問題の在処(10)
家に帰ると、広げた新聞紙の上に虫かごがのっている。なかで、なにやら動く気配がした。覗くことはしなかったが、息子が大切にするのだろう。そこに閉じ込めてしまえば、寿命などそう長くないことなど、まだ知らないのかもしれない。
A君はすでに社会に出ていた。出ていたといえば格好もつくかもしれないが、閉じ込められていたとも言えるのかもしれない。
A君とは週末に会うことも多かったが、仕事がら日曜を休むという訳にもいかず、それでも若いので睡眠時間を減らせばなんとかなったが、だんだんと昔みたいに会う機会も減り、疎遠になっていく予兆のようなものがあった。そのようなときには、ひとりだけ違う服装、スーツにネクタイ姿であることもあった。ぼくらは、だらしのない普段着でいた。そこの線には、越えられない何かがあった。溝とでも名付けられるかもしれない。彼にしてみれば、ぼくらの会話が子供じみていると感じることもあっただろう。しかし、そんな素振りは、一切表面には出さなかった。
ぼくは、みずきと多くの時間を過ごした。彼女といて、飽きるということがなかった。しかし、彼女が過ごした幼少期と、自分のそれとでは違ったものも、当然ながらあった。その差異を、ぼくは楽しんでいた。
みずきは、本人には言わなかったが、A君のことを心配していた。自分の父の勧めで会社に入ったこともあるが、それよりも自然の優しさが、彼女を覆っていた。その点が、ぼくが好きになっていくことを深めていったのだろうとも思う。彼女は、いくらか冷然とした態度を表面上には感じてしまう。しかし、知れば知るほど、それは表面にあることだけだと思う。
ぼくといれば、前のボーイフレンドであるB君とも会わなければならない。ぼくらの友人関係は、以前より親しさは薄くなっていたかもしれないが、それとは逆に、水面下では密になっていたともいえるかもしれない。その証拠を提出しろと言われれば困るが、お互いが言葉には出さないが、それぞれの可能性を信頼し、また心配もしていた。それを、たまに感じて嬉しくなることも少なくはなかった。
B君と、みずきは会っても、親しすぎにもならず、よそよそしくもなかった。B君はぼくに敬意を払っているようにも感じ、みずきもぼくの友人として大切に思っているという様子をした。
それで、ぼくは2つの関係で困惑するという経験はなかった。ただ、B君の恋人は日々かわり、こちらが名前を憶える努力をしていることも無駄になるほど、新しい名前は常に更新された。それも、若い時だけであってほしいと、ぼくは他人事ながら思った。
レコード屋でバイトしている時間も、ぼくは大切にしていた。店長は大まかなことは言いつけるが、細部にはあれこれ注文をつけなかった。彼は、現在売れている音楽に理解は示すものの、(人助けやボランティアでミュージシャンは存在しているわけではないからね)こころの中では妥協していなかった。みずきの友達たちが売れ線の音楽を買っていくと、途端にうらにひっこみ、ぼくにやりとりを任せた。そのような時にだけ、うらから自分の娘と遊ぶ声が聞こえた。
バイトを終え、経済的理由と父親の方針でバイトをする必要もないみずきが迎えにくることも多かった。季節により、彼女の服装や髪形は変わっていった。ぼくは、上着が増えるか、それを脱ぐかという違いしかなかったように思う。
暖かい缶コーヒーを抱え、公園のベンチに座っていた。目の前には、ぼくらの2台のスクーターがあった。どこからか猫があらわれ、彼女の足に体を寄せてきた。それは、安心しきっている姿であった。ぼくも、その猫と同じように感じていた。
「あの、虫かごどうしたの?」現実にもどって、ぼくは妻に訊く。
「なんかね、どうしても取りたいっていってきかないので、急に買ったのよ」
「そう? 虫、大丈夫だったっけ?」との質問に妻は、苦いような顔をした。
家に帰ると、広げた新聞紙の上に虫かごがのっている。なかで、なにやら動く気配がした。覗くことはしなかったが、息子が大切にするのだろう。そこに閉じ込めてしまえば、寿命などそう長くないことなど、まだ知らないのかもしれない。
A君はすでに社会に出ていた。出ていたといえば格好もつくかもしれないが、閉じ込められていたとも言えるのかもしれない。
A君とは週末に会うことも多かったが、仕事がら日曜を休むという訳にもいかず、それでも若いので睡眠時間を減らせばなんとかなったが、だんだんと昔みたいに会う機会も減り、疎遠になっていく予兆のようなものがあった。そのようなときには、ひとりだけ違う服装、スーツにネクタイ姿であることもあった。ぼくらは、だらしのない普段着でいた。そこの線には、越えられない何かがあった。溝とでも名付けられるかもしれない。彼にしてみれば、ぼくらの会話が子供じみていると感じることもあっただろう。しかし、そんな素振りは、一切表面には出さなかった。
ぼくは、みずきと多くの時間を過ごした。彼女といて、飽きるということがなかった。しかし、彼女が過ごした幼少期と、自分のそれとでは違ったものも、当然ながらあった。その差異を、ぼくは楽しんでいた。
みずきは、本人には言わなかったが、A君のことを心配していた。自分の父の勧めで会社に入ったこともあるが、それよりも自然の優しさが、彼女を覆っていた。その点が、ぼくが好きになっていくことを深めていったのだろうとも思う。彼女は、いくらか冷然とした態度を表面上には感じてしまう。しかし、知れば知るほど、それは表面にあることだけだと思う。
ぼくといれば、前のボーイフレンドであるB君とも会わなければならない。ぼくらの友人関係は、以前より親しさは薄くなっていたかもしれないが、それとは逆に、水面下では密になっていたともいえるかもしれない。その証拠を提出しろと言われれば困るが、お互いが言葉には出さないが、それぞれの可能性を信頼し、また心配もしていた。それを、たまに感じて嬉しくなることも少なくはなかった。
B君と、みずきは会っても、親しすぎにもならず、よそよそしくもなかった。B君はぼくに敬意を払っているようにも感じ、みずきもぼくの友人として大切に思っているという様子をした。
それで、ぼくは2つの関係で困惑するという経験はなかった。ただ、B君の恋人は日々かわり、こちらが名前を憶える努力をしていることも無駄になるほど、新しい名前は常に更新された。それも、若い時だけであってほしいと、ぼくは他人事ながら思った。
レコード屋でバイトしている時間も、ぼくは大切にしていた。店長は大まかなことは言いつけるが、細部にはあれこれ注文をつけなかった。彼は、現在売れている音楽に理解は示すものの、(人助けやボランティアでミュージシャンは存在しているわけではないからね)こころの中では妥協していなかった。みずきの友達たちが売れ線の音楽を買っていくと、途端にうらにひっこみ、ぼくにやりとりを任せた。そのような時にだけ、うらから自分の娘と遊ぶ声が聞こえた。
バイトを終え、経済的理由と父親の方針でバイトをする必要もないみずきが迎えにくることも多かった。季節により、彼女の服装や髪形は変わっていった。ぼくは、上着が増えるか、それを脱ぐかという違いしかなかったように思う。
暖かい缶コーヒーを抱え、公園のベンチに座っていた。目の前には、ぼくらの2台のスクーターがあった。どこからか猫があらわれ、彼女の足に体を寄せてきた。それは、安心しきっている姿であった。ぼくも、その猫と同じように感じていた。
「あの、虫かごどうしたの?」現実にもどって、ぼくは妻に訊く。
「なんかね、どうしても取りたいっていってきかないので、急に買ったのよ」
「そう? 虫、大丈夫だったっけ?」との質問に妻は、苦いような顔をした。