爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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悪童の書 af

2014年09月09日 | 悪童の書
af

 伯父は酔うと直ぐに寝た。母の兄である。

 まだ一口も、アルコール類を口に含んでいない自分にとって成分を司る要素としてもともと誘引するなにかがあるのかと想像された。しかし、父は別の反応を示した。中世の城に幽閉されている暴虐なひとが放たれた様子をときに見せた。だから、大柄な身体をたたみの上に横たわらせて、いくら邪魔だったとしても憎むことはできなかった。

 母とその伯父は、いちばん上と、いちばん下の子であった。その為に、兄と妹というより師弟という関係性をぼくに植え付けた。途中に生まれたであろう兄弟たちは、ごっそりといなかった。戦争なのか病気なのか具体的な理由はしらない。最初からいないので問い質しもしない。おそらく今後もしないのだろう。疑問に感じるとっかかりが、そもそもなかった。

 このひとは大工でもあった。子どものときに出席した自分の長男の結婚式に、ハッピ姿の一団がいて、ぼくを心底、困惑させる。だが、誰も違和感をおぼえていないらしい。そういうものだ、という雰囲気であたたかに見守っていた。ぼくは礼儀や格式を重んじ、杓子定規になりたがる自分を発見する。そして、後世、そういうものをひとつひとつ壊したがる自分も破れかぶれに発見する。

 十才ぐらいから住んだ家もこのひとが建てた。夏は暑く、冬は寒いという普通の東京の外れの家である。だが、「結露しない」ということを唯一の住宅の判断の基準とすれば、ここは見事な家屋だった。もちろん、一円も住宅ローンを払っていない自分が口を挟む問題でもなく、禁じるべき、慎むべき発言だった。だが、ここでぼくは思春期の思い出をたくさん作る。

 このひとはPTAの会長のような役目も負っていた。ある日、その学校にいた校長先生がぼくのいる学校に赴任してきた。普通の生徒が足を踏み入れない校長室に、悪いことを一切しなかった(たまにはする。ひとよりいくらか多い程度に)自分は呼ばれる。彼は伯父の様子を訊きたがったが、ぼくはもう一年に一度も会わなかったので、答えようもない。校長はがっかりして、しっくりいかなかった時間からぼくは解放される。こういう機会がこれ以降も数度あった。友人たちは、なぜ、ぼくが目をかけられ、わざわざ部屋に招き入れられているのか明確な理由を訊きたがった。ぼくは、何度かは説明したが、それから訊くひとの範囲も増えると面倒になり、あいまいなままにしておいた。だが、ぼくは怒られてもいない。

 狭い世界だ。

 さらに、ぼくという若いオス犬は、伯父のことなど意識して追い駆けるわけもなく、別の種類の匂いに鼻先は誘われる。これは、また別の話だ。

 もっと、狭い世界になる。

 この学校にいた音楽の教師は母のことも教えていたらしい。すると、三十年近くも教師をしていたことになる。十五才以下の少女のその後の姿など悪夢以外のなにものでもないと思う。悪夢は家に着くと、料理をしていた。有能なる、腹を減らした数人のためのコックになっていた。深い井戸を必死に埋めるように、彼女はぼくらの腹にものを放り込んだ。

 ぼくはずっと学校で教える範囲内の音楽に親しめないでいた。アルト・リコーダーですでに挫折も経験していた。大風呂敷をひろげれば、ジャンゴ・ラインハルトもセロニアス・モンクも教えないで何が音楽だろうと思う。そういう態度でいる自分に与えられた評価は「1」という過酷で手厳しいものである。このわたしが、その後のある一時期、音楽のCDのコレクターになり、いまでも音楽データのコレクターであった。音楽の楽しみは自力で会得した。もちろん、すべての教育の過程を学校に委ねることなどできない。

 伯父は目を覚ますと、競馬をテレビで見ていた。そして、ぼくに騎手になれとすすめる。自分でも子どもが三人もいながら、近所の子も可愛がっていた。その可愛がり方が少し乱暴だなと思っている。そのぼくにも、うちの子になれ、と無心に誘った。ぼくは両親との永久の別れを想像し、さらに騎手になるには身体を大きくしてはいけない、という難しいアドバイスを守れるかどうかを考える。身体など日に日に大きくなってしまうものである。ぼくの意図は加味されないだろう。

 ぼくはこの家に泊まる。ほんとうの両親は家に帰っている。風呂がなかったので銭湯に行った。そこが休みだと別の銭湯に向かった。

 後日、ハッピ姿の結婚式にいた長男の花嫁はクイズ番組に出ていた。父が、この子だよな? という顔をしている。うろ覚えだが、若くして引退した大歌手の遠い遠い親戚のひとがそこにいたらしい。その大歌手と似た容貌の若い女性もいたように思うが、もうすべてが闇である。家はささいなリフォームをしながら、三十年以上も建っていることになる。立派なものである。我が脳の方こそ、リフォームや手入れが必要そうであった。ぼくも遺伝の影響なのか、酒が入れば眠くもなるし、ときには荒々しくもなった。髪の質は伯父の白髪を、どういうルートか定かではないが受け継いだようである。実の父も祖父も大威張りできるような頭を有していないが、ぼくの兄も弟もこの近道をどうにか切り抜け、絶ったらしい。これも現時点でという不確かなものに過ぎない。伯父の家にあった使い込まれたちゃぶ台のように簡単に折りたためて、すき間に仕舞いこまれるのが、力のないひとりずつの人間であった。何かをコレクションし、何かを建てたとしても、すべてがほこりと塵に埋もれてしまうものだった。