爪の先まで神経細やか

物語の連鎖
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問題の在処(10)

2008年10月13日 | 問題の在処
問題の在処(10)

 家に帰ると、広げた新聞紙の上に虫かごがのっている。なかで、なにやら動く気配がした。覗くことはしなかったが、息子が大切にするのだろう。そこに閉じ込めてしまえば、寿命などそう長くないことなど、まだ知らないのかもしれない。

 A君はすでに社会に出ていた。出ていたといえば格好もつくかもしれないが、閉じ込められていたとも言えるのかもしれない。

 A君とは週末に会うことも多かったが、仕事がら日曜を休むという訳にもいかず、それでも若いので睡眠時間を減らせばなんとかなったが、だんだんと昔みたいに会う機会も減り、疎遠になっていく予兆のようなものがあった。そのようなときには、ひとりだけ違う服装、スーツにネクタイ姿であることもあった。ぼくらは、だらしのない普段着でいた。そこの線には、越えられない何かがあった。溝とでも名付けられるかもしれない。彼にしてみれば、ぼくらの会話が子供じみていると感じることもあっただろう。しかし、そんな素振りは、一切表面には出さなかった。

 ぼくは、みずきと多くの時間を過ごした。彼女といて、飽きるということがなかった。しかし、彼女が過ごした幼少期と、自分のそれとでは違ったものも、当然ながらあった。その差異を、ぼくは楽しんでいた。

 みずきは、本人には言わなかったが、A君のことを心配していた。自分の父の勧めで会社に入ったこともあるが、それよりも自然の優しさが、彼女を覆っていた。その点が、ぼくが好きになっていくことを深めていったのだろうとも思う。彼女は、いくらか冷然とした態度を表面上には感じてしまう。しかし、知れば知るほど、それは表面にあることだけだと思う。

 ぼくといれば、前のボーイフレンドであるB君とも会わなければならない。ぼくらの友人関係は、以前より親しさは薄くなっていたかもしれないが、それとは逆に、水面下では密になっていたともいえるかもしれない。その証拠を提出しろと言われれば困るが、お互いが言葉には出さないが、それぞれの可能性を信頼し、また心配もしていた。それを、たまに感じて嬉しくなることも少なくはなかった。

 B君と、みずきは会っても、親しすぎにもならず、よそよそしくもなかった。B君はぼくに敬意を払っているようにも感じ、みずきもぼくの友人として大切に思っているという様子をした。

 それで、ぼくは2つの関係で困惑するという経験はなかった。ただ、B君の恋人は日々かわり、こちらが名前を憶える努力をしていることも無駄になるほど、新しい名前は常に更新された。それも、若い時だけであってほしいと、ぼくは他人事ながら思った。

 レコード屋でバイトしている時間も、ぼくは大切にしていた。店長は大まかなことは言いつけるが、細部にはあれこれ注文をつけなかった。彼は、現在売れている音楽に理解は示すものの、(人助けやボランティアでミュージシャンは存在しているわけではないからね)こころの中では妥協していなかった。みずきの友達たちが売れ線の音楽を買っていくと、途端にうらにひっこみ、ぼくにやりとりを任せた。そのような時にだけ、うらから自分の娘と遊ぶ声が聞こえた。

 バイトを終え、経済的理由と父親の方針でバイトをする必要もないみずきが迎えにくることも多かった。季節により、彼女の服装や髪形は変わっていった。ぼくは、上着が増えるか、それを脱ぐかという違いしかなかったように思う。

 暖かい缶コーヒーを抱え、公園のベンチに座っていた。目の前には、ぼくらの2台のスクーターがあった。どこからか猫があらわれ、彼女の足に体を寄せてきた。それは、安心しきっている姿であった。ぼくも、その猫と同じように感じていた。

「あの、虫かごどうしたの?」現実にもどって、ぼくは妻に訊く。
「なんかね、どうしても取りたいっていってきかないので、急に買ったのよ」
「そう? 虫、大丈夫だったっけ?」との質問に妻は、苦いような顔をした。
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問題の在処(9)

2008年10月05日 | 問題の在処
問題の在処(9)

 子供が質問をするようになる。すぐに回答を与えられるようなものもあれば、答えを見つけづらいものもある。それに似ているものを探し、代替させてしまうようなこともあるのだろう。

「ぼくの名前は、どうやってつけたの?」

 と、息子が妻に訊いていた。現状で分かる範囲で祐子は答えていた。
 新聞を読みながら、そのことが耳に入ってくる。ふたりで考えてつけたはずだが、その名前を付けるという作業自体を、彼女の説明では神聖なものとし、また神秘化されてもいた。

「あなたの名前は、そういう意味でつけたのだから、是非ともそうなってね」と、優しい口調で語った。

 ここで、B君の彼女に名前を与えなければならなくなる。彼女は、みずきと言った。なぜ、名称が必要なのかといえば、その後にぼくと交際することになるからだ。彼女は、B君と別れ、ぼくが和代とも別れて傷心していると思ってのこともあったのだろう。それから長く時間が過ぎ、そのことを振り返って思い起してみると、ぼくと和代が別れるよう仕向け、そのきっかけを作ったのもみずきだったかもしれない。もう解明することもできないかもしれないが、判断する材料は、そうも少なくはなかった。

 B君は痛手をこうむらずに、厄介払いができたとでも思っていたのだろうか。ぼくら二人のことを、上手く行くようアドバイスをすることもなければ、彼女の良い面や悪い面も教えてはくれなかった。ぼく自身も聞きもしなかったし、友人のあとに付き合うことにはなったが、そもそも彼女は魅力的なひとだった。誰かを傷つけないように注意はしながらも、失敗を前もって考慮に入れ行動することなど、まだそのときのぼくは学べてもいなかった。

 彼女の家にもよく行った。原付で20分ぐらいのところにそれはあった。両親とも気さくな人で、自然と親しくなった。彼女は一人っ子で、親は、男の子も欲しかった、とたびたび言った。B君も彼女の家にいったが、飼い犬がなつくようにはならなかった。疑り深い猫のように遠目に挨拶することぐらいしかしなかった。
 両親は、ぼくに気をつかいながらも、そのように言い、ぼくが遠慮をしないところを、わざとのように嬉しがった。わざとではなかったかもしれない、ぼくは彼女の家にいて、こころが安らいだ。

 15、6の東京の片隅に住む少年を、紳士になる潜在能力があるかのように大切にしてもらった記憶がある。そのみずきの家は、A君の職場からも近かった。ぼくは会話の途中でA君のことも話した。みずきの父は、親身になって話をきき、もう少しまともな所で働く気はないか? それならいくらでも世話をすると言ってくれた。ぼくは、その言葉を受け入れ、彼に告げた。迷惑をかけたくないと返答されたが、本当にそんな言葉だけの人ではないことを説明し、偉そうにならずに説得もした。

 多少の時間はかかったが、みずきの父の関係している不動産の会社の一員にA君はなった。通うのには自宅からでも行けたはずだが、もっと便利な場所で一人暮らしをはじめた。そうしたことをするのにも、先を越された感じが自分にはあった。

 みずきの家には、彼女が幼い時から触れていたピアノがあった。それをたまに、家族がいない時にぼくの前で弾いてくれた。幸せの一つの映像として、ぼくのこころにはその情景が残っている。

 彼女の母も、同じようにそのピアノを演奏した。その姿と似ていて、とてもエレガントな音がした。ぼくのバイト先のロック好きな店長が聴いたら、どのような感想を言うのだろうか興味があったが、そのようなことは話もしなかった。

 こうして振り返ると、小さな世界だが、人に恵まれてきたのだな、と感じ入る。勉強もそこそこにして、普通よりちょっと上ぐらいの成績にいた。みずきは、とても賢い人間だった。春風のように必至さもなければ、意気込みも感じずに自然と行くべき方向に流れて行った。成績も優秀で、大学も良いところに行けることは分かっていたし、両親も期待していた。ぼくとの差は、はっきりとあったが、そのことは彼女の両親は素振りにもださなかった。ただ、確実に生活する能力を男の子には求めていたのかもしれない。ああいう様子のみずきの父親のような人間になりたいと、いつもこころの中で思い、またひっかかってもいる。
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