爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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「考えることをやめられない頭」(13)

2006年09月20日 | 作品5
「考えることをやめられない頭」(13)

 巷での夏休みを直前に控え、暑くなる前に履歴書を郵便でやりとりし、日光のホテルで働くことになった。その日になって地元から数駅で電車を乗り換え、あとは段々と停まる駅が少ないものに乗り継ぎつつ目的地に向かう。風景は、徐々に緑色の率が増えていく。その分、期待も高まっていく。本も手にしていたはずだが、そのような心の状況では、あまり理解もできないだろう。そして到着。小学校の林間学校以来のその場所。
 駅前には、どこも似たような観光地のお土産屋がある。今回は、そうしたものには見向きもしない。
 なぜ、そこを選んだのだろう。分からないが自然の雄大さを理解するには、東京から近いこともありながら、その割りに自然度にはまっていくメリットが多いからだろうか。だが、本当のことは分からない。ただ旅行をするだけでは見えてこないものを、掴みたいのか。
 駅で、ガイドになるようなものを探したが見つからず、結局バス会社のカウンターで相談し、その場所に行く路線バスのチケットを買った。そこに乗り込み、あとは身を任せるだけ。とうとう東京を離れたのだ。とにかく、うるさい関係性を絶ったのだ。だが、人間関係はどこでも繋がらなければならない。まばらなバスの中で運転手と話す。その日は雨が降っていた。日本特有の霧雨なのか。大して降っていないような感じはするが、いつのまにか服がしっとり濡れていくような。
「そこのホテルで働くんですよ」
 どこで、降りたらいいのか訊いたときに、運転手はぼくを旅行者とでも思ったのか、質問したときの答え。
「そう、良かったね」と愛着のある笑顔で運転手は言った。
 バスは揺られる。前に見たときのあるような眺め。赤い橋。そのきれいな欄干。風流な名前のついているバス停たち。
 さらに急な坂を登り始め、右に左に車体は傾いた。同じように自分のこころもいくらか動揺した。バスは、きれいな湖の横を通り、よりいっそう険しい道に入っていきそうな気がしたが、特別そのようなこともなく、安定性のある運転を続けた。
 バスは、目的地の前まで行くコースと、そこまで入らない大通り止まりのコースがあったが、ぼくの乗っていたのは、前までは運んではくれなかった。途中でも乗客はあまり乗らず、少ない乗客のまま、そのバスから降りしなに、「じゃあ、頑張ってな」と優しく、なおかつ威勢のいい掛け声を後ろに浴び、運転手とも別れた。不思議なひとときだ。
 そこから、10分前後の舗装はされているが、森のような中を歩いた。風景が変わらない所為か、こころもち長く感じる。でも、高原特有の、静かなきれいな、ちょっと湿っぽい空気が流れている。左右を見回しても、人工的なものは少なくなり、そのためか自分をちっぽけな存在と感じる。いくら勉強したって頭の中の問答ではなく、こうした適切な環境に入れば、役に立つことと、また無駄なことの判別がつくような気もする。
 地図もなく、標識もなく、ただ運転手から聞いた、まっすぐに道沿いに歩くことという言葉だけを信用し、向かっていくとやっとホテルらしきものが目の中に入ってきた。その前には、牧場があり雨の降っているせいなのか数頭の牛が、ひっそりといるだけだった。彼らの現状を甘んじている態度だけが目立った。
 ホテルの正面にいる。ホテル名を見る。そうだ、ここだ。だが、間違えようもない。数件が並んでいるようなところでもなかった。ただ、大きい建物だったが、この地域の忘れ物のような印象もあった。まだ、駐車場にも、そう車は多くなかった。
 傘をたたみ、ロビーに入る。カウンターに向かう。従業員が2名いた。両方とも男性で、ここら辺りの出身の顔つきをしていた。地元の採用が多いのだろうか。とりあえず一月ちょっとの約束だし、適当に環境にも馴れ、すこしばかり金をためて帰ろうと思っていた。そんな自分には、彼らと関係を作っていくのか、違うのかも分かるはずもなかった。
 用件を言い、きちんと話は通じているのか心配したが、ほんの少し待ち、そして裏から呼び出されたのは、カウンターに立っている者より、もう少し年配の男性が出てきて、こちらの用件を理解した。

「考えることをやめられない頭」(12)

2006年09月13日 | 作品5
「考えることをやめられない頭」(12)

 バイトをしては、やめての繰り返しで食いつなぎ、それでも親元にいたので、今までなんとかなった。そのことがいい加減、父親の目に余るようになっていき、きちんと就職するように強要された。父親は、倒産しないような会社に勤めていた。あの頃は、倒産とかリストラとか、あまり現実味を帯びた恐怖でもなかったような時代だが。
 自分は、この世の中でなんとかなるような存在だと思っていた。ある日、なにかのきっかけで、誰かの目に留まり、ちょっとした幸運をブレンドすれば、新しい未来が予想されるような気でもいた。すべてが、人任せのような、手を汚さない幸運でもあった訳だが、もちろん、そう望み通りに性急に訪れないのが、幸運の正体かもしれない。
 なんとか、すり抜けるように誤魔化していたが、ようやく決心して、就職試験をうけようとも思った。コネもあるし、そこそこの点数と面接をクリアすれば、合格だと思っていたので、もう開放的な青春期に、きっぱりと別れを告げる時期が来たとも思っていた。そこまで、あきらめの状態に、たどり着くのにも簡単ではない、さまざまな内なる声と格闘した。もしかして、文章を書いて生活をするとか、発行部数の少ない雑誌の片隅にでもある、人にも読まれない記事でも書くような、プライドの持てないような仕事でも、回ってこないかなとも、こころのどこかで考えたりもした。しかし、実行されないのが、空想の決まった形。
 そして、その日が迫ってきた。早めに起きて、ある程度、きちんとした服装をして出掛けた。まあまあの筆記テストと、面接はあったのだろうか? もう思い出せずにいる。空いた腹を道連れにして、そこを出た。清々したと同時に、きちんと会社勤めだというある種の暗い気持ちも抱く。それを解くように、帰りにCDショップに寄り、エリック・ドルフィーのアルバムを買う。
 家に帰って、それを聴くと、やはり心底から力のある芸術って、人を変えてしまうような力を有している。自分の、潜在的な力を信じること。思っていることを実現させることに、意識を集中させたくなる。
 それから、何日ぐらい経ってからのことだろう? その試験に自分は全力を出したつもりで、親のコネもあったし、受からないことなどは、考えてもみなかったのだが、実際の結論は落ちていた。そのことに、自分でも、逆にショックだった。さまざまなことを投げ出しての決意だったのに。
 その気持ちを知らない父は、自分が適当な気持ちで、よりいい加減な力でテストを受けていたとも思っていた。普段は、温厚な静かな父だが、酔うとそのことを持ち出し、自分のことをチクチク責めた。もちろん、大人になっている自分はそのことに対して正当な責め方だと認めざるを得ないが、若い自分は腹立たしさのあまり、口も閉ざしたし、それ以上にこころの奥を完全に閉ざした。そうした二人が同じ家に住んでいて楽しいわけもなく、ぎくしゃくした関係は、かなり長く続く。それでも、心を正直に音に乗せたジャズなどを聴くと、いくぶん救われた気持ちになる。
 あの頃の自分は、一体なにになりたかったのだろう? 大向こうの反抗ではなく、いつもささやかな抵抗。負けることがわかっていながらの地下からのレジスタンス。
 気分をひっくり返すほどの圧倒的な楽しみもなく、それでもいろいろ学びたいことはたくさんあった。仕事の合間に、その限られた小さな時間に、ひとは楽しみを見つけ、費やし、育んでいるのかもしれない。だが、自分はそれでは嫌だった。もっと、多くの時間を、もっと多くのレコードを耳にしたり、読んだり心を豊かにさせる時間がほしかった。
 でも、ある時期の日本という経済的に繁栄させた世の中に住んでいる人間だけが許されたことかもしれない。今日一日のパンのため、あくせく努力している国々だって大勢あるだろう。
 自分のちからを信じたかった。自分の天分を伸ばしたかった。もっと簡単にいうと歴史に自分という存在がいたことを、かすかでも残したかっただけなのかもしれない。
 その、他者との違いを、自分でも不安視していたのに、他の人が分かるはずもなく、一緒に住む家族にももっと理解されるはずもなく、家からも、周りからも、世界からも、一員として認められていないような気がしてきた。
 ある日、またもやつまらない説教をきかされ、過去の失敗を蒸し返され、自分も虫の居所が悪かった所為か、この場所から逃げ出そうと思った。多少、金を稼ぐには、ちょっと離れたところで働いてもいいかなと考えた。この辺が潮時だ。

「考えることをやめられない頭」(11)

2006年09月08日 | 作品5
「考えることをやめられない頭」(11)

 過去のわだかまりが気になり、それを一つでも解消したいと思っていた。その一番大きかった原因が溶けていく角砂糖のように、形ちを失っていく。
 あさ、目覚めて最初に思い浮かぶことが、その人の信仰である、と言った人は誰だったろう。再び彼女を取り戻そうとしている自分が眼を覚まして思い出すことといったら、まず彼女の顔だった。そして、街中でも似ている髪形の女性や同じサイズの背中を自然と探す。
 また、電話の前で時を過ごすようになる。そして、会うようにもなる。別れることが、切なくなることもある。たまに彼女の家に寄った。小さかったがきれいに片付いている、井の頭線で数駅のアパートだった。
 だが、こうなれば上手く行くはずだと、頭の中で何回もイメージした事柄が、実際そのような状況に自分の身を置いてみると、しっくりいっていないことに気付く。気付かないように何度も、その気持ちを打ち消したが、以前に彼女と過ごした魔法のような瞬間が消えていきはじめていることを、ある日、動かない事実として、目の前に提出された。前には考えられなかったことだが、些細なことで喧嘩した。謝る回数もめっきり減った。彼女からも、自分のこころから素直に謝罪したり、不快な隙間があることにに後悔したり、それを埋め合わせることもなくなっていった。
 そういうことが何度も続き、結局、二人は距離を置くことになる。冷静になったら、またやり直そうよ、という軽い感じで。それから、電話の回数も減り、会うこともそれ以上になくなり、朝起きて、彼女の存在を真っ先に念頭に置いたり、最前列に並べたりすることも消滅した。
 会わないでいたときの方が、どんなに好きだっただろうか。彼女を苦しめたかもしれないと、反省していたときの方が、どんなに大切に思っていただろうか。
 もっと若いとき、世の中には選択の問題などありえないと考えていた。すべては、運命の扉を開く、イスラエルの預言者のように海も割れるような気がした。しかし、今の自分はすべてに戸惑っている。
 連絡も取り合わなくなって一ヶ月ほど経ち、手紙が来た。今まで、また会ってからも含めて、とても楽しかった、と書いてあった。そのフレーズが、この関係を過去のものにしようとしている具体的な証拠に見えた。そして、彼女がいなくなった。こころの空洞は、また一つかわりに増えた。
 物事を失っていく人たちに興味を持っていく。また、それを克服しようとしている人々には、さらに憧憬の思いを抱く。肉体的なハンディ・キャップをものともしないスポーツ選手。理想的な仲間と別れてしまった人。
 ジャズ・ドラマーのマックス・ローチという人。天才的なトランペット奏者と堅実なピアニストの二人のメンバーを車の事故でなくし、バンドも解散してしまった。
 マーヴィン・ゲイというシンガー。パーフェクトな関係だった女性歌手とのデュエットを、やはり女性が亡くなったため解散してしまった。そうしたことに感情移入しないわけにはいかなくなってしまった。
 だが、こころのどこかで再生しなければと必死に願う。このまま、ずるずるとその痛みを引きずって生きていくには、あまりにも人生の先は長すぎる。
 彼女からの手紙を捨て、残っていた写真も燃やしてしまった。その行為が、すべての解決の糸口のようにして挑んでみたが、そう簡単にこころの荷物などなくなるわけでもなかった。
 彼女とまた会った秋の初めから、冬になり、よく風邪をひくようになった。上手く行かなかったことを何度も頭の中でリピートをしては、自分で採点した。そして、そのことはいつも合格点を与えられず、進級できない学生のように、ある日、見かけより年寄りくさくした。
 頭の中から追いやれず、それでも時間だけは過ぎ、木々も芽生え春が近づいていった。もうあまり悩みたくないとも思っていた。だが、こうした頭や思いの巡りは、生まれつきなのかもしれないと、なかば明るい思考を発展させることは不可能だとあきらめかけてきている。
 ニューヨークのユダヤ人。とくにマラマッドなどに興味をひかれるのは、時間の問題だったのだろうか。選択を信じているのか? 運命の扉が開くのを待ち望んでいるのだろうか? もうあまり人生に期待しなくなっていた。その代償としての喪失に嫌気がさしてきた。

「考えることをやめられない頭」(10)

2006年09月05日 | 作品5
「考えることをやめられない頭」(10)

 地下鉄の階段をあがる。段々と空の色と暖かさと風の匂いが近づいていった。時間通りに着いた。数年ぶりに会う女性。ずっとこの日を待って過ごしてきたのかもしれない。そして、こんな日がくるなんて想像もしていなかった。
 待ち合わせの場所に彼女らしい人の影がある。視力のあまり良くない自分は、その姿に確証をもてなかったが、それでも胃の奥がなにかにつかまれたような感じになる。
 さらに歩いていく。その女性が彼女であることが確実になっていく。もう逃げも隠れも出来ない。もちろん、したくもないが。
「ほんとに来てくれたんだ」彼女の第一声。
「そりゃ、来るよ。約束したんだもん」
 彼女は、きれいな黄色のスカートを穿いていた。足は、まったく陽にやけていなかった。
「午後遅くとかも予定ないよね?」彼女は、心配そうにきいた。
「うん、ずっと時間はあるよ」会えないことを当然のように考えていた自分。その彼女が隣にいて、直ぐ髪や肩がそばにあり、ちょっと狭い道を歩くと自然と触れた。
 ある喫茶店に入った。以前のような関係になんとなく戻れそうな予感もしたし、実際にすこしそうなった。
「元気にしてた?」
「まあ、普通だよ。あれ以降、どうしてたの?」
「うん」そこで、時間が空く。何かを考えている彼女の横顔。「あの時は、ごめんね。お兄ちゃんが」
「全然。平気だよ」
「気になるでしょう、ここ」
 彼女が手首の内側を見せる。ぼくの視線が気になったのかもしれない。
「まあ、そりゃあ。大丈夫なの」
「これだよ、分かんないでしょう」
 彼女の手首にほんの小さなかすり傷のような跡が残っている。心配していたほどの痕跡はなかった。でも、女性だし、若かったし。
「うん、と言っていいのかな。よかったよ、余り目立たなくて。でも、いろいろごめん」
 そこを出て、まだ古いアパートの建っていた街路を並んで歩いた。わだかまりが消えていく。そこからは冗談などを言い合い、たくさん笑いあった。その声と笑顔をみると、こころが晴ればれした
 大きなデパートに入り、自分の使えそうな最大限の金額で、彼女に時計をプレゼントする。箱だけ袋に入れてもらい、せっかちにも彼女にその場でつけてもらった。その赤いバンドが、彼女の傷を隠した。これで、すべてが終わったと思った。
 彼女は、一人で住み始め、兄も会社の都合で地方で働いていた。なので、これからはいくらか自由になったと言った。
 夜になり、静かな地下の店で少しお酒を飲んだ。彼女と離れていた時期などなかったかのように、振舞えた。昨日も会っていたかのように、お互いがそばにいることが自然に思えた。
 寒くなってきた空気に入れ替わり、彼女は軽く身体を縮こめた。信号が赤で、人が大勢並んで待っている。そのたくさんの人々の中で自分ほど、幸福感を抱いている人間は、ここにいるのだろうかと空想する。答えは分からないが、多分ノーに近いのだろう。
 彼女は、駅に向かう。見送る自分。
「また電話するね。いい?」
「うん、もちろんだよ」
 幸福は、考える頭脳を中断させてしまうのか? それも恐いと考える。しかし、彼女を失いたくもない。当然のように、自分には、あれからの救済が必要だった。そして、目の前まで、それが訪れていた。誰かが、誰かを失う話。大切な誰かと、もう一度めぐり合う話。
 電車に乗った。今日の彼女を思い出す。隣に座るうるさいヘッドホンの兄ちゃんも今日は許そうと思った。

「考えることをやめられない頭」(9)

2006年09月02日 | 作品5
「考えることをやめられない頭」(9)

 服の買い方を覚えていく。もちろん、そんな難しいことも、また動機もないが。生きていくために必要以上の洋服を買う。それが、文化ということかもしれない。
 友達と街中を歩いていた。すれ違った子のことを評して、
「あの子可愛くない?」
 と自分は、言ったが、隣の友達は、その女性の服装のことをとやかく言った。ああ、そうなのか。そういうことも普通に判断にいれているのか。通常のことなのか。難しい世の中になってしまった。
 という自分も、きれいな服に包まれていると気分が良かったりする。その服と、きれいな街と、美しいハイヒールの音が隣に一緒にあり、歩いていたりすると、さらによりいっそう気持ちも高揚したりする。
 だが、ある程度の年齢までは、スーツも持っていなかった。着たいとも思っていなかった。友人たちは、多分、自分はそこにいないので憶測だが、成人式などに着るのだろう。自分は、やはり世の中から、少しずれていたかった。
 一時期は、ジーンズとTシャツしか着なかった。夏になれば、ボーダーのシャツも着たりした。しかし、シンプルなスポンジの上にきれいにデコレーションされたケーキのように、シャツやズボンや靴に凝っていったりする。服装は、やはり少し奇抜になっていくところが、ファッション的だったりする。冒険のないところに、満足も宿らない。
 大事なスニーカーだが玄関に脱ぎ捨てていると、まだ幼かった犬が遊び道具にして、靴紐を噛んでいた。それ以来、きちんと手の届かない下駄箱に入れたりもした。おしゃれの敵は、動物なのか。
 眼鏡もかける。まだあの頃は、そんなに視力も劣っていなくて、度はひつようなかったが、印象が変わればということで、たまにかけた。気にいった俳優の写真を切り抜き手に持って、美容院に通いだす。床屋とは、おさらばだ。その丁寧な仕事ぶりの美容師は、子供心にも採算を度外視しているな、とこちらで気付いたら、そんなに間もなく閉店してしまった。理想的な美容師を探すのも、困難なものの一つだ。
 薄着になる頃を迎える前は、丹念にウエート・トレーニングにも精を出した。学生時代に鍛えたこともあり、そんなに努力しなくても筋肉はすぐについた。夏の芝生の上で、上半身裸になり、やいたりもする。服装とは直接に関係あるかは、わからない。だが、きっとカラー・コーディネートの意味もふくめて関連性はあるだろう。
 古着に凝った時期もある。まだ、あの頃は、ヴィンテージのジーンズもそんなに値を張ることもなく、程度のよいものも手頃な値段で買えた。それを無造作に履きこなした。憧れは、古いアメリカだったりもした。‘50年代の消費社会への羨望と憧れの眼差し。
 その代表が、「アメリカン・グラフィティー」だろうか。青春期。一時の迷いとあせりの日々。誰かに、服装のセンスをさげすまれることに過度に怯えたりもした。
 だが、段々とCDや本にお金をかけていくようになって、ある種の無頓着さがつきまとうようになる。それも仕方がないだろう。
 あの頃は、毎週のように渋谷に通った。原宿の裏のほうに、古着屋をみつけて店内の古びたにおいに包まれ、品物を探した日々。
 もっと、写真でも撮っておけばよかったかも。でも、それはいま考えること。しかし、情熱を傾ければ、その証拠として、すこしだけ財産が残る。品物という形あるものだけではなく、カラーのつながり。色の選び具合。
 東急ハンズで大きな鏡を買った。それに映すと現在が良く分かる。そんな時に、「ビギナーズ」という映画を見た。部屋の中にも、居心地の良い場所を作り出そうと思っている。
 アンティークの時計を買い、それで眼をさます。
 お気に入りのジーンズをはいて、地下鉄に乗り、表参道にむかう。ポケットには、アメリカのミステリー小説。安心感をまったく持つことのないコーネル・ウーリッチ。時間は、あっという間に過ぎる。もう少し先を読み進めたいが、到着してしまう。
 昨日の夜、電話がかかってきた。家族にそのことを伝えられて、電話に出た。その声。かぼそいが聞きなれた声。しばらくぶりの言葉。