことを知った。探しても、もうなかった。そこが大人への、成長へと向かう分岐点だったと書けば、うまくまとめようとしていると思え、すべてが胡散臭くなる。ひとは善意も悪意もなく、ほとんどの時間を暮らしているのだ。意識もあるようで無意識であり、無意識でいながらも意図的になる。

 母は、カステラを買う。離れた駅でいったん横に置いたため、持ち帰るのを忘れる。家で駅に電話している。駅の電話番号を調べる方法など、ぼくはいまでも思いつかない。結局、子どもの口にはカステラは入らなかった。そして、友人の家でトマトジュースを前にして困惑している。

 弟の誕生日は正月に近かった。母は雪が降るなか、片手にケーキをもって見事に転ぶ。そのあわれな姿は箱のなかにも及ぶと予想される。しかし、開封の瞬間に奇跡が起きる。ケーキは傷ひとつなく、店を出たままの姿が保存されていた。食い意地の張った話でもあった。

 弟もプールに行く。せっかく水着にきがえたのに、さあ、水中に入ろうとしたら後ろでゴソゴソしている。水に入るのには裸であるのが当然との認識と覚悟で水着を脱ごうとしている。風呂と間違えたのだった。状況を判断すれば、まわりは恥ずかしい部分を布で覆っている民ばかりであった。どう、彼は、世界を視つめているのだろう。

 東武線という野暮ったい電車にのりかえ、東京マリンに行った話である。もちろん、その路線の先に背の高い電波塔の建築など想像することもできないころのことだ。集客にはどちらに分があるのだろう。毎年、飽きずに行きたいのはプールのような気もするが、それも子どもでもできなければ、いつか魅力もなくなる類いのものだった。


悪童の書 ay

2014年09月28日 | 悪童の書
ay

 ふたつのイスの物語。

 あれは年末だったのだろうか。小さなオフィスが部屋の中の家具を表にだし、大掃除をしていた。不思議なデザインのイスがあった。粗大ゴミかもしれない。もとに戻すのかもしれない。ぼくの部屋にはイスがない。友人と担ぎ上げ、部屋まで運ぶ。重さを苦にしない若さがあった。

 その後、きちんとすわることもなく、脱ぎ捨てた衣類の一時置き場になる。そもそも机もないのだ。壁に向かってこの友人からもらった小さなレコード・プレーヤーと、これまた小さなスピーカーを置いた。もうレコードの時代は去ったのに、回顧という意味合いもほとんど知らずに、好奇心だけがぼくを引っ張った。夜中の風呂上りに一リットルの牛乳をパックのまま飲んだ。身体を適度に鍛え、ブルー・ノートのレコードを購入した。デザインというものにも興味を示し、音と同等の価値を古いジャズに認めた。

 仕事もせずにぶらぶらしていた自分を伯母は函館の旅行に誘ってくれた。寝台車に一夜揺られ、朝には北海道に着いた。夜景を見て、坂道を歩き、珍しいレコードをここでも買った。角張った荷物ができる。またもや窮屈な寝台車で過ごす。理由があって近所に住みはじめたこの伯母からジャンパーももらった。だが、いまはレコードもこの上着もない。お金がないときに売ってしまい、一時しのぎの金銭と化した。

 では、自分はなにをしていたのだろう。文庫本と、缶コーヒーが飲めるぐらいの小銭をもって、陽のあたる静かな公園で午後を過ごした。あるいは区の図書館で山ほどの本を読んだ。どの本にも借りたひとがいて、風化していながらも手垢らしきものがあった。自分は賢くならなければいけなかった。だが願いとは裏腹に、ひとにそう思われることは絶対に避け、意味もなく重いイスを運んだ。

 しかし、こうして何にもならなかった自分だけが取り残されている。

 引っ越すときに大きなレコードラックを二つ買った。中味は多少、入れ替わった。いつか自分の持ち物を在庫ゼロという状態にしなければいけないので、売るかゴミとして処分するかしか方法がないが、まだまだ愛着もあるのでためらっている。ぼくにとって、それだけ大切なものもある。

 イスをいっしょに担いだ友人は、大人に成りつつある過程で、やっと本来の美しさに見合った視線を向けられる少し大人びた同級生とデートすることになった。ぼくらは、プラトニックとストイックであることを継続できない年代になっている。子どもっぽさとも、おさらばなのだ。

「で?」ぼくの関心。デート後の。
「え?」
「それで?」ぼくの薄汚い興味。「分かるでしょう?」
「何も、ないよ」
「え? 純然たるデート?」
「そうだよ」

 ぼくは友人とふたりっきりではなく、夜も更け、仲間たちが増えると、まわりにこの臆病さを非難する。丸腰ではなく、銃をもちながらも弾丸を使う気もない友人のことを。そして、みなの賛同を得る。図書館の本を読み尽くそうと、健気な努力を成し遂げようと視力をダメにしているぼくがである。

 辞書がある。このプラトニックの語源にはプラトンがいるそうである。哲学というのは多くのひとにとって不必要でもある。だが、考えるひとは考えるのだ。目的としても結論としても考えるのだ。考えると便利になる場合もある。便利にするために、いろいろな用途の道具がある。また用途以外に使ってしまうこともある。ある女性は子どもでもないのに、おもちゃがほしいと言ってうるさかった。いっしょに秋葉原あたりに買いに行こうと促されるが、それは反面、ぼくのテクニックとサービスの不足の問題でもあった。プラトンもソクラテスもこんな問題で悩まされる人類のひとりを思い浮かべることができただろうか。ある用途の話でもある。

 イスにも用途がある。柔らかいすわり心地を目指したもの。デザインに優れたもの。友人たちといつものように夜の町を歩いている。深夜のファミリー・レストランがぼくらの広間であり、ときには作戦会議場にもなった。そこからの帰り道である。不思議な物体を目にする。なぜそこに? 明確な答えももちろんないが、視線の先に、大人の店、子どもが入れない銭湯にしかないはずの金色で、真ん中にある程度の溝があるイスがゴミ捨て場に置いてあった。そのまま放置しておけば、翌日の朝には消えるものである。ひとの目にも触れない。特別に、早起きでもしない限り。ぼくらは、それをどうにかしなければならない。プラトンでなくても頭は考えるためにあるのだ。

 ぼくらは、またもや運ぶ。ある中学校があった。塀を飛び越え、その金色に輝くイスを校庭の真ん中に置く。校庭の中心で愛らしきものを叫ぶ。ぼくらは脳みそが足りないひとのように騒ぎながら、またもや塀を駆け上がる。翌日の朝、どんな未来があったのか想像する。結末は分からない。ただ、その頃には、太陽があがる公園か図書館で本を読んでいるはずだ。または、どこかのレコード屋で流通の乏しい黒い円盤を探しているのだろう。何にもならなかった男。だが、笑えることは少しぐらいはあった。こんな風に。

悪童の書 ax

2014年09月27日 | 悪童の書
ax

 高貴なクズ。矛盾。

 吉祥寺の小さなジャズ・クラブにいる。数セットの演奏も終わり、音楽だけがもたらすある種の恍惚が含んだ満足感に覆われている。お客として。

 友人は演奏したピアニストが好きだった。円熟という境地にいる。ぼくは若いドラマーのことを気に入っていた。音楽を成立させる要素として、ぼくはリズムをいちばん重要視していた。とくにジャズというものを聴こうとした場合は。このドラマーは理想にかなっている。それよりも、その理想をとびこえている。凄いひとはいるものだ。

 残りのワインだかを飲み干し、清算も終え、階段をのぼる。その出口付近にこのふたりは座ってタバコを吸っていたように思う。あるいは、その雰囲気に似たくつろぎという状態にいた。話しかけても良さそうなタイミングである。彼らも素直なリアクションを求めているかもしれない。

 友人は口を開く。

「あの演奏した新曲、この前は、ちょっと、どうかな? とか思ってたんですけど、正直に、でも、こなれて、今日は良かったですね」

 という趣旨のことを言う。褒めているようで貶しているようでもある。あるいは釘を刺しながら本音を吐く。どちらにしろ、その場の空気が少し凍った。

 相手は立派な芸術家である。この指の十本のみに頼って暮らしてきた本物のピアニストであった。久々に自分に痛いことを言ったかもしれないひとが急に訪れる。くつろいで油断していたときに。あのとき、あなたはああだった。女性がもちこむ方法論にも似ていた。

 トイレにいる。まったくの別の機会。

 となりにいる友人らしきふたりの声が聞こえる。

「すごいの、聴いちゃったね!」

 ぼくも他人ながら同感だった。池袋の大きな会場で、はじめてオーネット・コールマンというサックス奏者の演奏を聴いた感想であった。この感嘆しか許さない表現がもっとも適している。はっきりと、凄かったのだ。

 LAかどこかのハイウェーで、時速三百キロ近いスピードで疾走するような圧倒感があった。首を背もたれに当てていないと一遍に折れてしまいそうな圧力のある音色と演奏だった。あれを聴いていて良かった。もし、彼をレコードのみで判断していたら、まったく違う音楽になってしまう。この反応を知らないまま、彼は母国に帰ってしまうのだろうか。もう散々、聞き飽きたぐらいの賛美なのだろうか。ぼくには分からない。

 さらに数年前。残業の予定をごたごたしながらも交換してもらい、チケットをもっていた職場の仲間に誘われるまま文京区のホールでウェイン・ショーターも聴いた。地下でハンバーガーをおごったくらいで代金は済んだはずだ。もう古風なリズムのジャズはとっくに放棄している。個性が必須な音楽のジャンルだが、彼は確実に自分独自のクローゼットをもっていた。この時期のCDもたまに耳にする。太古という意味合いをふくんだサックスの音である。必要なものも、機会も近寄ってくるということを示す一夜になった。ついでにいえば、コンサートに誘ってくれた彼は美人と別れて後悔していた。その付き合えるチャンスもうらやましく、別れる必要性を疑う、というふたつのこともぼくに間接的に教えてくれた。そういう間違いも、また古来より人間がしてしまうことでもあろう。

 音楽は空気中に消える。

 伊豆方面を一泊で旅して、その帰りに池袋の小さなジャズ・クラブにいる。演奏はリズミカルなピアノを弾く女性ピアニストだった。あと管楽器の男性のふたりだが、その男性のことは記憶からもれてしまっている。

 お客も少なかった。演奏も終わり、ぼくはそのピアニストと会話する。

「家でもピアノって、毎日のように練習するんですよね?」

 という明らかに無知な質問をぼくはする。聡明という特徴と美点がその女性の表情の隅々にまであらわれている。彼女は紙にスケッチをする。部屋の間取りで、窮屈にピアノにすわる際の様子を口で付け加える。サインなどもらう趣味もないが、このときのラフなスケッチをもらっておけばよかったなという小さな後悔をいまでもしている。どうせゴミとして処分してしまうのだろうに。

 実際に演奏、歌う楽しみをぼくは知らない。むかしの職場には複数人そういうタイプのひとがいた。プロの視点から教えられることもあるが、アマチュアや愛好家の意地も熱心さも自分にとって大切な基準であった。

「しおれる花? しぼめる花? しぼんだ花?」

 フルート奏者と仕事の合間に話しているときに出した自分の精一杯の知識。彼女は直ぐにそのシューマンだか、シューベルトの音楽を自分のあたまのなかで鳴らしているような表情を浮かべた。「さらう」というのは、こういう顔をもたらすのかとぼくは憧憬する。ぼくは簡単にその作業に移れなかった。

 自分は文字で理解する。同時にソロバンの珠を空中に浮かべている。色彩というもので判断できるひともいる。だが、いくつもの音楽体験がぼくにたくわえられている。その感動を与えてくれたひとりひとりが減っていく。そもそも蒸発するのが音楽の美しさであった。この前のたるい演奏も、もうどこかに消えてしまったのだろう。すべてを録音するほどの強迫観念もなければ。そして、この楽しかった体験を文字で書きのこす意味合いの妥当性や正当性を考えてしまう。

 もうひとつエピソードがあったのに、メモを省いたため、それも途中で空中に消えた。出てこないかとあたまを揺すってみるが無理だった。これも、音楽にふさわしい状況だ。


悪童の書 aw

2014年09月26日 | 悪童の書
aw

 加虐性と受容力のバランスの実験。もちろん、度が過ぎる場合もある。失敗を重ねたうえでの完成品こそ貴いのだ。

 ひとを、無意識(いくらか意図的)にせよ、怒らせたい願望がぼくにある。隠れて。違う。詳細に分析すれば、ひとそれぞれが怒りの沸点をどこに置いているのか調査したいと思っている。温泉の適度な湯加減と暑過ぎるという極めてあいまいな分岐点の目盛りのように。適切さはどこなのか? 自分で認識しても、さらに第三者の監査があってはじめて有効かどうかであるかも決定する。この最後の工程をいつも怠り、大体は省く。

 怒った人間の、本気の愚かさの中心にある核のようなものを認め、アボカドの種を取り出すように、二つに割ることを試みてみる。普通のひとは避けるべきものとして考えているのだろうか。材料を得るには、だから、誰かと対面しなければならない。いざ、出陣。

 自分が存在しているのは、職場と飲み屋だけのような気もしている。調査の対象になる場所も二か所に限定されるが、職場にいろいろなものをもちこむのも妥当ではないので、さらにサンプルも偏ったものとして一か所に限定される。

 好奇心の誤った放出でもあるのだ。しかし、調和ではなく、破綻こそが美を担うのだと仮定する。いや、事実に近い。

 常連という調和のもとでバランスを取っている和やかな店内である。新入りにもチャンスが到来。ひとり、いじられるひとがいて、そのひとと一対一のやり取りをみなが注視している。おおまかな展開は、いまはいない美女でユーモアあふれる女性客のことをおじさんは夢中なのである。そのおじさんは、ぼくをこの場限りで、気に入った体にして、なんでも好きなものをプレゼントすると言う。

「じゃあ、そのひと」さらに、「おじさんの住まい」

 みなの笑い声が聞こえる。酒場など、つまらない小さな宇宙に過ぎないのだ。そこを泳ぐ。怒りのブイにはまだぶつからない。おじさん、最終的に切り札の名刺を出す。商品の仕入れのようなことをしていると言う。

「で、名刺は?」交換を要求される。

「もってないですよ!」ぼくの発言にがっかりしている。そもそも、酒場なんか、仕事やさまざまな社会で負わされる役割を(かなぐり)捨て、自分という素材のみで訪れるところではないだろうか。新入りには、この持論を語る勇気もないが、断固、ゆずる気もさらさらない。平日にたまった気苦労を、酒の利点を利用して、脳の伝達をショートさせようとしているのだ。月曜の朝までは。

「でも、なんか仮に買うとしたら、マージンって、どれぐらいなんですか?」迎合のひとことが思わぬ結果をうむ。
「いまどきの会社、そんなもの取らないよ!」

 いままで、聞き耳をたて、にこにこしていた隣のお客さんが急に激怒している。彼の沸点はここだった。ぼくは地雷を踏む。

 しかし、冷静になる。どんな商売だって、安く買ったものを高く売るというのが基本である。マージンでなくても、手数料、利益、という商人の行動理念のひとつで最たる価値でもある。なぜ、怒りだしたのだろう? 子どもですら、使わなくなったゲームを売り、それが店の利益を上乗せされ、再販されることを知っている。そのことを訊かないことがルールだったのか? 分からない、社会である。

 もやもやしながら、別の店に入る。ちょっと飲み、お金を払って帰ろうとすると、
「この前みたいな飲み方ダメよ! ルールは守らなくちゃ。あのひと、今度、会ったらただじゃおかないと言ってたわよ!」
 しつけをされる四十五才という動かぬ悲しみ。

 ぼくは前回の記憶を引っ張り出す。普通に話していたつもりだが、相手にとってかなり迷惑なのだろう。ぼくは楽しかったという記憶しかない。こうして、ひとつの居心地良き店を失う。パラダイス・ロスト。しかし、怒りなぞ、その場で発揮するから楽しいのではないのだろうか? 持続させることなど、怒りには不向きだ。いや、これも言葉の綾で、自分を大きくみせるため、居なくなったぼくという対象にこう架空の宣言をしたのかもしれない。オレだって、からかわれているばかりではなく、強いんだ。ぼくは、このときにいた別の女性から見かけより若いと言われたので、若者の生意気さとして、認定されてしまったのかもしれない。どちらにせよ、酒癖が悪いのは事実であり、今後は家でしか飲まない、と守ることも望んでいない約束を自分に課した。翌々日にすぐに破り、外で飲む。家の近所でなければ静かなものである。慣れ過ぎるとすぐに、こころのネクタイをゆるめ、ステテコ一丁同然になる。

 これが一日に起こったことなので、もちろん、衝撃がある。その衝撃をこうして書く題材にして祭り上げる。祭壇には犠牲や供え物が不可欠なのだ。ぼくの人体実験はこうしてすすむ。長生きという観念も毛頭ないので、迷惑もいやがる気持ちにも無頓着になってしまった。数年後には、なくなる命である。だが、控えるということも覚えることにしよう。

 ぼくは仕事を離れれば怒りを持続させることすらできない。小さなイライラぐらいはあるが、今度、あったときまで、という流れは理解できない。それでも、脅えている。自分のことをこう思っているひとが少なくてもひとりはいるのだ。夏の家の床をうごめく黒い虫は、いっぴき見つければ、もう無数にいるそうである。その理屈をあてはめれば、ぼくにも無数の敵がいた。男の子にも七人の敵がいる。敵を生み出しているのも、もちろん、自分の不用意な、あるいは用意した発言が原因である。


悪童の書 av

2014年09月25日 | 悪童の書
av

「チョー、顔、やらしいんだけど」

 酒が入り、きれいな女性と遭遇した際に、フィルターで濾過されずに放たれる自分の第一声である。原液の真実の抽出。一番搾り。はじめに言葉あり。

 例えば、夫婦で営んでいるような小さな店で、妻であろう女性店員にも容赦や手加減はない。ここからが、言い訳にもなる。自分の声は、まさに蚊の鳴くような小さな音量で、世界のあらゆる壁には達しないと思っていた。ミサイルは日本海の途中に。だが、酔っ払いの声量の調整など信じてはいけない。アンプのボリュームも常に過剰で、すべて筒抜けなのである。おそらく、夫婦のどちらの耳にもお邪魔している。恥ずかしい人生であった。結果、小さな蚊の一刺しでデング熱にもなる。天狗の鼻も折られるのである。

 ついうっかりと漏れてしまった我が言葉。その無意識にも関わらずに先陣を切った偵察部隊は実行力に欠けており、応援席の奥から自分を、冷やかしを多量に含んで、小さく叱咤しているだけの臆病な後続隊が中心部隊であった。ぞくぞくと戦闘兵がその美女にまっしぐらに突進するわけではない。塹壕に一目散にかくれる意気地なしも数パーセントいて、地雷にひっかかる割合もある。ただ、それでも言わない訳にはいかないのだ。話術のひ弱な未熟児が、人見知りのブランド産のひとりの人間が、付け焼刃の訓練だけで、イタリア・ラテン野郎に変身しようとした副作用に苦しんでいるのだ。誰を責めることができるだろう? 特効薬だと信じて摂取した自分は、悪くないのだ。

「ね、なんか、おもしろい話、して!」

 たまに投げかけられる正解なき質問である。ひとつやふたつはストックがある方が良いし、クリア可能なことは後回しにせずになるべくならしておいた方が良い。もし、手持ちがなくても回答用紙はとりあえず、何らかの文字で埋めておくべきなのだ。心証のためにも。引き出しを開ける。

「こんなことがあったかな。夕べ、ねむれなかったとしてだけど…」
 これも、違う。
「言葉の最初に、すべて、人生、と付けると哲学風になるんだよ。試してみる?」満足気なぼくの顔。「階段。引き出し。ふところ。貯金」

「ほんと?」
「人生の階段を踏み外す。人生の引き出し。人生のふところ。人生でたくわえた友情や経験という貯金」
「強引だね?」
「人生の貸借対照表。我が人生の残高」

 ケチというのは総じて無口だと仮定する。口を開いて発言することすら彼らにとって、もったいないのだ。すると浪費家はおしゃべりになる。反対に、おしゃべりだから、口数の散財にも無頓着になれるのか。

 イタリアのレストランにいる。はじめての国。はじめての人々。彼らは以心伝心という見事なワンダーランドをまったくもって信じていないように思えた。伝えるべき必要があることばは、過剰な手振りという装飾をほどこしてストレートに打ちつける。こんなにも必死なのに、なぜ、理解してくれないんだ。なんだか、失恋したひとの嘆きにも思える。

 しかし、確かにやらしい顔もある。それを求めて酒を飲んでいるのだ。なにが、どこが? という疑問もでてくる。ぼくには分かる。わたしには夢がある。口の開き方の形状ひとつで、うっとりできる世の中がくることを。アーメン。

 翌朝の不快感。自分の身も、精神もである。結果、自主的出入り禁止の店をひとつ増やす。もちろん、いやな顔を後日、される場合もあるが、何が? という普通の応対をされて反対にびっくりすることもある。だが、しない方が良い。健康のため、吸い過ぎには注意である。

 大人になって親身にしつけをしてもらおうなどという甘い魂胆があるわけもなし。確かにひととの接点を探し、話しかけたり、逆に話しかけられた場合も苦痛だっただけの時期もあるのだ。コミュニケーションというのを間違った方法で認識して固定して定着させてしまった。

 好きな顔。表情や気持ちの揺れで、刻々と微細にかえるもの。恥じらいというのは後天的に身につけられないような気もする。目の奥やその赤みを増した頬に証拠がきちんとあらわれる。反対は厚かましさと図々しさの御一行だ。ぼくは、こちらのバスにいつの間にか乗り込んでしまっている。

 しかし、やらしい顔などと言いながら、ぼくはそれらのひともパーソナルの一端でも知っているのだろうか。まったくである。皆無である。隣のビルの会社の経済状況と同程度に近いぐらい、手持ちの資料はなにもない。

 でも、はじめてのコンタクトで見抜けるなにかも有しているのだ。毒をもっていそうなどぎつい色の昆虫。自分が敬遠されるべき種族であることを既に自分で触れまわっている。ひとは顔だけでできているわけでもなく、身体全体、会話したときのあいづち、雰囲気、相手に対する興味も。ぼくは、あたらしい蝶を発見して感嘆するような興味しかもっていない。これでは、大人とはいえない。週末、では、ぼくは大人でいつづけることを望んでいるのだろうか。スカートをめくっていやがる少女の顔を見たい。最終的な帰結は、どうあがいてもここである。女性に「やらしい顔」と称する自分は、対男性とも別の問題を作らないわけにはいかない。酔いと、記憶という相容れないものを通しているので、時間差と第三者の判断をより介入させなければならない。取材とインタビューのため、また酒場に行く。過去のぼくのうわさを耳にする。そして、新たにわだかまりの種も蒔く。


悪童の書 au

2014年09月24日 | 悪童の書
au

 殺伐すぎる。物騒な話題が多過ぎる。

 このまま船の進路を風と帆だけに任せてしまえば、どこかに衝突し座礁する。甘美な匂いを発する南国の港もどこかにあるだろう。そのひとつに寄港する。

 薄手のブラウスに透ける背中の縦の二本の青やピンクのブラジャーのひもで興奮、発情できた誘発物質みたいなものは、いったいどこに消えたのだろう。もっと、強い注射が必要になる。中毒の状態を望んでいるとすれば。

 不思議なことのひとつとして、ぼくは男性のYシャツをブラウスと言い間違えるひとが好きだった。これも、ほんとうは逆のことで気になっていたふたりが、そういう間違いをしたからに過ぎない。そういう意識をもちこまなければ、無知、あざとい、勉強が足りない、と厳しい口調で非難したことだろう。

 非難と避難器具。原状回復と現状回復。ある仕事にたずさわった瞬間に、してはいけない間違いが増える。見直しや点検を怠れば、嘲笑を陰でされてしまう。パラドックス。現在の状態を回復する。もう思考の迷宮である。

 植木の剪定会社を選定する。

 興奮の話だった。糾弾も快感である。同時に焦りも快感である。用途を限定した、グループ内のみで盛り上がれる内容も快感に近いところにいる。興奮は期待であり、快感はめぐってきた結果であった。

 場違いも興奮のきっかけである。東ドイツの女子陸上選手の脇の下もその鮮明なる証拠だった。ふたつの胸の隆起を触りたいと、ある日、願うようになる。懇願するわけにもいかない。交際すれば、あるいは事を大げさにすれば結婚してからのご褒美ということになる。有資格者。しかし、走者は常にフライングすれすれのスタートを望んでいる。

 それを覆っている肩のひもに過ぎない。色が多少、目立つだけである。ちょっと立ち止まって冷静になる。ぼくはトルストイのような人間の深みを書くことを希求していたのではないのか? なぜ、度が過ぎるのか?

 走っている少女たちの体操着をながめる。これも人間の突き上げる動かぬ衝動である。揺れるものが目に入ってしまう。猫じゃらし。身体の前で揺れているものは機能として必要ない部類のものにも思えた。大きさと小ささの狭間にいる。大は小を兼ねるのか? 誰が好みの規定をぼくの脳に植え付けたのか?

 身体測定の数字の盗み見だけでも興奮できる。バカな脳である。あった。さすがにもっと強い錠剤を飲まなければならない。無防備な笛が机にある。天上の音楽を奏でる能力を秘めた笛がある。

 百年の 恋も醒ますぞ 体育祭

 愛はどこ 意中の少女が 走ったら

 機能としてドタバタしている。大人になれば走らなくて済む。呼吸を乱して座っている。汗をかく。体操着の背中が肌にぴったりとくっつく。色がある。個別の体臭がある。強烈な匂いもまた存在感のひとつだ。

 しかし、下着だって、みせちゃえるんだぜ! という風潮になる。ファッションである。もう、ぼくは興奮できる年代ではなくなってしまっていた。残念である。もっと具体的ななにかを要求する。要求できる立場にいる。それをコスプレと呼んだりするひともいる。

 頼んでいないが、ひとつの映像がある。好みも千差万別だ。タータン・チェックのスカートやタイト・スカートが素敵だと考えるひとびともいる。ぼくの場合、と敢えて頭を悩ます。

 架空の夢の場所は、ガソリン・スタンドか中古車屋の売り場ではなく実際の舞台となる工場あたりがよいと思う。髪は無造作に束ね、化粧のあまりない女性の顔だ。汚れた作業着はサイズが合わず、袖丈も足の長さもオーダーメードではないため、こちらも無造作に丸めてある。片手にはスパナのようなものをもち、

「もっと、いたわって車に乗ってもらわないと、可愛そうだと思うよ!」と、いくらか強い口調で言われる。「今回は、どうにか直ったけど」

「ありがとう、さすが」というように、はにかみながら、かつ戸惑いながらお世辞をささやく。原石の魅力である。

 夢は夢である。

「そんな衣装、もってる? やってくれる?」とは言えない。

 看護婦やスチュワーデスになる場合もある。なぜか、現代は看護師とフライト(キャビン)・アテンダントであった。ぼくは魅力を感じない。これも自由であった。

 ぼくは横浜で遊び、途中下車してひとりで飲む。となりの席のカップルはケンカでもしたのか、無言で飲んでいる。男性だけが途中で退席する。相当なケンカだな、と他人事ながらあきれる。店がまた混みはじめる。ぼくはこのケンカの最中の女性と今度は相席になった。しかし、話さない訳にはいかない。大人はなぐさめることもできるのだ。彼女はきょとんとしている。

「たまたま、相席になったひとです」

 でも、完全な笑顔になることもなく、いささか元気がない様子だった。新人には業務で覚えることが多い世の中で、ライバルの成長は、となりの庭のようにとても美しいのだ。

 結局、なんだかんだで意気投合を強引に実行させて、別の店で飲む。その後、別の機会にも昼寝あけの彼女と飲んだが、それっきりである。春のくせに寒い夜になってしまい、この女性はぼくが貸した上着を羽織ったまま音信不通である。ただのやんわりとした着信拒否なのだが。

 彼女も前記の職業の制服をもつひとりのはずだった。だが、その衣装を私的にも公にも見たことはない。別の機会に、まったく別の女性がぼくの目前でジーンズを脱ぐ。背中の二本のピンクや青に興奮できた自分は、お尻の線が細い一本の布の筋と化したのを眺め、なんだか興奮している。一本、減っただけなのに。引き算の美学。ふたつのむき出しの山を布で包み隠さず、一つの尾根を覆う心細い一本の糸。布きれ中の布きれ。しかし、ないより一本でもあった方が対象として魅力は増した。馬のように鼻息やら、いろいろな所が荒くなる。


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2014年09月23日 | 悪童の書
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 フロイトの発言。だから、真偽を深く追求する必要もなく、正しい意見なのだろう。おそらく。

 イヌは吠えるべきひとと、愛玩してもらうべき対象をきっちりと理解して、区別している。人間はその対象についても愛と憎しみをごちゃまぜにしてしまう。それを愚かだと拒否することもできないものが高等動物であろうか? ちょっと、付け足しているが概要はそういうものだ。

 酔った父が夜遅い時間に母を殴っている。母はその後、顔に大きなアザを作っている。人体というのはそういうものだ。自分より弱いものに手をあげるというのを美学としても倫理としてもよしとしないが、ぼくは父のことを殴る。やむにやまれず。二十七才ごろの話だ。いつのことか覚えているのは、その後、いっしょに住むのを放棄するのが子としての妥当な結論なので、はじめて、敷金、礼金を腑に落ちないながらも準備して、ひとりでアパートで暮らす。ぼくは一線を越えてしまった。ひとの卑怯さを披露するならば、自分の卑怯さも同時に隠すわけにもいかない。ひどい人間なのは間違いない事実だった。

 無意識の領域をもちだすこともない。さらに神話についての知識をわざわざアピールすることもないのだが、オイディプスという主人公のマネをこっそりとしている。神話のあらすじを踏襲している。悪の告白でもあるが、美しい文章としての力も同時に兼ね備えなければならない。

 もちろん、母と寝るということなどするわけもない。だが、年上に母性を求めた結果として、指輪のあるひととデートをするぐらいのことはした。

 ぼくはあそこで家族の成り立ちというのも捨てたのだろう。実家に帰ることも普通の子どもより少ない。その後、十八年で、三十回にも満たないのではないだろうか。そのくせ、過去の家族像に愛着を持っていたりする。

 してはいけないこと。鬼畜の入口。

 いま考えても、彼は普通の同級生でありながら狂気を秘めていたのだろう。汚れたぼくらの川に野良猫を落とした。ぼくらは三人だった。友人は網をもっていたぐらいだから、魚でも捕ろうとしていたのかもしれない。その様子を猫は日向ぼっこですわる年金暮らしのおじさんのように興味深そうに見ていたのだろう。

 友人はあわてて網ですくう。助かるひとつの命。もう一度、落とされる。また、網の中の猫。

「そんなこと、やめろよ!」と親切な友人は絶叫する。ぼくは、観察者である。結局、ずぶ濡れの猫は助かり、トラウマになったかどうかは知らない。いっぴきの彼か彼女も魚が好きなのだ。また、油断して川に近付くかもしれない。ポン引きの思う壺になる。

 時間も経ち、ぼくは彼に親指を切られる。数針、縫う。法律に照らせば、傷害罪である。だが、法のもとで指摘することをみながためらう。ただ、彼の家で大勢で遊んでいただけなのだ。子ども間では解決しても、彼の両親はぼくと会うと罪悪感がいっぱいの顔をする。それを、ぼくは見たくなかった。時間が経って、ぼくは父を殴っている。拳の使い方も、むかし取った杵柄である。打撲も突き指もない。この両者に大して違いもない。みな、生きていれば罪を犯す。

 野良犬もまだいたころだ。ぼくはソロバンの帰りに追っかけられ、いまでもあんなに早く走ったことはないというスピードを出し、自分が有している潜在能力の一端を認識する。走っても、つかれなかった。ぼくは往き帰り、犬に追われなくても走るということだけに夢中になる。それで、環状道路の建設のために空き地になった場所を通行不可にする用途で横切っている見えない針金に全速力でぶつかった。悲劇もおそらくこういうものなのだ。

 急いで帰ってプロレスを見る。次第にプロレスの日は休むようになる。ショーなど否定する無邪気な日々でもあった。無邪気もまた遠退く。その道路も整備され、わけもなく、逆走した車から一目散に逃げる。結局、猛スピードのバックの車つかまり、中にいる正体は思いがけなく免許を取り立ての先輩だった。なぜ、逃げたのか問われるが、答えも見つからない。別に後ろめたいこともひとつもなかった。裏をかえせば、すべてが後ろめたかった。

 あれ以来、ぼくにはひとを殴る幸福も不幸も訪れていない。あれは見栄えが華々しいだけで、ほんとうは寝技を駆使して関節を決め、動けなくすることに長けたひとの方が強いのかもしれない。ひとは見かけで判断できない場合もある。柔術師を見抜けるほど、ぼくの感覚は研ぎ澄まされていない。

 ぼくは、とっくに腕力が幅をきかす世界にいないのだ。世界はまわっており、金銭や名声も主役を張りたがる目立ちたがりの性格なのだ。

 父もいずれ死ぬだろう。他人に暴力を行使するほどの力を有していない。自分が病気の力によって、ボロボロにされている。そして、大きなことをいえば、ぼくはとっくの昔にこころから抹殺しているのかもしれない。おそらく、あのときに。あの行為と愛情を共存させても大丈夫となるほど、ぼくは平常ではいられない。正常であること。狂気を押し出すこと。これもまた病める社会で貴く生きる作業の一環なのだ。身だしなみの一部なのだ。

 イヌは正しい。ぼくもあの程度までには分類する能力が欲しい。愛すべき女性をずっと愛したい。だが、憎むようなこともされる。いや、一方的にぼくの方がした。フロイトのいない世界。まっとうな社会。

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2014年09月22日 | 悪童の書
as

 自分自身以外のもので、三十年間も愛用しているものはない。この自分も好きで使っているのではない。ただの脱げない着ぐるみである。

 その三十年の間に、なにをしてきたのだろうか? 修行するという自分の研磨の時間をきちんと確保したひともいる。ぼくは、ただの摩耗である。経年劣化である。しかし、どうやら三十年前は輝いていたそうである。ひとの声でそのことを教えてもらう。そして、未遂ですらいくつかの思い出として成立する。

 育った町に帰る。大げさな帰省とも呼べないほどのわずか駅で三つ、歩いたと仮定しても三十分の距離であるが、見慣れた通りを歩いている。裏通りのすみずみまで知っている。子ども時代からある店に入る。店主は当時と何代も変わっているだろうと思うが、そもそも恩も義理もない店。入ることすらはじめてなのだ。

 カウンターの角にすわる千葉の友人と、狭い調理場にいる店の男性が話し出す。浅草で修業をして地元にもどって親がしていた店を継ぐ。訊く内容をさらに細かにすると、店主とぼくは母校がいっしょ。ぼくは話に割り込み、生まれた年で彼の年を確定する。ひとつの差。二年の重複する時期がある。彼は接点を探し、知っている先輩の名を口にする。

「じゃあ、バスケ部だね?」答えは、ビンゴ。忘れてもいないが、敢えて思い出しもしない名前が羅列する。それから、さらに知っている名前を拡大させる。すると、ぼくの名前が出る。

「それ、ぼくだけど!」
「え?」という展開。ここで、名乗らないで泳がした結果というのも楽しかったなと後悔。

 そこには畏敬や尊敬というニュアンスが多少、含まれている。お互いが知っている名前をまたもや持ち出し、評価のあらためての設定や、再決定をしたりして、いつものようにけなすことも忘れず、話はすすむ。

「後輩たちには面倒もかけず、すごく大人に感じてました」まあ、ひとりを除いてということになるが。いまはアニメのキャラクターのTシャツを着ている三十年後。自分のその期間はいっしゅんにして消えている。

 その大人はむかし腕力の世界にいた。一学年上の先輩が生意気だから、彼らの卒業式でケンカを売り、面子や面目を丸つぶれにする算段をしていた。勝算は充分にあった。迷惑はかけられていない。だが、弱いものが、いきったらだめなのだ。簡単な理論だ。上下関係はきびしいといまのいままで思っていたはずなのに、きちんと等身大を見極め、なめられそうだったら、そうしようという行動規範も完成済みだったのだろう。

 結局、陸上部の先輩たちは除外するつもりだったが、彼らが間に入り、血気も簡単になだめられ、手の関節も無傷で終わる。未遂も、このように思い出となっている。このぼくも、付随するエネルギーももちろん、三十年間で自然と空中に蒸発してしまっている。

「後輩で、誰のこと、覚えてます?」

 最初も最後もひとりしかいないように思っていた。小さくて可愛い子。時の経過の酷さは投げ捨て、三十年前に情報や姿は止まっているので空想も生き生きとする。そして、覚えている苗字を口にする。

「あ、あの子」
「可愛かったよね」恥も外聞もない。いまさら、どうにもならない年齢なのだ。
「そうですよね。いま、カナダ人と結婚して、カナダに住んでますよ」

 いまのぼくは最愛の女性と別れたあとに、選べる候補にいた気になったうちのひとりぐらいの予備だと認定していたが、共通した時間はなにもない。しかし、好きという感情もたしかにあった。あっても伝わっていないのは、ないと等しいことも大人は認識している。毎月、貯金しようとしていたという願いは、しなかったと同義語なのだ。ぼくらの滞在も終わりに近付き、飲み食いのお金を払い、ていねいに店の外まで出て後輩でもあった店主にお辞儀をされていた。八千円にも満たない金額なのに。思い出は無料であった。追加徴収なし。

 しかし、ぼくはなぜだか三十年もかけて失恋したという傷心の状態になる。多分、なりたかっただけなのだ。現在、こころの大きな揺れや動きがないので、そのきっかけを過去に求めたのだ。これも、未遂ですら思い出のひとつになる証拠のひとつだ。

 運命と、運命を転じられることも可能な自分をアピールする機会を天秤にかける。ぼくは、こういう彼女がいる時期が自分にあってもよい気がしている。勝手に。信頼することが何たるかを教えてくれる大きな黒い瞳。しかし、彼女はカナダに住むことになっていたのだ。他人がその人生に土足で踏み込んではいけない。

 ぼくは、それでも嬉しかったのだろう。次の店でもさらに楽しく酔っている。

 翌朝はどうやっても気持ち悪い。四十点ぐらいの赤点並みの不調だった。

 夕方に体調も回復して、ぬるいシャワーを浴びて、月末なので家賃を払いに行こうと思っている。すると、玄関に見たこともない自立できるホウキとチリトリのセットが靴の向こうにあった。ぼくに昨夜、なにがあったのだろう?

 ぼくはカナダにいない。自分の住んだ周辺をコンパスで回せば、小さな範囲でしかない。自分のモデル・チェンジに何回も挑みつづけ、いくつかは成功した。海外の文豪の書籍を乱雑に読み、古いジャズも収集した時期がある。そうしながらも、根にはこの地域の柄の悪さが、どんな漂白剤も効き目がないほどに染み付いてしまっている。言わないこと、やらなかったことですら思い出になるのだから、不本意ながら、してしまったこと、傷つけたことなど、どれほどの重さで返り討ちをしようとしているか想像しただけで身震いしそうになる。だが、あと三十年後などないのだろう。塵は塵に、灰は灰に、である。修行も束の間、浪費も束の間である。ぼくは二つになってしまった掃除道具で、こころも玄関先もきれいにしました。



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2014年09月21日 | 悪童の書
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 従業員の慰安と士気のアップのために食事会の準備をしている。ケータリングの会社を複数選び、予算内でできるメニューを見積もりとしてもらっている。電話やファックスを駆使して、ありがちなもの(揚げ物とポテト・フライ。さらに肉)にならないよう気をつけながら、最終的に上司が女性社員の評価などを訊き、検討した結果そのうちのひとつに決定した。

 ぼくはまた電話をして、配達時間や出たゴミの搬出方法、支払いは請求書払いができるかどうかなど、細かいチェックをすませて、ゴー・サインの肩代わりをする。

 結局、評判も良く、その会もうまくいったと記憶しているが味はまったく覚えていない。そのころの流行りだった氷をプラスチックの容器にいれて、無節操に日本酒を注ぎ、飲んだことは記憶している。二次会で羽目をはずしたことも、なんとなく覚えている。

 だが、これがあの会社でした「仕事」としていちばん記憶にあるぐらいだから、性分として好きなのだろう。満足感もそれ相応にあった。もちろん、みなは飲み食いできればいいだけだから準備のどうこうなど知った話じゃない。問題点をあげ、ひとつひとつの困難をつぶし、最後は安堵する。勝利のガッツ・ポーズをする。これは、ゲームをする若者と同じではないかと思い出す。敵の突然の襲来を予測して、攻撃し全滅させる。コンプリート。

 二次会ではそのなかでいちばんの美人を選び、横の席に陣取る。だいたいはみな結婚している。子どもがたくさんいながら生活感も疲れも一切、感じさせないひともいる。もちろん、仕事帰りなのだから、いくらか戦闘モード、臨戦態勢が抜けきらない。まったくの近所を散策するだけの格好でもなく、ゴミ捨てにいくのみの油断もない。ひとは意識しなくても当然のようにガードをしているのだ。制服もそのひとつで、着崩すことも、その範囲内の自由であった。

 翌日になれば、また会社員の顔である。いつもいつも宴会では人生はない。雨がふれば傘をさし、通勤電車の運行の遅延に左右される名もなきひとりである。

 春には裏の公園は大量の桜を咲かせた。

 昼休みにそこを歩く。ベンチに座ろうとすると毛虫がいる。誰がデザインしたのか考える。ああいう歩行ですすむには、どこに力点があるのだろう。謎は謎のままである。

 夜には駅前の安い酒場をめぐる。別の機会にとなり駅の店で意気投合した女性ふたりと合計四人で、そのうちのひとつに入った。飲み過ぎたそのひとりは長い髪を無視してバケツに顔を突っ込んでいる。興ざめの最たる場面だ。ぼくはもうひとりの大柄の友人らしい女性のアパートの前まで送る。それっきりである。ただ、人見知りであった自分の克服の途中経過を知りたかっただけであった。

 自分も毛虫のように這い、高低差を乗り越えてベッドに横たわる。注文したいものを食べ、飲みたかった量をいくらか度を越してしまったことを反省する。水分量の分水嶺という、どうでもよいことを考えながら寝る。

 裏には野球のグラウンドもあった。若さを越えた年代のうごきも体型も、どこかで滑稽さが帯びるようになってしまう。ぱりっとしたお揃いのユニフォームに身を包んでも、戦闘という地点にはなかなか近づかない。ゴロを捕球する際もあぶなげで、しかし、走者も一塁が思いのほか遠いようであった。結果として試合のバランスが取れている。本人たちが楽しければ、まったく問題はない。太陽のしたでの草野球。幸福のひとつの標本であった。

 月にいちど、請求書に印を押すために本社に行く。そこから、支払ってもらう会社に向かう。井の頭線という乗り慣れない電車にわざわざ遠回りを覚悟で乗っている。ぼくは無駄な仕事としりつつ、指揮命令がうまくいかなかったために、余分な作業に従事した代わりに、担当者に酒をおごってもらったことがあった。面と向かって酒を飲み、子どもがいない彼は姪だか甥を可愛がっているという話を聞く。最後にラーメンを横に並んでふたりでがっついた。これも、人見知りの克服のひとつである。会社員というのは、それを全面に出すことなど許してはくれない。人見知りなど、デフォルトではない方が無難なのだ。子どもだけに許される通行手形でもある。お辞儀という形の見本もこのひとは思いがけなく教えてくれた。偉くなれば頭をさげにくくなることが常なのに。立場も格段にぼくのほうが低かった。

 いくつか乗り換えて、請求書という紙の一枚分だけ軽くなったバッグをひざに乗せ、職場の一室に向かっている。夏でも燗酒をたしなむ上司がいる。安酒場にいることを常に望んでいた。くさやとの隔たりも彼が取り除いてくれたのかもしれない。そして、仕事を去れば役職をつけて呼ばれることを毛嫌いした。ぼくは、ふと再会したらなんと呼ぶだろうかと考える。褒め言葉として宴会時に、「彼がいるお陰で左団扇でいられる」とぼくのことを喧伝したこともあったひとを。しかし、おそらくそのような機会はない。桜も散ってしまうものだ。思い出も空中でつかまえにくくなる。そんな話。


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2014年09月20日 | 悪童の書
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 平等であるべきもの。時間。

 すべての地上にいる人間が同じ刻みのなかで暮らしている。しかし、奴隷と、大農場主と、窓際族と、証券会社の売れっ子と、六本木のホステスの時間が等しいのかと問われれば、違うような気もする。感覚の問題である。

 同じ人間でも違う。十二才と四十二才のながれる時間はあきらかに違う。揚子江と滝のようでもある。

 一年は、あっという間というのは、どちらかといえば否定的なニュアンスがある。これも正しくないかもしれない。だが、全面的に素晴らしいことなのだと仮説をたて、その立証につとめる。生きている間に、あたまはつかっておかなければならない。あっという間なのだ。早く。

 スケジュールという追われるべき計画をたてた最初は中学二年の夏休みを起源とする。これも仮定だ。

 朝の六時に起き、七時から九時まで陸上部の練習をする。校庭は工事があったと思う。水はけを良くするためだったろうが、転ぶと痛そうな地面になった。その期間、ちょっと離れた私設のグラウンドを使用していた。そこから学校にそのまま移動して、シャワー代わりに昼ごろまでプールに浸かる。

 昼飯を家で食べ、午後は親が不在の友人の家で遊ぶ。エアコンのリモコンは無骨な時代だった。大まかな温度しかない。夜は盆踊りに行ったり、祭りに行ったり、自転車を無心に漕いでいたりする。風呂に入り、夕飯を大量に食べ、十二時には就寝。そして、また翌朝の六時である。勉強は、どこに置き去りにされたのだろう。

 意中の子もいる。しかし、強引であったことは一度もない。塗装を剥がさなくても地はシャイである。たまに強引なこともする。こんな時期に、ある友人たちは、隠れてこっそりである。スケジュールとはまた別のところで楽しみがある。

 もっとさかのぼり、夏休みの暑い時期に昼寝を強要されている。どうやっても、眠くない。となりには母がいる。

「目をつぶってれば、眠れるから」という簡単な理屈で諭されている。言いつけ通り、目をつぶっているが、眠りはまったくこない。相手もシャイである。かといってしなければならないことなど、ひとつもない。またしていたことも覚えていない。ノートに落書きするぐらいが関の山だ。または絨毯の模様にそってミニカーを走らせること。やはり、時間は無限だった。

 すると、しなければならないことがあるということが時間を縮めるのか。

 中学生にもどる。教育実習生がくる。大学生の女性である。勉強の総仕上げかもしれないが、檻に入れられる小鹿であるともいえた。無許可で胸をさわる。こんなに柔らかな素材があるのかとびっくりする。結果、こわい先生に呼び出される。天秤にかければ、これを含んだとしても幸福は勝る。

 ある友人の正座をする時間の長さと、とっさのひとこと。こわい男の先生の厚い胸板に手を当てるよう強く引っ張られる。男という同性の胸に手のひらが密着する。

「これが、気持ちいいのか?」

 怒られる理由もさまざまだった。女性の胸にさわって叱られ、他校の生徒に、「舎弟」ということばをつかっても怒られた。先生も知らない訳じゃない。まさか。

「気持ちいいです!」なにを思ったのか、友人はそう呟く。この後、ずっとぼくらの話題としてもちきりだった。伝説のひとことは、こうして作られる。教師は唖然とする。目を白黒させる。表現は無数にある。ゲンコツを喰らう頭だけがひとつである。殴られる頬はふたつになった。しかし、あの感触は永続性を勝ち取ったのだ。

 こわい先生はあっけなく世を去った。これがばれれば、叱られるだろうなという予想のもとにいた。だが、しないわけにもいかない。そして、うまいこと逃げおおせるなどもまったくもって望んでいない。少し軽減されるかもしれない罰を求めるが、後遺症にもトラウマにもなっていないので、妥当な罰であったのは実証済みだ。

 時効を待つひとのビクビクとした時間は早いのか遅いのか考える。捕まえにきてほしかったという逮捕後の安堵した意見もきく。頭を一発、張り倒されるぐらいで直ぐに解決するぐらいの罪が最大のものであってほしい。指紋を採取され、前後左右を向いた写真を撮られる。出所を待つ時間も、延びるのか縮むのか不明なままである。

 仮説から離れてしまっている。紆余曲折もなく、ただ別物になってしまった。注意も指摘もない。ぼくのした悪いことが漏らさず書きのこされればいいのだ。問題ない。

 懺悔という観念があり、閻魔さんという実行者がいる。それより、借金や税金の取り立ての方がこわく感じる。生身のものの傷のほうが、想像しやすい。傷が治る時間もかわる。こちらは間延びする。反比例だ。時間は走馬灯のようであり、傷口は時間の経過がゆっくりとしている。日焼けからの回復も然りである。

 腕をみる。女性の腕にいくつかの痕がある。点々と。その傷により伝染性の病気から永続的に守られているのか考える。しかし、ぼくが考えることではない。国家のひとつのグループが国民の健康を考えるのだ。ぼくはその痕の美醜だけを考慮すればいい。ひとの肌に永続するものをつける。眠れないままごろごろとする昼寝から疎んじられた少年の横に腕がある。そこにもこの痕がある。羊を無数に数え、腕の痕は直ぐに終わる。学校で習った数字の桁はもっと多かった。

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2014年09月19日 | 悪童の書
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 最後の買い物でお釣りを五百円とさらにいちばん細かいアルミ製の数枚を受け取ったはずである。その後、どこにも寄っていない。翌日、確実に大柄な硬貨が一枚だけポケットに入っているはずなのに、どこにもない。殊勝にも五百円貯金を急に思い立つほど、一心不乱にまじめで篤実な性分ではない。金が惜しいのではなく、この不確かな記憶の不在がこころぼそいのだ。

 そのこころぼそさを内に秘め、一日を過ごしている。

 結局、家にもどって、他のズボンのポケットかと自身を疑い、捜索してみるがないものはない。しかし、このことがきっかけで過去にお金を落とした経験にコンタクトする切符を得たのだ。ささやかな投資である。回収は間近。

 あざといと思いながらも、物語はつづけなければならない。テクニックでもなく、過去にさかのぼる常套手段のような方法をとっている。二番煎じは恥ずかしい。二番目の異性は、思い出深いものになる。

 さてと。五十円というお小遣いがぼくにつかえた上限の金額である。駄菓子屋の前で、ポケットに見当たらないことを発見する。喪失の発見。ぼくは来た道をたどり、落ちていないか注視するが、消えたものは消えたのだ。その日は何も買うことができない。駄菓子屋の売上高が五十円減った。原価は驚くほど、安いのだろう。そんな気も起こることなく、ぼくは喪失感と絶望感の何たるかを知る。世界は終わったのだ。

 次には、財布ではなく、コインケースのようなプラスチック製の素材のものを空き地で落とす。札はまだいらない。三百円から四百円ほどの間の金額が入っていたと思うが、一瞬にして消えた。探してもない。その後、学校でもあまり賢くない部類の子が、いつもより多めの小銭をポケット内でジャラジャラいわせて前から歩いてくる。我が世の春。ぼくは追求することができない。その盗みは現行犯であることが前提である。彼は、普段は手を出さない駄菓子の大人買いという行為に手を染めたのかもしれない。しかし、名前も書いていない以上、真偽は不透明なままだ。

 明らかなこと。

 アパートを引き払う。最初はエアコンがついていなかった。不動産屋に穴を開ける等の許可をとり、十万円ぐらいで自費で新品のものをとりつけることにする。もし、アパートを去る時は、買い取ることもありますよ、ということばももらう。アパートの資産や価値が高まるのだ。しかし、出るときにそのことを持ち出すと、「そんなこと、ひとことも言ってませんよね?」と白を切られる。もちろん、書面でのこっているわけもなく、次のプランを考えなければならない。

 うまいことに、友人の友人にあたる女性が入居することになった。壁に使用期間が二年未満のエアコンをのこして置いていき、さらに窓の長めのカーテンもそのままで併せて約六万円という口約束をした。時間が経っているので、正確な金額であるかは自信がない。

 当日になる。はじめて顔をあわせる。「四万五千円で、どうですか?」との提案があった。口約束というのはことば面だけで判断するとしっぺ返しをくらう。約束より、不履行に傾きやすい題材なのだ。こういう自分の利益のために、みな卑怯なマネを軽々しくする世界なのだと、ぼくは目が回る。もうぼくは新しいアパートにいる。エアコンもいらない。その減額されたお金をしぶしぶ受け取る。カーテンは入居する前の清掃の途中で捨てられてしまったらしい。その交渉をする元気も気力もぼくにはのこっていない。勝手に、どうぞ! というのがふて腐れた自分の態度だった。

 この後、経理の意味合いで減価償却というものを知るが、別問題である。ただ、知識の一端の披露であった。

 ぼくは書くという行為を通して、自分に利益になるよう目論んでいる。読み手はぼくの味方につけやすい。反省として、書面にするものは書面にしておくべきだろう。

「わたしのこと、好き?」と何遍も訊かれる。
「不安だったら、一筆、書いておこうか?」

 ぼくは話をまじめに切り上げる気もなくなった。

 失うということは記憶にのこりやすい。損害もまた然り。だが、フラットな地点に立ち、自分がご馳走になった金額を五十万と設定するならば、自分がおごった金額はわずか二万ぐらいの比率にしかならないだろう。そんな分際で、わずかな損害を糾弾する資格など有していなかったのだ。ぼくの記憶の狭間で失われた五百円の経緯をたどっているうちに、思いがけなく古い記憶がびっくり箱から飛び出してきた。もう箱に納めることもできない。もし、できたとしてもその箱の置き場自体、失念してしまうぐらいの記憶の力しかない。

 自分の小遣いのつかえる範囲が急速にひろまる。駄菓子屋だけが金銭が自由に流通する場ではなかった。しかしながら放課後にその店先にたたずむ。大人の途中の段階で、ぼくらは勝手に外に面している扉を開け、数本のジュースを拝借する。部活のない日の夕方になる前なのだ。もちろん、返す気もない。いや、ビンだけは外のケースに返す。見かねた店員は、別の日に、ぼくらに上納するようにジュースをくれる。以後、映画のなかでシカゴのマフィアが取る方法とまったく同じであることを知る。年貢というものを社会の授業で学び、その卑屈さと横暴さの両側にも不満をいだいたはずなのに。原価が安くても、やはり、行為として問題外の振る舞いである。

 これは悪童時代の記録であるべきなので、恥ずかしげもなく書くことにする。ぼくがおごった金額の見積もりはさらに減る。生き延びるために手にしたほとんどを無料で得たような錯覚すらあった。猛烈に恥ずかしい記録に最後はなってしまった。たった五百円のために。回収をあせったために。


悪童の書 ao

2014年09月18日 | 悪童の書
ao

 車を運転しない自分は、沖縄というところを旅する場合、同行者が必要になった。運転をいやがらないひとも多数いる。反対にアルコールの誘惑に常に負けていようと望むひともいる。両方を欲しがるひとも当然いた。

 肌色という画一的な名称の表現を無視しても、その空は限りなく空色であった。現地でレンタカーを借りる。最初はなかったが、二度目にはカーナビが運転席の視線の横に設置されていた。便利になった分、迷うこともなくなる。ひとは決まった予定調和の結末だけを求めているのでもない。思いがけない展開とどんでん返しも、ときには必須である。ときには必須? 矛盾の最たる表現である。話を戻す。旅も個人の未来も冒険の要素がわずかでも欲しい。その為にミステリー小説が読まれ、ヒッチコックの映画を観ることになった。とくに余裕があるときであれば。休暇をとって沖縄にいるぐらいだからぼくには余裕があった。三度目にはカーナビの質も悪く、うまいこと道に迷うこともできた。国道だけが道ではない。

 ミシュランのガイドにのらなくてもおいしいものはおいしいのだ。メニューも価格表もない。できそうな料理を訊き、待ち時間をたずねられる。交渉すら楽しい。一尾、煮付けられた魚が大皿に盛りつけられている。はじめて見る魚。ガイドからも、カーナビからももれる場所。少なくともこの時点では。旅の醍醐味のひとつである。

「ここだけは、絶対に外せない」という執念もある。有名な水族館。売り物の水槽のなかの平らな魚。それをきれいになぞるのも旅であった。エッフェル塔を見て、ブランドのバッグを買う。

 本は読めば忘れた。しかし、大きなどんでん返しだけは頭のなかで生きのこる。海ブドウの体内の浄化作用でトイレを行く先々で探している。どんでん返しなど必要ない。カーナビの機能にはトイレの場所のような詳細は含まれていなかった。

 こうしたことを繰り返すと、勘というのは鈍ってくるのだろうか。五感は磨かれない。ベトナムで負け戦を強いられるカリフォルニアの陽光あふれるハイウェーを颯爽と車で駆け抜ける若者。そんなことを考えながら、「グスク」という聞きなれないことばを口に出してみる。世界遺産に登録されても、風雪に耐えたのは、石を積み重ねた城壁だけだった。みな塵となる。

 冷静で、冷酷な記述を試みる。いっしょに行った友人はうつ病になる。うつ病の女性と交際して、感情移入をしてうつ病になる。そのぐらい優しい性質をもっているのだろう。独立を勝ち取るという名目のもと、ひとに接する際に充分、配慮をしている所為か優しさが欠如している自分の性格。対外的なものから守れた自分を誇りにする。

 ぼくは、この旅行で現地の「泡盛」のグラスを手にしている彼の姿の写真を撮る。

 ある日、彼はもうひとりの知人に自殺をすると告げて、失踪する。夜中に、ぼくの家にも電話がかかってくる。便りがないのは良い便りというのは真実の響きであった。警察が当人を探すのに手がかりが必要となり、写真の有無を訊かれる。ぼくはパソコンを立ち上げ、写真を探す。この逼迫した場面と不釣り合いだと思うが、楽しそうに手には泡盛の入ったグラスがつかまれている写真の顔がいちばん鮮明だ。ぼくはその一枚を選び、そして、もうひとりの知人の携帯電話にメールで送る。

 結局、見つかった。何日か経ってたっぷりと睡眠薬を投与されて自宅で寝ている。ぼくも傍らにいる。うつ病とうわさされる女性もいる。ぼくはおそるおそることばを選びながら発言する。しかし、どこかでふたりを傷つけることを避けられない。また、この場にいる自分のことも理解できないでいる。

 いつか、当然のように疎遠になる。ぼくらを縛っていた関係のもとを、ふたりとも断ち切っていた。そもそも幻想を信じていた。

 みな、ナビのない人生を歩んでいるのだ。厭世的な教訓にするならば。もちろん、そうする必要もまったくない。ぼくは彼が福島を旅したときに買いためた日本酒を、水のように無節操に飲む。ぼくが日本酒を飲めると発見したころのことだ。最初の日本酒体験から二十年ぐらいが経っている。安いコップ酒はそのぐらいの距離を置くのに役立ってくれた。最初も肝心である。また同時に終わりも肝心である。

 そうだ、彼とイタリアにも行ったのだ。彼と、あと、もうひとりは、地下鉄の混む車内でスリに遭いそうになっている。行動があやしいカップルを装っているふたりが身近にいた。他人事の自分は、「すられたら、のちのち、おいしいのにな、エピソードとして」と身勝手なことを言っている。

 エピソードが生きる糧である。ひとは会話をしても、そこには耳への到達の限度があり、人数の上限とも戦う。ここで書いて置けば、ある程度は永続性がのぞまれる。話し方の絶妙なるニュアンスは薄まってしまうか、消えてしまうが、記録するという方法には、テープより力を発揮するのかもしれない。

 ひとは運転する。それが生活の一部になっているひともいる。そこから見える風景もたしかにあるはずである。自分にとって歩行するぐらいのスピードが観察したり、思考したりするためには、ぴったりと合っている。後天的にそうなったのか、先天的にそうであったのかはもう判断できない。その見えた景色が、助手席もふくめてだが、この記述である。精神的な病いも、なるべくなら自分にふりかかってほしくない、との懇願の記録でもあった。看病も、また等しい居場所にいる。せめても、いてほしい。


悪童の書 an

2014年09月17日 | 悪童の書
an

 父はひとに威圧感を与える名人だった。達人の域に達していた。

 ぼくは架空の棺にむかって話しかけている。生前葬のように。個人的に。

 兄は車の免許を取り、最初の愛車を購入しようとしていた。質の良い中古車あたりを。あまり走っていない、乗りこなされていない座席を有した。ものを売るということは楽しいことなのかもしれない。そのことで自分の評価が増し、給料にわずかながらでも反映するならばとくに。

 この辺が当事者ではないので定かではないが、兄は支払をしているのだろうが、返済のローンの方法は父も関与していた。

 ひとりのセールスマンが来る。ねぎを背負っている鴨もここにいる。しかし、営業マンは段々と打ちのめされていく。簡単に売れるという空中に飛散しているひとつひとつの魔法の粉を、わが父はすべて真っ黒にしてしまう。最終的に、彼はうちの父が不在かどうかを確認してから訪れるようになる。あなたは売れば、もしくは最初の車検あたりできっぱりと縁が切れるのだろうが、ぼくらはずっとこの闇のなかで暮さねばならないのだ。建設的な会話の方法を学ぶこともできずに。

 父は怒り、子どもたちを叱責する際に最後に持ち出すことばは、「片輪にしてやろうか!」というものだった。野蛮な発言である。もちろん、そこまでされることもなく、途中でぼくは父に愛想を尽かす。十四才ごろの話だった。彼のテントから抜けたのである。それ以来、権威を見せびらかすひととぶつかり、そのことで後悔することもまったくない。

 評価がフェアではない。その期間に家族旅行も連れて行ってもらい、海水浴にも行った。手賀沼で釣りをしているときにも横の芝生でずっと眠っていたにせよ、同行してくれた。身長も平均以上になるぐらいに満腹にしてくれた。だが、あのやり方になじめなくなったのだ。ぼくは無口になるという方法を選択する。苦手な相手にはこれしかない。お互いの言い分があってこそ、判断は有効になるが、文字で後世にのこすという技術を選んだこのぼくには、いくらか判定が有利になり、持ち込む証拠も雄弁に働く。

 学校の成績もそこそこなのに、それを途中で簡単に投げ出したぼくにずっとむかっ腹をたててもいた。そのことで生き方に不利になった最たる人間は当人のぼくであり、父ではない。

 だが、この時期になる前までは、ぼくと兄は父の薄くなりつつ髪をからかったりもした。父も笑って、ぼくらの嘲笑も受け止めていた。

 友人たちが家の電話にかけてくる。愛想も悪い父で、対応も素っ気なく、すこぶる評判が悪い。電話かけるの厭になるんだけど……。何度もいう。あなたたちは三十秒ですむが、もっとぼくが家にいる滞在時間は長いのだ。もう捕虜に等しいのだ。友人とふざけているぼくらがいた個室の騒音に、朝型の勤務の父は眠れずイライラして怒鳴り込む。ぼくは面目も丸つぶれで、肩を外国人のようにすくめて、家から出た。もう夜中になるころである。

 フェアではない。年に二度あるボーナス時には数万円を渡され、不定期のお小遣いとして自由に使える恩恵にあずかった。それは退職までつづいたであろうが、最後には退職金のなかの百万円を手切れ金のようにあっさりとくれた。内密に母から二百万といわれていたはずなのに減額された事実が喜びを半減させた。実家のそばの銀行の支店で預金をして、なにをしたわけでもないのに生活費のために消えた。稼ぐということを最優先にできる生活環境にいなかったという言い訳もできるが、どちらが悪い父であり、悪い子であるのだろうか。正直であることが、ぼくの分を悪くする。

 悪童であった記述なので、ぼくは自分の欠点を披露すること自体が正しいことになる。

 逆に違う設定に自分を置くことにする。ぼくは仕事をしていて、先輩に父がいたら? 友人の家に遊びに行き、頑固な家族が出会わなかった父であるならば? なんと、気楽な人生になるんだろう。バラ色とも呼べた。

 時間がだいぶ経って実家に帰る。冷蔵庫に一本もビールがない。ぼくは自分用に酒屋に寄ってわざわざ買う。大酒のみの父はいくつかの手術の結果、酒を受け付けない身体になった。ぼくは、彼がこれを含めば「ハルク」という緑色の怪物になり得ることを知っていた。もう、なったとしても恐くないが、なることもできなくなった。

 威圧感のなれの果ては静かに二階の自室で寝ている。こわいものは、こわいままであってほしかったな、という願望もあるが、のこりの滞在期間も短い。飛行機の乗り換え時間のような待機しか与えておらず、あとは飛び去る飛行機に乗るだけであった。ぼくに喜怒哀楽のすべての思い出をつくってくれたひとであった。力をなくす過程など、見たくもなかった。幸い、別々に住み、知らないことも多くて済んでいる。

 仕事をして、家のローンを払って、病気が見つかる。三つのことしかする時間もない。その合間に、ひとに威圧感を無数に刻み込んだ。しかし、後楽園にも連れて行ってくれた。グローブも買ってくれた。クリーム・ソーダも飲ませてくれた。昭和の父というのは自分をアピールするのが下手だった。だから、印象も心象も悪くする。欠点が分量として多くなってしまったが、そのことさえ書いてくれるひとも一人もいなくなる時期が来る。是認を得ないまでも、勝手に書くぐらい許してくれるだろう。こちらも多大な迷惑をこうむった間柄として。同じ屋根の下に長い間、住んだだけの仲だとしても。


悪童の書 am

2014年09月16日 | 悪童の書
am

 閉店を間近にひかえたスーパーの店内のことである。

 何度も見たことのある無口そうなレジの店員は、明らかに金額を安く打ち間違えている。誤ってというより、意図と呼んだ方が正確だった。彼はつぶれる店のささいな利益を追求するより、自分の昇進の立場を確保するよりも、常連への便宜を図ることを選んだのだろう。それをコントロールできる立場にいて、その操作も実行もむずかしいものではなさそうだった。

 結局、彼はレシートをくれない。当初の金額と確実に不一致な紙を証拠としてのこしたくないのだろう。ぼくは要求もせず、品物だけが入った袋をぶら提げて帰る。この彼も、やはり悪童なのか?

 再開をのぞんだ店も、前のドラッグ・ストアが移動して売り場面積も広くなり、そのまた空いた敷地にはコンビニエンス・ストアが入った。目の前には別系列の店舗があったにもかかわらず。

「すいません、並んでもらっていいですか?」

 コンビニエンス・ストアで日々くりかえされるアナウンスである。はじめて来るひとが従えるような完全なシステムはないものかとぼくはきちんと先頭に立って考えている。

「あ、そう。後ろいる?」

 明らかに風体の悪い輩である。そういう土地なのだ。高級スーパーに集う美容院帰りのマダムが多い店ではない。しかし、彼はひとりごとか、店員にいったのだろうとぼくは勝手に解釈している。しかし、ぼくの横を通り過ぎる際に、「返事もしねえ奴なんだな!」聞こえるか、聞こえない程度の微妙な音量で凄みを利かせて彼はささやく。口げんかがキライな自分でもない。しかし、ほぼ毎日、ぼくはこの店に来なければならない。悶着を起こして、来づらくなるのはぼくの日常の生活の為にならない。メリットもまったくなし。だが、これも逃げの口上である。そして、明日も別の架空の列がつくられていくのだ。

 一台のパソコンを買って、その操作を覚えたことによって、都内のあちらこちらで働けることになった。あの日が、独立記念日だったのだろう。国交があれば、よその国にも行ける。貿易もできる。購入を決意して重い荷物を運んだ正確な日付もまったく覚えていないのだが。あの重さの移動によって、野蛮な地域の兄ちゃんのままであることも避けられた。エアコンのきいた室内で大汗をかくこともなく済ませている。手先とわずかな頭脳だけで仕事はすすむ。春に種をまき、秋に収穫という長いスパンも消えた。その代わりに、スピードという別の刃に苦しまされることもある。メールという便利なものの恩恵にもあずかっている。結果、生身の触れ合いが減ったとしても損はなく、その損の分量は、あのおじさんの小さな声の恫喝だけである。

 パソコンを動かす原動力となるシステムは数年ごとに鞍替えする。XPというものが長い間、普及していた。みなが、安定して使いやすいのが最大の理由だろう。真理というものを知る。皮肉的に。次に準備している9と仮りの名がついて試作されているものを、サポートが終わったXPをそのまま再利用したらいいのにという意見があった。未来は過去より劣っている。そして、慣れ親しんだものがいちばんであるという真理も別方向から攻め上がってくる。

 ソロバンもいらない。レジとバーコードを一先ず信頼する世界になった。店員はそれを逆手にとる。宇宙の星々の運航を変える。

 あの素朴な味のむかしながらのラーメンを望む口と舌もある。改良というのは信頼に値しない場合も多かった。

 しかし、ネット上の地図は気転がきいた。手元の端末で迷うというかすかな焦りすら手放すことになってしまった。文房具も購入すれば、翌日、見知らぬ制服姿の誰かが運んでくれる。花でさえ、配達してくれる。株券という生身の存在もうやむやになった。生きている人間は直接に、なにに手を下したらよいのだろうか。どれで手を汚すべきなのか。

 資格でもあればさらに自分の遊泳範囲はひろまっていくのだろう。そこまで実態の可動範囲をひろげることを拒む。

 スーパーはほとんど売り尽くし、ものがもうない。あったとしても安い値札に貼り替わっている。数日後には内装の工事のひとが入っていた。壁や天井はより見栄えがあるようにドラッグ・ストアにふさわしい清潔感がただよう色になっていた。電気のワット数も増えたような気がする。仕事帰りに安くなった惣菜や生鮮品を買うチャンスが減った。古い地図はこの店の名称がまだのこっていたりする。

 ぼくになされた善でも、ある面からみれば害だった。大っぴらにならない程度の悪だった。この基準は誰がどこで決めると、きっちりとなるのか。投資というのは損失と違うのか。ペンキを塗り替える費用は回収できるのか。どれぐらいの医薬品や、シャンプーであたまを洗えば利益に転換できるのだろうか。計画を立て、実質としての結果がでる。その間に社員の給料がある。どちらかといえば彼は会社や組織より、ぼくに得となるよう働いてくれた。小さな謀反である。浮気されたから、浮気しかえすという理不尽な理屈があった。自分の身体は、利益を生み出すものなのか、提供するに値するのか、損失を穴埋めするものなのか分からなくなる。形状的には穴埋めに近いような気もする。