爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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悪童の書 ay

2014年09月28日 | 悪童の書
ay

 ふたつのイスの物語。

 あれは年末だったのだろうか。小さなオフィスが部屋の中の家具を表にだし、大掃除をしていた。不思議なデザインのイスがあった。粗大ゴミかもしれない。もとに戻すのかもしれない。ぼくの部屋にはイスがない。友人と担ぎ上げ、部屋まで運ぶ。重さを苦にしない若さがあった。

 その後、きちんとすわることもなく、脱ぎ捨てた衣類の一時置き場になる。そもそも机もないのだ。壁に向かってこの友人からもらった小さなレコード・プレーヤーと、これまた小さなスピーカーを置いた。もうレコードの時代は去ったのに、回顧という意味合いもほとんど知らずに、好奇心だけがぼくを引っ張った。夜中の風呂上りに一リットルの牛乳をパックのまま飲んだ。身体を適度に鍛え、ブルー・ノートのレコードを購入した。デザインというものにも興味を示し、音と同等の価値を古いジャズに認めた。

 仕事もせずにぶらぶらしていた自分を伯母は函館の旅行に誘ってくれた。寝台車に一夜揺られ、朝には北海道に着いた。夜景を見て、坂道を歩き、珍しいレコードをここでも買った。角張った荷物ができる。またもや窮屈な寝台車で過ごす。理由があって近所に住みはじめたこの伯母からジャンパーももらった。だが、いまはレコードもこの上着もない。お金がないときに売ってしまい、一時しのぎの金銭と化した。

 では、自分はなにをしていたのだろう。文庫本と、缶コーヒーが飲めるぐらいの小銭をもって、陽のあたる静かな公園で午後を過ごした。あるいは区の図書館で山ほどの本を読んだ。どの本にも借りたひとがいて、風化していながらも手垢らしきものがあった。自分は賢くならなければいけなかった。だが願いとは裏腹に、ひとにそう思われることは絶対に避け、意味もなく重いイスを運んだ。

 しかし、こうして何にもならなかった自分だけが取り残されている。

 引っ越すときに大きなレコードラックを二つ買った。中味は多少、入れ替わった。いつか自分の持ち物を在庫ゼロという状態にしなければいけないので、売るかゴミとして処分するかしか方法がないが、まだまだ愛着もあるのでためらっている。ぼくにとって、それだけ大切なものもある。

 イスをいっしょに担いだ友人は、大人に成りつつある過程で、やっと本来の美しさに見合った視線を向けられる少し大人びた同級生とデートすることになった。ぼくらは、プラトニックとストイックであることを継続できない年代になっている。子どもっぽさとも、おさらばなのだ。

「で?」ぼくの関心。デート後の。
「え?」
「それで?」ぼくの薄汚い興味。「分かるでしょう?」
「何も、ないよ」
「え? 純然たるデート?」
「そうだよ」

 ぼくは友人とふたりっきりではなく、夜も更け、仲間たちが増えると、まわりにこの臆病さを非難する。丸腰ではなく、銃をもちながらも弾丸を使う気もない友人のことを。そして、みなの賛同を得る。図書館の本を読み尽くそうと、健気な努力を成し遂げようと視力をダメにしているぼくがである。

 辞書がある。このプラトニックの語源にはプラトンがいるそうである。哲学というのは多くのひとにとって不必要でもある。だが、考えるひとは考えるのだ。目的としても結論としても考えるのだ。考えると便利になる場合もある。便利にするために、いろいろな用途の道具がある。また用途以外に使ってしまうこともある。ある女性は子どもでもないのに、おもちゃがほしいと言ってうるさかった。いっしょに秋葉原あたりに買いに行こうと促されるが、それは反面、ぼくのテクニックとサービスの不足の問題でもあった。プラトンもソクラテスもこんな問題で悩まされる人類のひとりを思い浮かべることができただろうか。ある用途の話でもある。

 イスにも用途がある。柔らかいすわり心地を目指したもの。デザインに優れたもの。友人たちといつものように夜の町を歩いている。深夜のファミリー・レストランがぼくらの広間であり、ときには作戦会議場にもなった。そこからの帰り道である。不思議な物体を目にする。なぜそこに? 明確な答えももちろんないが、視線の先に、大人の店、子どもが入れない銭湯にしかないはずの金色で、真ん中にある程度の溝があるイスがゴミ捨て場に置いてあった。そのまま放置しておけば、翌日の朝には消えるものである。ひとの目にも触れない。特別に、早起きでもしない限り。ぼくらは、それをどうにかしなければならない。プラトンでなくても頭は考えるためにあるのだ。

 ぼくらは、またもや運ぶ。ある中学校があった。塀を飛び越え、その金色に輝くイスを校庭の真ん中に置く。校庭の中心で愛らしきものを叫ぶ。ぼくらは脳みそが足りないひとのように騒ぎながら、またもや塀を駆け上がる。翌日の朝、どんな未来があったのか想像する。結末は分からない。ただ、その頃には、太陽があがる公園か図書館で本を読んでいるはずだ。または、どこかのレコード屋で流通の乏しい黒い円盤を探しているのだろう。何にもならなかった男。だが、笑えることは少しぐらいはあった。こんな風に。